【はる書房】
『インターネット図書館 青空文庫』

野口英司編著 



 著作権の保護期間の過ぎた作家の作品をインターネット上に公開するという活動をつづけている「青空文庫」の存在は、私もこのサイトをはじめた当初から知っており、リンクもさせてもらっているところであるが、有志を募って古い文学作品を電子データとして打ち直し、インターネット上で無料公開、誰でもが気軽にそれらの作品に触れることのできるようにする、という青空文庫の活動について、とくにそれ以上の認識をもっていたわけではなかった。

 インターネットの世界は広く、読書関係のサイトやブログも数多く存在しているが、私のサイトもふくめたそれら読書サイトの大半は、古い作品をあらためて紹介するよりも、むしろ次々と刊行されていく新刊の感想を載せるほうにその比重が傾いているのが実情であり、またそれらの作品に対して他ならぬ自分自身がどのように感じたのか、という点こそがサイト運営の主眼だと言える。そういう意味で、自分の作品でもない古い著作物を、できるだけ底本に忠実な形で電子データに置き換えていくという地道な作業は、いわば自己主張の最たるサイト運営をしている私の活動とは対極に位置するものであり、これまで大した接点をもちえなかったというのが実情である。

 認識が変わったのは、東京国際ブックフェア2006というイベントに出席したさいに、青空文庫の呼びかけ人であり、今もその活動にかかわっている富田倫生の講演を聴いてからのことだ。本書『インターネット図書館 青空文庫』もその会場で思わず買い求めたものであるが、本書を読んでいくと、「青空文庫」がそもそも何を期待してその活動をはじめ、そして今日においてその活動にどのような意義を見出していくことになるのか、その遍歴が見えてくる。

 本書は大きく三つの章に分けられていて、第一章では青空文庫立ち上げの契機と今日に至るまでの足どりの紹介、第二章では「工作員」と呼ばれる、文章の入力や校正作業をボランティアで行なっている人々のなかでも、とくに中心的な役割を担った人の声が載せられている。そして第三章では、青空文庫の活動と密接なかかわりをもつ著作権の現状と、それに対する青空文庫の主張を展開しており、本書が編纂されることになったそもそもの契機が、この著作権の改正――これまで著者の死後50年だった保護機関を70年に延長する改定案が、日本でも実現に向けて動きつつあることを受けてのものであることは間違いないのだが、それ以上に重要なのは、むしろ青空文庫の活動、とくに、文学作品の情報をできるだけ底本に近い形で電子化することによって、電子本としての可能性がどれほどのものであるのか、そのパイオニア的な活動内容が納められていることにこそある。

 インターネットの急速な普及にともなって、これまで紙媒体が主であった書籍もまた、デジタルデータとしてその姿を変えていくのではないか――いわゆる電子本の可能性については、私も以前から興味を持っていた分野のひとつであり、とくにWeb上で小説を載せるというひとつの表現方法が、小説のあり方にどれだけの影響をおよぼすのか、という点については、過去に私もいくつかのWeb小説を書評するという形でかかわってきたことでもあるが、市場においては、今でこそ携帯電話の普及にともなって電子本の可能性が見えつつあるものの、これまではいくつか電子本閲覧のための専用端末が開発されたものの、消費者たる読者の反応は今ひとつ、というのが現状だった。そんな電子本の開拓期から、本という知的財産を人々に無償で共有していくという活動の拠点をデジタル化とネットでの配信に見出してきた青空文庫は、その知的財産の共有が人々の創作活動を刺激し、社会をよりよい方向に発展させていく、という一種の信念のもと、有史によるボランティア活動のみに支えられて今日にいたるわけであるが、その理想ゆえに金銭的収入のほとんど見込めない青空文庫の活動が、なぜ今日まで継続していくことができたのか、という疑問について、おそらく以下の引用がすべてを物語っていると言えるだろう。

 青空文庫の活動が本当に価値があるのかどうか、それは私にもわかりません。
 けれど、何より楽しい。
 (中略)
 そして、楽しさプラス何かが、
 競馬やゲームの楽しさとは少し違う何かを見いだしたのではないかと思うのです。

 じっさい、青空文庫の活動に参加した人たちの話を読んでいくと、そこにあるのはたしかに大変なことではあるが、同時に「何かをやりたい」という欲求や、その作業を楽しんでやっている、という意見である。それは、当人たちこそあまり意識していないかもしれないが、本来ならば消えうせてしまう運命にあったかもしれない数々の知的財産を、確実に後世に残す作業をしている、という一種の誇りの表れでもある。そのあたりのこだわりは、たとえば底本にあるさまざまな約束事――ルビや記号、段落、漢文の返り点にいたるさまざまな情報を、できるだけ正確に残していくための、工作員のためのマニュアルの完備に力を入れているところからも見て取ることができる。そしてこの正確な情報のデータ化ゆえに、たとえば視覚障害者のための音読データや点字プリンタへの出力、さらには弱視者のための拡大写本といった、電子化における本来的な知的財産の共有への道へとつなげていくことができている。それは、たんに金儲けが目的であれば思いつきもしなかったであろう電子化の功績である。

 私はそれまで、青空文庫というサイトの存在について、とくにそれを特別なこととも思うことなく、本当に、そこに存続しつづけているのがあたり前のものとして考えていた。だが、個人でも組織でも、短い期間のあいだにほんとうに多くのサイトが立ち上げられては消え去っていく現実をまのあたりにしたとき、なお変わることなく活動をつづけていっている青空文庫というものの物凄さ、その底力の一端を本書のなかに垣間見たような気がした。それは、今の私たちがあるいは忘れてしまっているのかもしれない、純粋に理想を追い求めていく、良くも悪くも愚直な人たちだけが発することのできる輝きゆえのものでもある。現在、青空文庫は著作権改正の問題に加え、グーグルやアマゾンといった超大手が手がけようとしている「全書籍電子化計画」の問題にも直面しているが、後世にほんとうに良いものを残していくことができるのは、何よりこの青空文庫のような、草の根の活動から生み出されていくものではないだろうか、という思いを強くしている。(2006.08.29)

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