【新潮社】
『アンチノイズ』

辻仁成著 

背景色設定:

 ノイズというものをもし定義するなら、それは自分の意思とはまったく関係ないところで自然発生、もしくは人工的に発生された、その人にとっては不快な騒音、ということになるだろうか。意識するしないにかかわらず、私たちはじつにさまざまなノイズに囲まれて生きている。そのなかのほんの一部が、一部の人間にとっては騒音という名前に変わり、その人のいらだちを募らせることになるのだが、そういった、消極的なかかわり合いでしか、私たちはノイズを認識することがないのだろうか。
 ひとつの音がどこから、どういう経緯を経て発生することになったのか――ひたすら自分だけの時間、静けさを求める都会の人間にとってはどうでもいい事柄なのかもしれないが、音と積極的に関係をもつことによって、あるいはノイズの持つ、まったく別の側面が見えてくるのではないだろうか。

 本書『アンチノイズ』に出てくる荒田は、都内の区役所の環境保全課に勤める公務員である。彼の仕事は、騒音測定器で区内の騒音調査をし、区内の住民から寄せられる騒音に関する苦情に対応すること。だが、実際に騒音を調査してみて、あらゆる騒音をたんなる数値としてのみ調査し、取り締まることに疑問を感じていた荒田は、ある日、それまでの騒音調査とはまったく別に、「音の環境地図」とも言うべきものを作りはじめる。区内のあらゆる場所に赴き、そこでどんな音が聞こえてくるのかを調べ、コンピュータに入力して地図にしていく――それは、無秩序に音が氾濫している現代の環境で、騒音といかに向き合っていくべきか、といった社会的問題意識があったわけではなく、小さい頃からアメリカやイギリスのロックに慣れ親しみ、高校・大学を通じて友人達と組んでいたバンドでエレキギターを担当していた荒田の、自分自身と音とのかかわり合いに対する興味が引き起こした行動だと言うことができる。

 他人との付き合いが苦手で、いつもヘッドフォンステレオで脳の中に大音響を流しこむことで、周囲の世界から自分自身を切り離してきた荒田――そんな彼が、生産性も目的もないまま、ただゴミのように吐き出され、そして消えていくノイズの存在に並々ならぬ興味を覚えたのは、裏を返せば、確かな目的をもって発せられる音、つまり言葉、そして人と人とのコミュニケーションに対する不満や不信感が存在している。

 実際、荒田と恋人であるフミとの関係は、最近翳りが見え始めている。恋人どうしであるにもかかわらず、お互いのコミュニケーションにどこかズレがあるように感じていた荒田は、フミの留守番電話を盗み聞きすることで、自分以外の男と関係を持っているらしいことを知ってしまう。また、大学時代のバンドのメンバーで、今はビアノの調律士をしている柏木郁夫は、妻とのコミュニケーションがうまくとれず、別居生活を強いられている。テレクラ嬢の自宅アルバイターであるマリコにしても、盗聴器の電波を勝手に拾い、他人の会話を聴いて楽しんでいたりする。そもそも電話という機械によって、遠く離れた相手と会話ができるという機能の代償として、人間は自分から声だけを切り離してしまうことになったのだが、携帯電話の普及によって、そのマイナスの機能がますます顕著に現われてきたように思うのは、私だけだろうか。そして、そんな携帯電話や無線機などの、人間の耳には聞こえないノイズが、耳に聞こえるノイズと同じように、都会の空を無秩序に駆け巡っている、という考えは、奇妙というよりも、むしろ不気味にさえ感じてしまう。

 偶然拾った寺の釣鐘の音――都会の騒音に埋もれてしまっていた梵鐘の音を調べていた荒田に対して、寺の住職はこんなことを話している。

「騒音から逃れるために人間はアルミサッシの窓を持った。騒音は消えたが、同時に鐘の音も聞こえなくなった。……それに忙しくなったんだ。みんな鐘の音どころではない」

 人間は耳に聞こえてくる騒音をシャットダウンし、さらに人で溢れかえっている周囲の環境から自分自身をシャットダウンするために携帯電話を持ち歩き、またヘッドフォンステレオの音量をあげて自分の世界にひたる。そして人々はますます他人とのコミュニケーションがとれなくなり、ときには悲惨な事件を巻き起こす。本書のタイトルである『アンチノイズ』――これはたんに、騒音を悪者にして排除しようということではなく、騒音を音のひとつとして認識し、それまで聞こえていなかったさまざまな音と向き合うことが、人と人とのコミュニケーションを回復させる第一歩なのではないか、という著者の想いが込められているように思う。(1999.09.19)

ホームへ