【ソニー・マガジンズ】
『アバラット』

クライヴ・バーカー著/池央耿訳 

背景色設定:

 ファンタジー小説の王道的展開のひとつとして私がよく知っているのは、主人公がとあるきっかけで、もともといた世界からまったく次元の異なる世界へと転移させられる、というものであるが、たとえば「ナルニア国ものがたり」にしろ、「ハリー・ポッター」にしろ、あるいは「十二国記」の陽子にしろ、もともといた世界、つまり私たちがよく知る現実世界における主人公たちの境遇はけっして良いものではなく、むしろ冷遇されていることのほうが圧倒的に多かったりする。

 もちろん、主人公が今いる世界にすっかり満足していたりしたら、それこそ物語が進まないことになるわけだが、子どもたちにとって家族や学校といったごく狭い範囲の環境が全世界に等しいものであることを考えたとき、もしその世界で不当な扱いを受けていたとしても彼らには逃げ場がない、ということになる。本のなかの世界は、ときにそんな彼らにとって「世界はそこだけではない」というメッセージの発信源となることがあるが、その役目をもっとも端的に表現するものこそが、「異世界への冒険」というファンタジーの王道的プロットだと言うことができる。このとき、ファンタジーが荒唐無稽な作り話でしかないという批判は、それこそ的外れなものとなる。

 重要なのはファンタジー世界がどれだけリアルであるかということではなく、異世界という対象をつうじて、子どもたちが自分たちの属する世界を相対化することにこそある。「世界」はけっして目に見えるものだけではない、というメッセージは、ときとして子どもたちの生きる力にもなる――今回紹介する本書『アバラット』もまさに、「異世界への冒険」というファンタジーの王道を髣髴とさせる作品である。

 そんなことがあり得るだろうか?
 チキンタウンの名もない一少女が、見も知らぬ世界で果たすべき、いったいどんな役割があるだろうか?

 本書に登場するキャンディ・カッケンブッシュもまた、彼女の生まれ育ったチキンタウンという現実世界にどこかなじめないものを感じている女の子である。失業中でのんだくれの父親は家族に対して暴力的な振る舞いをやめようとはしないし、彼女の担任教師はキャンディを目の敵にする傲慢な性格、おまけにチキンタウンは、その名のとおり養鶏以外には何の特色もない町で、学校を卒業してもチキン工場で働くくらいしか道がないというありさま。キャンディはもちろんこの町で一生を終えるつもりなどさらさらないが、といって自分が何をやりたいのか、まだはっきりとわかっているわけではなく、できることといえばただ想像力をはたらかせて夢想にふけるくらいのものである。

 そんな彼女が、まるで何かに導かれるかのように「アバラット」と呼ばれる異世界へと流れ着き、そこでまさに冒険活劇を繰り広げるというのが本書のおおまかなあらすじであるが、ひとつだけ押さえておくべき点があるとすれば、それは「ここではないどこか」に対する強い憧れが彼女にはあり、「アバラット」への転移もキャンディ自身の能動的選択の結果だという点である。

 本書を読んでいくとおのずとわかってくることであるが、「アバラット」はファンタジー的な美しさを内包する世界ではなく、むしろ不気味さの世界、異形の者たちが闊歩する怪奇の世界である。そもそも、キャンディがチキンタウンのはずれにある草原で出会う最初のアバラットの住人にしてからが、頭から生えた枝角に七つの顔が鎮座する大盗賊ジョン・ミスチーフとその兄弟なのだから、ふつうの人にとっては度肝を抜かれる容姿である。だが、最初こそおおいに驚くものの、キャンディはミスチーフのその奇怪な容姿にもかかわらず、すぐに彼を自分と同じ人間として接するようになる。そしてその要因のひとつとして、ミスチーフの紳士的な態度が彼女に親しみを与えたというものがある。

 ここから見えてくるのは、キャンディにとって重要なのは、対峙する者の見てくれではなく、その人物が自分に害をおよぼすかどうかという点が、相手を評価する大きな基準となっていることだ。当然といえばあまりにも当然な価値判断ではあるのだが、危ないと思うものから身を守るためには、こうした洞察力が何よりもものをいうことを、平和な時代に生きる私たちはつい忘れてしまいがちになる。キャンディにとっての現実世界は、父親にしろ担任教師にしろ、自分に害をおよぼす者たちにかこまれており、しかも子どもであるがゆえに逃げるという選択肢もままならない状態にあった。自分と同じ「人間」であっても、彼女にとって自分をおびやかす存在はただの「敵」であり、なんらかの対処をしなければならないという認識が、キャンディの「未知の世界」に対する適応力の高さとなって結びついていると言うことができる。

 どう考えたところで、チキンタウンに用はない。それにくらべて、この不思議な未知の世界に迷い込んだのは、生まれ変わったに等しかった。
 新しい星の下に、新しい人生が待っている。

 言うまでもないことだが、時間の概念がそのまま島の場所と結びついている「アバラット」、より正確には「アバラット群島」の存在そのものもまた、本書の大きな魅力のひとつである。二十四の島がそのまま二十四の時間帯を意味するアバラット――それぞれの島に独自の生物や文化、気候があるばかりか、魔法も科学も存在し、まさにあらゆる物事がごちゃまぜになった世界である。さらに幻の二十五時を象徴する島の存在や、アバラットから魔法を駆逐しようともくろむコメクソ・シティの創設者ロホ・ビクスラー、海の底に眠るおおいなる災いを復活させようともくろむ真夜中の王クリストファー・キャリオン、その腹心でキャンディを執拗に追い回すオットー・ハウリハンなどなど、摩訶不思議な存在や魅力的なキャラクターが入り混じって、壮大な物語の胎動を期待させる。

 チキンタウンにおいて身の置き所のなかったキャンディが、あらたな居場所と役割を求めて飛び込んだ異世界で、はたして何が彼女を待ち受けるのか、そして彼女の到来が、はたしてアバラットにどのような運命をもたらすことになるのか、続きがなんとも気になる作品である。(2013.08.05)

ホームへ