【幻冬舎】
『愛をめぐる奇妙な告白のためのフーガ』

琴音著 



 私がこのサイトをはじめたそもそものきっかけが何だったのか、今となってははっきりと覚えていない。少なくとも、最初から「読んだ本は意地でも誉める」などといった高尚な目的があったわけでないことだけはたしかである。あるいは当時、インターネットをはじめたばかりの私が、個人レベルの本紹介サイトが乱立しはじめているのをまのあたりにして、これなら自分でもできるかもしれない、という単純な理由だったのかもしれない。ただ、こうして本に関する情報をネット上に提供する立場になってみてわかったのは、私はたしかに情報を提供する側にあるが、同時に本に関する情報を提供される側にもなっていた、ということである。

 私が面白そうだと思った本を最後まで読み、その書評を書いてネット上に載せることで、私と同じように読書好きな人たちが集まり、私の知らない本の情報を落としていってくれる――それは、サイトを立ち上げた当初は考えもしなかった、今では何にもまして大切な副産物となっている。

 何かを欲しているのであれば、まずは自分からその欲しているものを与えなければならない――これと似たような格言があるのかどうかは知らないが、いっけんすると矛盾しているように思えるその言葉が、一面においては真実を物語っていることを、私はサイトの運営をつうじて知ることになったが、この真実は、たとえば人間がもつ感情についても同じようなことが言えるのではないか、とふと思うことがある。どれだけ強く愛情がほしい、人から愛されたいと願っても、自分が誰かを愛するということができなければ、愛情はその人に返ってくることはない。そもそも愛とは何なのかを知らなければ、他人が本当に自分を愛してくれているのか、わかるはずもない。愛を知らないという不安は容易に相手への不審に変わり、相手が本当に自分を愛しているのかどうか、どんなことをしてでもたしかめずにはいられない。その結果、自分も相手も傷つけずにはいられないという悪循環が生じる。愛を求めているにもかかわらず、どうしようもなく愛から遠ざかってしまうという事実は、あるいは人としてもっとも大きな不幸であるのかもしれない。

 一人称の語り手である「私」の告白、という形ではじまる本書『愛をめぐる奇妙な告白のためのフーガ』は、自分にふさわしい場所は「誰もいない闇の中」だと言い、「一切の感情がない」と自らを語る「私」の性質を反映するかのように、淡々と自分の身に何が起こったのかを紡いでいく。かつて関係をもっていたキオミの自殺を語り、彼女が残した地図をもとに、誰もその存在に目を向けようとしない、蜃気楼のような街に赴き、葉(イップ)と名乗る女性と出会い、占い師に言われるままに「聞き屋」としての仕事を快諾し、そしてごく当然であるかのように葉と関係をもち、同棲生活をはじめていく。

 基本的に告白という形をとっているにもかかわらず、いっさいの感情をまじえないままに語られていく「私」の物語は、まるでそれが必然であったかのように話が進んでいくのだが、もちろん、すべての物事において必然と言えるようなことがそうそうあるはずがないし、また仮にすべてが運命づけられたものであるとしても、私たちは少なからず、自分の意思によって何かを選択し、人生を切り開いているのだという自負とともに生きている。それが、自我をもったひとりの人間として生きていくということであるはずだが、何かを選択したり行動を起こしたりするさいに、普通の人間であれば当然おこるはずの葛藤やあがきの片鱗すら見せない彼女の言動は、すでにひとりの人間としての生を放棄していることを意味している。

 まるで、何かを怖れるかのように自らの感情を封じてしまった彼女の心が、葉との同棲生活によってどのように変化していくのか――本書が描こうとしているのはまさにその一点に尽きるし、そういう意味では語り手である「私」が、少しずつ人間としての自分を取り戻していく物語であるとも言えるのだが、本書を特徴づけているのは彼女自身の物語よりも、むしろそのあいだに差し挟まれる、「聞き屋」としての彼女が耳を傾けることになる、何人もの登場人物の告白である。そしてそれらの告白は、千差万別でありながら、あるひとつの共通点をもっている。それは、いずれの告白も何らかの理由で歪められ、壊れてしまった人々の愛を語っている、という点である。

 死なれてはじめて自分が妻のことを何も理解していないことを知りながら、そのことをどうすることもできない老人、自分がスター歌手の妻であることを信じるあまり、現実世界そのものから逃避した女性、可愛がっていたはずの犬を両親の目から「隠す」ために殺し、しかしその事実を受け入れることをひたすら否定している少年、誰かに支配してもらいたいという強い思いの果てに、ドラッグのなかにしか安らぎを見出せなくなった女、妻と子どもを殺してすべてを見通す力を得ながら、まさにそのことで生きる喜びを失った占い師――「聞き屋」に告白を聞いてもらいにやってくる客も、本書の舞台となる名もなき街の住人たちも、いずれも狂った愛がもたらした不幸によって人間社会からドロップアウトし、自分だけの現実のなかに引きこもって生きるしかなくなった者たちである。

 本書の世界において、何をもって普通とするかを考えることほど無意味なものはないが、少なくともひとつだけわかるのは、そんな彼らの愛は一方的なものでしかなく、それゆえに、常に自分のなかのみでぐるぐると回りつづけ、出口を見つけることも、誰にも伝えることもできずに自家中毒を引き起こすことを宿命づけられた愛だということである。いっさいの感情を封じ込め、葉との関係の深さを肉体関係によってしか推し量ることのできない「私」は、「聞き屋」という不思議な仕事をつうじて、そんな人々の唯一の愛のはけ口としての自分を意識するようになる。それは、性のはけ口である娼婦と、ある意味で似たような仕事だと言える。「聞き屋」は、言葉によって語られる一方的な愛のはけ口となり、そのことで人々は自分だけの現実を生き直していく。そして、その奇妙な愛の告白は、葉との関係と絡み合い、少しずつ「私」の心に変化をもたらしていく。

 誰も見向きもしない見捨てられた街で、けっして叶うことのない愛をむなしく吐き出しつづける、存在しないことになっている人々――自分を傷つけ、愛を知らないまま自殺してしまったキオミと、生きているが生きること自体を責め続ける「私」、そしてそんな「私」がたったひとり、生きる希望として見つけた葉は、愛を受けられない人々がいるという現実から、どうしても目をそむけることができずにいる。いずれも、どこにも向かうことのできない、愚かで、狂おしいまでに純粋な感情であり、それゆえに自分も相手も傷つけずにはいられない。本書はたしかに、そのタイトルにもあるとおり、奇妙な愛をめぐる物語である。だが、その愛の奇妙さ、愚かさを、はたして私たちは笑うことができるだろうか。(2006.05.25)

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