【扶桑社】
『南の島のたったひとりの会計士』

屋宮久光著 



 私が第二種情報処理技術者(現:基本情報処理技術者)の国家資格を取得したのは、今から七年ほど前のことになるが、およそシステムの現場にかかわっている人たちのあいだではあまり評判は良くなく、ほとんど役に立たない資格という認識があったのを覚えている。

 もちろん、ここ最近の試験内容のことは把握していないし、もしかしたら私が試験を受けた頃よりもレベルは高くなっているのかもしれないが、私自身の経験からすると、この指摘は正しい。じっさい、システム開発の現場において、情報処理技術者の資格取得のために勉強した知識が役に立ったことはほとんどなかった。せいぜい新入社員の教育のさいにいくつかの知識を披露できたという程度のもので、現実には新しいプログラム言語を覚え、経験を積んでいくことで得たスキルのほうがよほど役に立った、というのが正直なところである。

 一時期、資格の数を増やしていくということに凝っていた時期のある私だったが、せっかく資格を取得しても、現実の仕事で生かす機会がなければたちまち錆びついてしまうこと、そして資格をとることが、かならずしも良い仕事ができるということに結びつくわけでないことを実感してからは、むやみに資格をとるということはしなくなった。今回紹介する本書『南の島のたったひとりの会計士』は、難関資格のひとつである公認会計士の資格をとった著者が、なぜか奄美大島に事務所をかまえてしまうという体験記であるが、本書を読み終えて、ふと自分の資格取得時代のことを思い出したのは、著者が得た公認会計士としてのスキルが、まさに彼自身のやりたいこと、やるべきことに対してどのような意味をもつものであるのか、という点について、考えさせられるものがあったからに他ならない。

 本書のなかでも説明されていることであるが、法人の決算において公認会計士のお墨付きを必要とするのは、上場企業とか資本金が五億円以上の企業とかいった団体のみであり、基本的に中小企業ばかりで成り立っている奄美大島において、公認会計士の資格は不要のものであり、そのスキルを生かす場はほとんどないと言ってもいい。にもかかわらず、著者が公認会計士として約束された高収入の道を断念してまで故郷である奄美大島に戻り、事務所を開く決意をしたのは、父親の死というきっかけもさることながら、現在危機に瀕している島の経済をなんとかしたいという一念があったからだ。

 沖縄をはじめとする日本の南の島に対する私たちのイメージは、どこかのどかで人なつっこい島の人々、そして心を癒す美しい自然と海という、要するに非日常としてのリゾート地というものであり、小説でいえば池上永一の描く沖縄がそれにあたるのだが、そのいっぽうで同じ小説家の目取真俊が描く、第二次大戦中に戦場となった沖縄の姿もまた、けっして忘れてはならない沖縄の一面である。本書に書かれている奄美大島の姿は、おもに経済の面からとらえたものだと言えるのだが、そのことによってこれまでの私たちがなかなか想像することの難しい、島の経済のこと、島が抱える問題、ひいてはリゾートで一時期遊びにいくのではなく、そこに生活する者として生きていくことを前提とした現実的な視点が生じることになる。それは、間違いなく今までにない視点であり、だからこそ本書は興味深いものを読者にもたらしてくれる。

 一度思い込んだら目標めざして猪突猛進してしまう著者の性格と、数字がすべてのある意味シビアな会計士としての考えは、ことあるごとに奄美大島の人々の感覚と衝突することになる。公私のお金の区別もできないずさんな帳簿、時間に対するルーズさ、国の公共事業に頼りっきりで、商売をしていくという気概のない経営者たち――本書はそんな理想と現実とのギャップに、一時期はアルコール依存症にまで陥った著者が、それでもなお奄美大島の経済復興のためにできることを模索していくというものであるが、ここで重要なのは、それまであくまで「公認会計士」として貢献できることという前提で物事を考えてきた著者が、そもそもの目的のためにそうした枠にとらわれた考えをいったん放棄し、もっと柔軟に企業の経営をコンサルタントしていけるような立場を目指すようになったという点である。

 そうした視点は、おそらく「公認会計士」のプロフェッショナルでありつづけようとするなら、永遠にたどり着くことのできない視点だっただろう。そしてそれは、本書のなかではいかにも簡潔に書かれていることではあるが、現実にはとてつもなく険しい道のりだったに違いない、と思わせられるものがたしかにある。

 本書で解説を書いている山田真哉は、著者の奄美大島への取り組みを「野球選手がサッカーをしているようなもの」と表現しているが、まさに同じ公認会計士であるからこその指摘だと言える。じっさい、山田真哉の解説は本書の書評としてもこれ以上はないというすぐれたもので、正直なところ私の出る幕などないに等しいところであるが、山田真哉が『女子大生会計士の事件簿』という小説を書いたり、本書の著者が地域経済の活性化に奮闘する姿を見るにつけ、何かのプロフェッショナルであるはずの人たちが、その守備範囲を超えて活躍していくという点に、日本の今後のありかたが垣間見えるのではないか、という思いがある。

 ドッグイヤーという言葉をとりあげるまでもなく、情報処理技術の分野もたった数年のうちにその仕事内容が大きく様変わりしていったし、それは今後ますます拍車がかかっていくことだろうと思っている。インターネットの普及は、技術者にいかに多くの知識を積み込むことができるか、というスキルよりも、いかに必要な情報を探し、手早く集めることができるのか、というスキルのほうを要求するようになっているし、ただたんに要求されたシステムをつくっていくだけでなく、その会社のかかえる問題点を見つけ出し、それを克服していくようなシステムを逆に提案していくスキルも必要となってきている。そして、そうしたスキルの基本になるのは、けっきょくのところ人と人とのつながりという点に集約されていくのではないだろうか。奄美大島というフィールドで経済活性化という大きな目標のため、さまざまなことに積極的に取り組もうとしている著者の奮闘記から、読者ははたして何を学ぶことになるのだろうか。(2007.05.26)

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