【早川書房】
『A型の女』

マイクル・Z・リューイン著/石田善彦訳 



 私立探偵、と聞いて、あなたは何を想像するだろうか。素行調査から公安事件まで、およそ依頼された仕事は完璧にこなし、ときには警察もお手上げの難事件を、鋭い洞察力と卓越した頭脳で見事に解決していく、シャーロック・ホームズのような凄腕の人物だろうか。それとも、鍛え上げられた肉体と不屈の精神力でどのような修羅場もかいくぐり、敵とわかれば野獣のごとく息の根をとめる、くわえ煙草とブラックコーヒーが似合いそうな孤高の一匹狼のような人物だろうか。
 物語、という観点ではいかにも絵になる、魅力的な職業であることは間違いないのだが、彼らとて人間である以上、生きていくためには働いて金を稼がなければならない。警察でもない彼らがそうそう頻繁に殺人事件とかかわるとは、普通は考えにくい。となれば、彼らの日常は暇をもてあましているか、何か副職をこなしているか、さもなければ神経質な中年女性が依頼する夫の素行調査といった、地味な仕事をコツコツと続けている――というのが正しいのかもしれない。

 本書『A型の女』に登場するアルバート・サムスンという私立探偵は、良く言えば庶民的、悪く言えば地味な部類の探偵だ。なにしろ煙草は喫わない(というか、喫うところを見たことがない)、コーヒーは多少たしなむようだが、どうもコーヒーよりもオレンジジュースのほうが好きそうだし、一度は結婚し、子供も産まれたがけっきょく離婚、今はさえないひとり暮らし、という素性の持ち主で、おまけに探偵としての仕事も半月ばかり音沙汰なく、退屈な日々を送っているという、あまりパッとしない三十七の中年男なのだ。そして、こんな彼のところに仕事の依頼にやってくる客も、ハードボイルドには必要不可欠な謎の美女などではなく、まだ十五歳の乳臭い子供だったりする。

「私の生物学上の父を探してほしい」――エロイーズ・クリスタルと名乗った少女は、血液検査によって自分が両親の子供ではないと判断したらしい。涙ながらに訴える彼女の依頼に、アルバートはどのような感情を抱いたのだろう、ともかく彼は、エロイーズの依頼を引き受け、調査に乗り出すことになる。

 さて、このアルバート・サムスンという男、上述したように基本的に派手なアクションとは無縁の、地味なタイプの探偵であるが、その活動も、図書館で昔の新聞記事を記録したマイクロフィルムと一日じゅう格闘したり、新聞記者になりすまして取材と称した情報収集をしたりと、非常に地味である。地味であるばかりか、ある人物を尾行するために車から降りると、戻ってきたときには駐車違反のステッカーを貼られていたり、ある場所に首尾良く侵入し、重要な情報を手に入れることができたのはいいが、侵入するのに使った三脚をうっかり置きわすれてしまったりと、探偵というには少しばかり間が抜けていたりする。もちろん、そんな人間臭いところがアルバートという人物の大きな魅力であることは言うまでもないのだが、さらに重要なのは、彼が探偵という職業について彼なりの価値観をちゃんと持ち合わせており、依頼人に対して誠実であろうとするその態度があってこそ、本書の物語がきちんとした物語として機能する、という点であろう。

 そう、アルバート以外の探偵では、笑って相手にしないか、両親に直接聞いてみたらどうかと言うのが関の山だろうし、実際にそのとおりだった。だが、少なくともアルバートは――それが最初は暇つぶしにはなるかもしれない、という考えからきたものであっても――エロイーズの依頼に耳を傾け、本当の血を分けた父親を探すための調査を開始した。そしてそのことによって、物語はたんなる父親探しから、大富豪クリスタル家の、その巨万の富の裏に隠されたドス黒い秘密に迫るところにまで発展していくのである。

「世の中、お金がすべてだ」とうそぶく人がいる。それはある意味事実だろう。よほどの聖人君子でないかぎり、生活にゆとりがなければとても他人に対して寛大にはいられないし、逆に金に不自由していなければ、心にも余裕が生まれてくる。そして、心の中に野心を抱いている者にとっても、金の力は必要不可欠なものであるだろう。金自体は、たんなる約束事でしかない。だが、その約束事のために平気で人を殺したり、自分の子供を売ってしまったりすることがある。地味な調査活動をする地味な探偵の活躍する本書は、金のもつ魔の力を、そしてその力に屈することなく、あくまで私立探偵としての誇りと信念にもとづいて行動をつづけた人間の意思の力を、たしかな構成力とともに教えてくれる物語でもあるのだ。願わくば、アルバート・サムスンのニ度目の春が早くやってきますように。(1999.11.11)

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