【新潮社】
『とにかくうちに帰ります』

津村記久子著 



 人は言葉でコミュニケーションをとりあう生き物であるが、この言葉という道具はなかなかにやっかいなものをはらんでいて、自分の伝えたいことが必ずしも相手にそのまま伝わるわけではないものだったりする。それ以前に、自分が今考えている事柄や、心に抱いているニュアンスを、言葉を使って説明することさえ、じつはけっこう難しい。いわゆる「言葉にできない思い」というヤツだが、たとえば愛している人に対して、自分がどれだけ好きなのかを言葉にしようとした場合などには、とくに言葉の不自由さを感じずにはいられなくなる。

 私たちは何かを語るとき、他ならぬ自分の頭のなかで言葉を組み立てて語っていると思いがちであるが、じつはその言葉のほとんどが、過去に誰かが使っていた言葉の使いまわしだったりする。もちろん、私が今書いているこの書評の言葉も例外ではない。言葉が大勢の人々に使いまわされるというのは、それだけその表現の使い勝手が良いということである。そして、そうした言葉はイメージを共有しやすく、勘違いも少なくなるのだが、同時に誰にでも使われているがゆえに、表現としては陳腐なものになってしまう。

 自分の人生、自分の生活は自分だけのものであって、他の誰のものでもない。だからこそ、私たちは自分が「特別」であるという思いからなかなか逃れられないのだが、そうした「特別」は、言葉で表現してしまうととたんにありきたりなものに堕してしまう。今回紹介する小説のタイトルは、『とにかくうちに帰ります』というのだが、この「とにかく」という言葉に込められているものこそが、本書の主題だと言うことができる。

 世界平和、そうだ。世界が平和であることを祈るように、今はうちに帰りたい。

(『とにかくうちに帰ります』より)

 いったいどのようなシチュエーションなのかと勘ぐりたくなる上述の引用だが、じっさいのところは、交通機関に影響が出るほどの記録的暴風雨のなか、なんとかして埋立洲にあるオフィスからの帰宅を試みるという、ただそれだけの話だったりする。そう、たしかにこんなふうに言葉にしてしまうとなんてことのない物語ではあるのだが、当事者たちにとってはそうではない。本書の登場人物である会社員のハラにしろ、同じく会社員のサカキにしろ、それぞれその日は家に帰らなければならない、あるいはならなくなった事情というものがあり、会社で一夜を明かすというわけにはいかないのだ。

 たとえばサカキの場合、明日は朝早くに離婚した妻の子どもと会う約束になっていて、そのためにはどうしても今日のうちに家に戻っていなければならないという事情がある。元妻のほうはこのことにあまり乗り気ではなく、再婚を機に息子をサカキに会わせることを止めてしまおうと考えており、そうなると明日が最後の機会になるかもしれない、という切迫したものがあるのだが、ハラのほうはいったんはオフィスに戻って豪雨をやりすごそうと考えたものの、そのオフィスで社員の男女が睦み合いをしている気配を感じ、残るに残れなくなったという、別の意味で切迫した事情だったりする。サカキが途中で一緒になった小学生のヤマダミツグに到っては、友人からもらったサッカーの試合を録画したDVDを観たい、という理由なのだが、他の人からすればどうでもよさそうな理由を、いかに「特別」なものとして物語のなかに反映させていくのかが、本書の大きな特長であり、また小説としての面白さにもなっている。

 たとえば、本書に収められている『バリローチェのフアン・カルロス・モリーナ』という短編で、語り手の「私」は録画したスポーツ番組をハードディスクから削除するのか、DVDに落とすのかで毎回迷う。その作品の冒頭で、語り手がその理由を延々と説明しているのだが、それが妙にリアルなのだ。そしてここでいう「リアル」とは、人間というものがしばしば妙なこだわりをもち、そのこだわりゆえに余計な苦労をしたり、思い悩んだりするという意味である。

 それは私自身をふくめ、誰もが多かれ少なかれもっている、いかにも人間らしい部分であり、そこに論理性があるかないかはあまり関係がない。だが、だからこそ本書を読んでいると、そのいかにもな人間らしさに安心させられる。

 もうひとつの収録作である『職場の作法』についても同様で、語り手である鳥飼早智子が勤めている会社の、マイルールに従って仕事をしている人たちを取り上げている。それは傍目から見ていると、意味不明だったり勘違いをしてしまいそうなものがあるのだが、たとえば風邪をひいてもけっしてマスクをしない山崎にしろ、人のものを勝手に借りていく間宮にしろ、あるいは人によって微妙に頼まれた仕事の時間に差をつける田上にしろ、それぞれに思惑や考えがあってそうしていることが、作品を読み進めていくとわかってくる。そしてそうした行為が、いかにも現実に職場でありそうなものであるという意味で、やはり「リアル」を感じさせる。

 つくづく誰もが普通の人で、悪くもなりきれないし冷徹にもなりきれない。面白くないけれど、良くないことでもないのかもしれない。

(『職場の作法』より)

 ただ会社から家に帰るというだけなのに、電車は止まり、巡回バスにも乗れなくて、それぞれに帰らなくてはならない事情のある登場人物たちは、はたして無事帰り着くことができるのか――どう考えても地味な印象しかもちようのないストーリーが、しかしまぎれもない小説として成立していて、しかもその妙にとぼけた感じが面白いというのは、ある意味凄いことである。ふだん私たちが会社で顔をあわせている、自分ではよく知っていると思い込んでいる人たちの、しかし私たちが知らない側面というものに、ふと思いをめぐらせる味わいのある本書をぜひ読んでみてほしい。(2014.09.01)

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