【双葉社】
『ALONE TOGETHER』

本多孝好著 



 人はどうして、知る必要のないようなことにまで気づいてしまうことがあるのだろうか。たとえば、世の中はけっして平等などではありえないという事実、たとえば、人はいつか必ず死ぬという事実、たとえば、どれだけ望んでも、自分が愛しいと想う人の心を完全に理解することなどできないという事実、たとえば、人はけっきょくのところ、どうしようもなくこの世でひとりきりなのだという事実――気づくことさえなければ、もっと心安らかに人生を過ごすことができたはずなのに、しかし私たちはときとして、否応なくそうした事実に気づかされることがある。そして、一度気づいてしまった事柄は、けっして「なかったこと」にすることも、無視しつづけることもできないのだ。
 私たちは、知りたくもなかったその事実を抱えて生きるしかない。おそらく誰もが多かれ少なかれそうなのだろう。だが、誰もがそんな情け容赦ない事実を抱えて生きていけるほど強いわけではないし、ときにはどうしようもなくうんざりしてしまうことだってありえる。そして、おそらく人が犯罪に手を染めてしまう背景のひとつには、そうした事実と人の心との衝突が生み出す空虚感とでも言うべきものが作用している。

「誰もが何かを胸の内に抱えている。みんながみんな、自分の思いのすべてを口にし始めれば社会は回らなくなる。外にぶちまけることのできない思いは、内側に溜まって澱になる。人はいつだってその澱を吐き捨てる穴を探している」

 本書『ALONE TOGETHER』に登場する柳瀬という男は、不思議な力をもっている。他人の心に自分の心を同調させ、その人の心の奥にある澱を吐き出させる能力――現在フリースクール「アフィニティー学院」でアルバイトをしている彼は、かつて通っていた医大の教授で、脳神経学の権威でもある笠井教授から、ある女の子を守ってほしいと頼まれる。その少女――立花サクラの母親は首吊り自殺をはかり、運びこまれた大学病院の人工呼吸器によってかろうじて生かされている状態にあり、笠井教授はその器械を、誰に何の相談もなく止めた。そして、笠井教授は人工呼吸器を止めたことに対して、黙秘をつづけている。

 いったい、なぜ教授は何も語らないのか、そしてなぜ教授は、自分が殺した患者の娘である立花サクラのことを柳瀬に託すような頼みごとをしたのか。そもそも、器械を止めたそのとき、その場所で何があったのか――柳瀬同様、読者もまた、このあまりにも不可解で何もはっきりとしない状況に放りこまれたような格好で、物語を読み進めていくことになるのだが、本書で重要なのは、事件の裏に隠された謎を解き明かしていくという、いわゆるミステリーとしての要素ではない。柳瀬は警察でも探偵でもなく、トラブルシューター的な役割すら負ってはいない。そもそも、柳瀬自身、謎を解明するとか、立花サクラが抱える問題をどうにかできると考えているわけではないのだ。だが、彼には他人の心とシンクロする力がある。とするなら、本書でメインとなるのは、あくまで彼のもつ能力であり、その能力によって否応なしに見えてしまう、人の心の奥に潜む澱みだということになる。

 およそ、どのような聖人君子であっても、人間である以上、どこかにこずるいところがあり、どこかに自分勝手なところがあり、どこかに臆病なところがあるものである。自分という意識の存在を知り、そのことで自分とそれ以外のすべてを区切ることを知ってしまった私たち人間は、基本的に孤独な生き物であり、そうである以上、人間は究極的に自分を基準として物事を判断するほかない。柳瀬がその能力をもちいることによって垣間見てきたのは、およそ世の中が唱えている人類愛や、博愛主義や、自己犠牲の精神とかいった高尚な考え方は、あくまで表層を綺麗に飾るだけのお題目にすぎないという事実でしかなかった。彼はフリースクールに通ってくる問題児たちと、自分が「同じ匂いがする」と語っているが、自身――というよりも、人間であることの不完全性にとっくの昔に愛想をつかし、しかもその事実と折り合うことを絶対に許せない彼らと同じ匂いがする、というのは、ある意味当然のことだろう。誰だって、人が自分のことしか考えず、それゆえに絶対的に孤独であり、けっして誰とも結びつくことができないという事実と向かい合うことを強制されれば、いいかげん生きることにうんざりもする。

 なぜ人間は隣に寝ているその人の夢の中に入り込める能力を身につけなかったのだろう。なぜ、直立二足歩行なんてどうでもいいような能力を優先したのだろう。なぜ、言葉なんて稚拙な能力で満足してしまったんだろう。

 柳瀬の父もまた同じ能力を持つ者であったが、彼は自身の力の暴走を食いとめることができず、自分の妻を殺し、そして自殺した。柳瀬にとって、自身がもつ能力は文字どおりの「呪い」でしかないことを知っている。知っていながら、しかし彼は本書のなかで、幾度もその能力を開放し、人の心の奥にある澱を吐き出させている。そして、私はふと思うのだ。いったい、どちらが先だったのだろうか、と。

 他人の心と同調する能力を使いつづけたがゆえに、どうしようもない無力感にとらわれてしまったのか、それとも、どうしようもない無力感が心を占めているがゆえに、能力を使いつづけるのか。

 ここに、自分の能力を呪い、怖れながらも、その力に依存せざるを得ないというおおいなる矛盾が生まれることになる。そんな彼の能力の範囲外にいるのが、立花サクラという存在だ。彼女は、柳瀬の能力を感知し、拒絶することができる。彼女が心の奥に溜めこんでいる澱を、彼女に勘づかれることなく盗み見ることは、柳瀬にもできないのだ。言ってみれば、柳瀬にとって立花サクラは、はじめて自分の能力以外の方法でアプローチしなければならない存在だったと言うことができるだろう。そしてそれは、能力者としてではなく、あくまでひとりの人間として、相手と接するということでもある。そう考えるなら、本書はミステリーというよりも、一種の成長物語だと判断するのがふさわしい。

 人はどうしようもなく孤独である、という事実――本書のタイトル『ALONE TOGETHER』というタイトルに込められているのは、どれだけ一緒にいても、やはり人は独りだといううんざりするような事実だろう。その事実を事実として受け止めたうえで、私たちは何を成し、どのように生きていくべきなのかを考えるためのヒントが、本書のなかにはたしかにある。(2003.10.03)

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