【朝日ソノラマ】
『エイリアン刑事』

大原まり子著 



 ジェイムス・ティプトリー・ジュニアのSF小説『たったひとつの冴えたやりかた』、岩明均のSF漫画『寄生獣』、あるいは藤原伊織の『蚊トンボ白鬚の冒険』や瀬名秀明のデビュー作である『パラサイト・イヴ』など、なんからの知性ある寄生生物が人間を宿主として寄生、あるいは共生してしまうという展開は、SFやホラーの分野で昔からけっこうよく使われるネタではあるが、こうした作品群について常に考えさせられるのは、寄生者と宿主における「力」の概念の違いについてである。

 宿主側から見たとき、寄生者というのは一種の病原菌のような存在だと言える。どれだけ個として強い力や権力をもっていたとしても、体内に入りこんでくる目に見えないウィルスの前には無力である。いくらなんでも、自分の体内を自分で攻撃するわけにはいかない。だからこそ、人は病気になれば医者という他者にその身をゆだねるしかなくなるわけで、そのとき人は、個としてもちえる力の限界、あるいは個人が大きな力をもち、それを維持しつづけるということの虚しさについて考えざるを得なくなってしまう。

 いっぽう寄生者側から見たとき、彼らは宿主の存在がなければ長くは生きられない場合がほとんどである。ゆえに、彼らにとって宿主とは生存のためになければならない大事な拠りしろであり、宿主が長生きすることが、同時に彼らにとっての生存の道でもあるわけだが、もし彼らが知性をもち、宿主の体の構造を理解するようなことになったとき、彼らは宿主に対して逆に大きな力を有することにもなる。

 宿主にとっての「力」と、寄生者にとっての「力」は、けっして等価なものではないし、そもそも比較できるような質のものでもない。ゆえに宿主と寄生者のいずれが上かという命題も、じつはあまり意味のないものであるのだが、ひとつだけたしかなのは、純粋な「力」そのものには、善も悪もないということだ。拳銃という武器が人殺しのための道具となるか、あるいは暴力を止めるための抑止力となるかは、銃を持つ当人の心次第である。今回紹介する本書『エイリアン刑事』は、宇宙から飛来した寄生型異星人が瀕死の人間の体に寄生してしまうというSFもので、その要素だけを取り出してみるなら、これまでにもあったパターンを踏襲するものでしかないのだが、本書のなかで顕著なのは、純粋な「力」と、それを振るう者の意識――誤解をおそれずに言えば善と悪の心について、ことのほか意識して物語を展開させている部分があることだ。

<ぼくはきみを支配することもできる。でもしない。それより信頼してもらいたいのだ。力より大切なものは誠実と愛だからだ>

 22世紀も終わろうとしている未来の地球、その列島のある都市に墜落した二隻の星雲間航行船――そのうちの一隻の墜落現場に遭遇した国際警察殺人課刑事レイ・ジェンバー・チェボトレビッチは、ふとした油断から強盗の襲撃に遭い、瀕死の状態にあった。船に乗っていたのは、べつの銀河系からやってきた寄生型異星人、彼は逃亡中の同種族の犯人(ホシ)を追って地球までやってきた刑事だったが、互いの船は戦闘で大破してしまい、この辺境の惑星にとどまることを余儀なくされる。彼は瀕死だったレイの体内に寄生してその命を救ったが、本人の意識はまだ戻らず、重大な記憶障害をおこしていた。ホシもきっと同じように誰かの体を乗っ取って、近くに潜伏しているに違いない。彼は意識の回復しないレイの体とその記憶を借り、とりあえずレイとしてホシの追跡を開始する……。

 後にレイ自身によってラスと名づけられるエイリアンの、あくまで宿主に対して誠実であろうとする点と、宿主のことなどいっさい考慮せずにその体を酷使し、まるで車を乗り捨てるように次々と宿主を変えて、その世界におけるより有利な立場に身を置こうとするホシの存在は、同じ異星人でありながら対極に属するもので、このふたりの対決の行方こそが本書のメインであることは間違いないのだが、本書における主体は、かならずしもラスやレイにとどまっているわけではない。ときにはラスの宿敵であるホシの視点となって、彼がどのような過程を経て人間の犯罪組織のなかへ食い込んでいくかを追ういっぽうで、レイの恋人となるアキや、彼の上司であるダンの視点などを取り入れることで、じつはラスであるレイの様子がいつもと微妙に違っているのでは、という疑いを深めていく様子にも触れていく。

 ときに複数の人物による視点が入り混じるシーンがあるうえに、寄生型エイリアンとのファーストコンタクトをはじめ、冷凍睡眠を経た極悪人の覚醒、クローン技術や遺伝子操作、ネットワークへのハッキング、高性能ロボットや個性的なAIの存在など、さまざまなSFの要素を織り込んだ本書は、それだけ贅沢な作品である反面、複数の主題を内包するがゆえの散漫さにも満ちているのだが、純粋な「力」をあつかう善悪の意識、という点を中心に置いたとき、あくまで正道を貫いていくラスと、とことん歪んだ道を歩みつづけるホシを中心に、じつはさまざまな「誠実と愛」の形があり、それらが複雑に折り重なってひとつの世界を形成していることに読者は気づくことになる。

 ラスがレイを宿主に選んだのは、レイの命を救うという点を第一に考えてのことだった。その後も彼は、その力を自身のためというよりも、むしろ宿主であるレイのために使っていこうとしていた。レイが意識不明のあいだ「レイならこうするだろうと思って行動した」というラスの言葉に嘘はない。だからこそ、彼はアキという対象に、レイの感情をつうじて人が人を愛するという感情を理解した。いっぽうホシは、自分の力を自分のためだけに使うことをためらわない。まるでガン細胞のように力を振るい、次々と宿主を乗り捨てていくホシが、宿主の受ける痛みに快感を覚えるシーンがあるが、そういう意味においても、レイの自傷行為に対して感じずにはいられないラスの沈痛さとは正反対のものだ。

 同じ知的種族でありながら、このあたりの意識の違いは、はたしてどこから生じるものなのか――それは、私たち人間にとってもひとつの大きなテーマではあるが、けっして単純なものではない。両親の深い愛を素直に受け取ることができず、そこから逃げるように地球での刑事の道を選ぶことになったレイ、純粋な愛に生き、人を思いやるやさしさをもちながら、むくわれない愛ゆえにひとりで傷ついていくゲイのリーノ、結果として自分のなかの悪い部分を兄に押しつけてしまったダンと、それゆえに歪んだ愛情をもつにいたったヴィンスなど、本書の登場人物たちは、いずれも善と悪、誠実さと欲望とのあいだで少なからず悩み苦しんでいる。物語が進むにつれて徐々に見えてくる、そうした複雑な人間模様を貫いて、ラスの築く共生関係と、ホシの寄生関係は、このうえない対極の光を放ち、物語をよりいっそう際立たせることになる。そう、まるで童話「北風と太陽」の逸話のように、はっきりと。

 宿主と寄生者との関係は、文字どおり一心同体になるという意味では究極の関係であると言える。それゆえに、そこには絶対ともいうべき誠意と愛が必要となってくるし、そうでなければ真の信頼関係を築くことは不可能でもある。お互いに「力」をもち、そして知的生物としての自意識もある存在どおしが築く、究極の関係――そこには、たしかに人の心を大きく揺さぶる要素がある。(2007.06.21)

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