【福武書店(現ベネッセ)】
『アンダーソン家のヨメ』

野中柊著 



 このダッシュという記号――つまりこういう使い方ができる便利な記号――は、もともと英文から生まれた記号であり、それゆえに、日本語の文章のなかにダッシュとか?とか!とかいった記号が混じっていることに違和感を覚える人も多い――たいていは年配の方で、じゃあ句点や読点といった記号はどうなんだと問うと、それらはもう市民権を得ている、とあたり前のように言うのだから、日本語というのはなんとも不思議な言語である――のだが、私などは何の違和感もなく、自分の書く書評にダッシュを乱用――だって、これを使うと意味もないのにその直前や直後の単語を強調できるんですもの――している。
 だが、それはあくまでこの画面が横書きだからであって、縦書きの本の形式の中でダッシュを乱用しているのを見ると、私も自分のことは完璧に棚にあげて、やっぱり妙な感じがしてしまうのである。

 本書『アンダーソン家のヨメ』は、まさに英文そっくりの日本語に満ち溢れている小説である。上述のダッシュの多用――会話文の記号としてカギカッコ(「」)ではなくダッシュを使うという徹底ぶりだ――はもちろん、文章がなかなか切れずにつながっていくのも英文の特徴のひとつだし、やたらとカタカナ語が多い――環境モンダイ、イキサツ、イイ意味でもワルイ意味でも、ムカシ、など――のも、英文そっくりの日本語を意識した結果であろう。
 小手先の技でしかない、と言ってしまえばそれまでなのだが、彼女の書く文章のなかには、確かにアメリカという別世界の生活臭が漂っているのが感じられる。それはとても生き生きとした、読んでいて思わず顔がほころんでしまう、そんなたぐいのものだ。そして、それはたんに小手先の文章力だけで生み出せるものではない。

 本書は、アメリカ人の男性と結婚し、アメリカで暮らすことになった日本人女性の話である。いわゆる国際結婚、というやつだが、主人公のマドコはアンダーソンではなく、結婚後もサトーの性を名乗っている。婚約者のウィルはそのことに不満はないし、夫婦別姓があたり前のアメリカではさほど珍しいことではないのだが、どうやらウィル以外のアンダーソン家の人々は家族間の結束がかたく、マドコがアンダーソンの性を名乗らないことを不満に思っているらしいことをマドコは知ってしまう……と書くと、国際結婚にありがちな苦労話なのかと思う人もいるかもしれないが、読んでいくとけっしてそうではなく、むしろ軽いタッチの物語であることがわかるだろう。それは軽妙な文章の力や、マドコのキャラクターの軽さもあるかもしれないが、なにより本書が、アンダーソン家という 一家族のこと、そしてアメリカという国で暮らすということを、気負うことなくそのまま書いているからだと言える。国の違いとか、人種の違い、あるいは性差別とかいった問題は、本書のあちこちに登場してくる。だが、そこには文学のテーマのような押しつけがましさはまったくなく、むしろそこに自然な形で表現されている、という感じがするのだ。これは、簡単なように見えてなかなかできることではない。まさにアメリカに在住する著者ならではの個性だろう。

 ところで、本書が書かれたのは1992年。そのころ日本はまだ経済大国まっしぐらであり、対するアメリカは斜陽国家だった。あれから七年。今やまったく立場の逆転したこの現状を、著者はどのように考えているのだろうか。非常に興味深いところである。(1999.02.18)

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