【中央公論新社】
『アマゾニア』

粕谷知世著 

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 男が武器をとって戦うことについて、とくに理由が必要だと感じることはないが、女が同じような行動をとるときに、そこに何らかの、女でありながら自身の身を危険にさらしてまで戦わなければならない、それ相応の理由を求めずにはいられない心理というのは、いうまでもなく男女の性差ゆえのものである。いまどきの世の中で「男らしさ」あるいは「女らしさ」ということを声高に叫ぶのは、あるいはすでに時代遅れのものなのかもしれないが、それでもこの世界には男と女の二種類の生き物しかおらず、精を放つ役目を負うものと、その精を受けて新たな命をその内にはぐくむものという、厳密な身体的役割の違いがある以上、その性差はけっして無視することのできないものである。

 子どもは成長していけばいずれ大人になる。逆に言えば、成長することは男あるいは女としての性を自覚するということでもある。そして、一度男女の性差を自覚してしまえば、生物学的な生き残り戦略として、自分の遺伝子をさらなる未来へ残していくという役割についても無自覚ではいられなくなる。女性の体のふくらみは、どうしたって男性の性欲を刺激せずにはいられない。そして男性の引き締まった体つきは、やはり女性の性的刺激をうながさずにはいられない。より強く、より長く、より遠く――かつて、海の向こうにある理想郷を求めて旅立ったのは常に男だったし、女は常に自身の居場所にこだわり、そこで待つことを望んだ。こうした衝動の男女差の根底にあるのは、さながら精子と卵子の機能の違いと同様、人間の種のさらなる生き残りと繁栄のための、本能的な欲求から来るものなのかもしれない。

 だが、個としての意識をもつ人間の誰もが、そうした本能的な欲求について、納得できているわけではない。そしてだからこそ、人と人との関係性はますます複雑なものとなっていき、そこに新たなドラマが生まれてくることにもなる。

 本書『アマゾニア』の舞台となるのは、十六世紀の南米、そのタイトルがしめすとおり、広大なジャングルを形成するアマゾン川流域だ。その圧倒的な緑の恩恵を受けて、古くから変わらぬ暮らしをつづけている幾多の部族のうちのひとつ、「泉の部族」は女だけの部族であり、彼女たちは「陰の宴」と呼ばれる儀式を開き、他部族の男を呼んでその精を受け、代々伝わる産み分けの秘術によって女児をもうけ、部族全体で育てるという方法で繁栄してきた。本書に登場する赤弓は、「泉の部族」のなかでも狩りや戦闘を担当する大弓部隊の隊長であり、長年の宿敵であったオンサの部族を打ち滅ぼすために他部族との結束をとりつなぎ、また自身も先頭に立って戦った勇猛な女戦士であるが、すでに女性として成熟した体であるにもかかわらず、男とのセックスを意味する「陰の宴」に出ることはなかった。彼女が必要以上に男を敵視する理由、それは、彼女を育ててくれた家族をオンサの部族の男に殺されたという過去に原因があった。

 いっぽうで、「泉の部族」の守護精霊である<森の娘>という登場人物がいる。すでに何世代も前に肉体は滅びてしまったが、さまざまな鳥や虫や動物の体を借りて、「泉の部族」の通過儀礼の数々において部族の女を祝福する存在であり、また森の中をさまよう悪い精霊から部族を守ってくれる良い精霊でもあるが、なぜか「陰の宴」のときだけは、けっして姿を現わそうとせず、ひどく嘆き悲しむという。そのはっきりとした理由はわからなかったが、じつは彼女が遠い昔に恋をした旅の男に去られ、その嘆きのあまり沼に身を投げて自害したことが関係しているのではないか、という噂があった。

 オンサの部族討伐のため、母となることを拒んでひたすら戦うことに専念してきた男嫌いの赤弓と、守護精霊でありながら、恋した男のことがどうしても忘れられず、今に至るまでひたすら彼が戻ってくるのを待っているという<森の娘>――いっけんすると正反対の性質をもつふたりの主要な登場人物であるが、じつは「泉の部族」におけるもっとも重要な価値観である、たくさんの子どもを産むということからかけ離れた、いわば部族内の変り種的な存在という意味で、共通する部分をもっていたりする。物語は、アマゾン川の向こうから突如現われたスペイン人へレス・カンディアを<森の娘>が長年待ち続けた想い人であると断言し、「陰の宴」のとき以外はけっして中に入れることのない男を「泉の部族」に招き入れなければならないという事態になるのだが、このヘレスというスペイン人、男性優位主義の権化のような男で、女のことなど端から馬鹿にしているところがある、いかにも憎たらしい登場人物であり、赤弓とはどうあっても反発せざるをえない。そしてこの異例づくめの事態が、これまで男を廃することによってうまく機能してきた「泉の部族」の結束を崩し、やがて大きな不幸をひきおこすことになる。

 悪霊や精霊が現実に影響をおよぼしたり、生と死のはざまの世界が描かれたり、あるいは時間を遡って「泉の部族」の創生について語られたりと、ファンタジーとしての要素も大きい本書であるが、女だけの部族のなかにおける、その価値観とはいささかそぐわない登場人物たちに物語の焦点をあてることによって、それまで閉じた世界であった「泉の部族」の世界と、その外に広がっている、他部族の男たちの世界との微妙な均衡が崩れていくという物語構造は、赤弓にとってはなんとも言いようのない皮肉である。だが、どれだけ赤弓が男を嫌い、戦い殺すことに血道をあげたとしても、彼女が女であるという事実だけは変えることのできないものである。そしてそのまぎれもない事実、隠そうとしても隠し切れない事実は、「泉の部族」の掟そのものにもあてはめることができる。たとえば、「泉の部族」には男女を産み分けるという技術をもっているが、それでもなお男児の産まれる確率をゼロにすることはできない。では、もし男児が生まれてしまったらどうするのか? そのあたりのグレーゾーンを象徴するのが、じっさいに男児を産み、そのことを隠してきた花衣という登場人物であるが、こうした男女の性差と、そこから必然的に生じてくる人間の個としての死、そして不確かな愛という感情こそが、本書最大のテーマだと言える。

 男と女、女と男――同じ種でありながら、本質的なところで異なっている二種類の生き物の存在は、太古の昔から私たちにとってひとつの大きな神秘であったし、そしてそれは今もそうである。女を見下し、馬鹿にしてきたヘレスもまた、自身の生きる場所を失って世界をさまよい続けるしかなかった非力で悲しく、そしてそれゆえに可愛らしい存在でもあったし、部族の導き手として偉大な存在だったはずの<泉の娘>もまた、たった一度の恋に胸を焦がすか弱い乙女でしかなかった。どうして男は女に惹かれ、女は男に惹かれるのか、その神秘の源が、本書のなかにたしかに書かれている。(2006.10.10)

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