【角川書店】
『秋月記』

葉室麟著 



 銃という武器を手にした人間が、いずれその力がどのくらいのものなのか、じっさいに発砲して試してみたくなるように、権力もまた、手に入れた人間にその力を行使させたくなる何かをもっている。武器にしろ権力にしろ、大きな力は人を魅了する。そして大きな力というものは、使い方しだいで何かを生み出すことも、何かを壊すことも可能となる。だからこそ、大きな力を手にした者は、それだけ大きな責任を負うということでもある。たんに力を行使するという魅力に押し流されることなく、適切な時に適切な力を振るうという節制――その人の人間としての度量を試されるのは、そうしたところであるし、またそうあるべきでもある。

「皆が生きるために励むという大道を歩まねば、悪人を除いたからといって民百姓が豊かになるというものではない。正しいことさえ行えば、というのは、努めることからの逃げ口上になる時があるのだ」

 本書『秋月記』の舞台となるのは、江戸時代の九州に実在した秋月藩。福岡藩の支藩でありながら、独立した藩として長崎警備などの任を負ってきた歴史をもつが、本書冒頭はひとりの男が謀反の罪で拘束されるシーンからはじまる。男の名は間余楽斎、若き頃より郡奉行、町奉行などの要職につき、隠遁後も藩の内政に大きな影響力を振るってきた影の実力者ともいうべき人物であるが、この男――流罪を言い渡されてもなお端然とそれを受け入れ、自身の成してきたことへの後悔を微塵も見せない彼の半生を描く本書は、当然のことながら彼の身がなぜ冒頭のような顛末にいたったのか、という点へと結びつくことになる。そしてそのさいに重要となってくるのが、上述の引用である。

「余楽斎」とは彼が隠遁してからの呼び名であり、それまでは間小四郎という名で通っている。物語の大半もその名称が使われているのだが、本書を読み進めていくと見えてくるのは、権勢を握って専横を振るうといういかにもな「悪人」像とは無縁の、清廉潔白で藩政のために尽力していく小四郎の姿である。じっさい若いころの彼は、当時藩政を事実上牛耳っていた家老、宮崎織部の専横を食い止めるため、同志とともに本藩である福岡藩に訴えるという強硬手段に出ることになるのだが、その結果、かねてより秋月藩の乗っ取りを画策していた福岡藩の内政介入をまんまと許すことになってしまう。

 武士でありながら柔術を操り、素手で剣を持つ相手と渡り合う海賀藤蔵や福岡藩の隠密「伏影」である姫野三弥など、時代小説ならではの殺陣を彩るキャラクターはもちろんのこと、日本ではじめて種痘の予防法を編み出した緒方春朔や、男装の麗人でひそかに小四郎に想いを寄せる猷など、じつに個性的な登場人物が出てくる本書であるが、彼らの魅力はたんに何らかの役割をはたすだけに留まらないその二面性にこそある。たとえば当初小四郎の敵役として登場する宮崎織部も、傲慢で気が短いといった点はあるものの、秋月藩の内情を知るにつれて、じつは彼こそが藩の建て直しのために誰よりも尽力していたという意外な一面をもつキャラクターとして書かれている。そして小四郎が藩の要職をになうようになると、かつては藩の未来のためにともに戦った同志たちも、少しずつ異なる道を歩み、藩政をめぐって対立するようになっていく。そんな、けっして単純ではない事情をかかえた登場人物たちの心境が、何気ない描写ににじみ出ている。

 もともと小さく貧しい藩であるうえに、福岡藩の無理難題ゆえに財政は逼迫し、それでも秋月藩を独立した藩として支えていかなければならない、という意味では、当初の敵であった宮崎織部が失脚してからが、小四郎の本当の戦いということになる。そしてその戦いは、たんに正しいことを成せば――たとえば、目に見える「敵」を倒せばそれでいい、というわけにはいかない。改革を求めるのは簡単だが、そのためには現実として金が必要となってくる。だがその金は、空から降ってくるわけではない。ときには泥で汚れるようなことになっても、そこに手を突っ込んで金を拾うこともやむを得ない事態が、小四郎を待ち構えている。そんな「見えない敵」に対して、はたして小四郎がどのような戦いを挑むことになるのか――それは、正しくないことに手を染めながら、いかに自身の心を高潔にたもつか、という本書のテーマにもつながってくることであるが、そんな彼の歩む道を暗示するようなエピソードが、じつは彼の幼少時代のなかにある。それは、小四郎の「臆病さ」に関することだ。

 幼少の小四郎はとかく怖がりで、犬に吠えられただけで屋敷に逃げ帰るような子どもだったが、子どもなりに「逃げない男になりたい」という思いはもっていた。剣術の稽古でもみっともなくビクついてしまう彼に、藩校の剣術師範である藤田伝助は、抜き身の真剣で形稽古を行なうように指示する。真剣は、まごうことなき人を斬るための武器だ。そんな怖ろしい力をもつ真剣をもつことは、それだけで臆病な小四郎にとっては大きな勇気を必要とする行為である。このエピソードで彼はただ夢中で剣を振るという姿勢を学ぶのだが、ここでいう夢中とは、邪念の入らない状態のことを指す。そして、このときの小四郎の姿勢は、後に真剣を権力に変えて振るうようになるさいの、彼の心構えとして生きてくる。

 はたして、冒頭で拘束された余楽斎は、胸の内まで権力で汚れてしまった姿なのか、それとも自ら手を汚すことをあえて決意した「逃げない男」としての矜持なのか――けっして綺麗ごとだけではすまない政治の世界に生きたひとりの男がたどった道程を、ぜひ追いかけてもらいたい。(2011.10.27)

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