【新潮社】
『シャーロック・ホームズの冒険』

コナン・ドイル著/延原謙訳 



 およそこの世に数多く生み出されてきた探偵のなかで、シャーロック・ホームズほどの有名人は、他に類を見ない。作者の名前は知らなくとも、ホームズの名前なら知っている、という方も少なくはないはずだ。奇怪きわまりない殺人事件が発生したときに、警察の捜査などでは見落とされていた情報を、そのたぐいまれな洞察力で拾い集め、まるでそれが必然であるかのごとく真犯人とその殺害の手口を導き出してしまう探偵という職業――その原型ともいうべき形を確立したシャーロック・ホームズの初期のころの活躍を、10の短編という形で収めたのが本書『シャーロック・ホームズの冒険』であるが、この短編集を読んでまず感じ入ったのは、それらが純粋な意味でのミステリー、つまり読者にも推理をうながすという体裁のもとに書かれたものではなく、むしろシャーロック・ホームズというキャラクターの活躍を描くという点に注力されていることである。

「いったい理想的な推理家というものは、一つの事実をちゃんと提示された場合、その事実から、そこにいたるまでのすべてのできごとを、のこる隈なく推知するばかりでなく、その事実につづいておこるべき、すべての結果をもよく演繹するものだ。」

(『オレンジの種五つ』より)

 本書に先立つホームズの活躍を描いた長編として『緋色の研究』と『四つの署名』があり、本書は少なくともその後の時代の話という前提があるものの、この時点で彼の私立探偵としての名声はある程度確立されているところがあり、イギリス国内ばかりでなく、諸外国の王室関係の者たちですら一目を置いていることになっている。ゆえに、本書の短編において彼がかかわることになる事件の大半は、彼の住んでいるベーカー街の部屋に依頼人が舞い込んでくるという形をとる。じっさい、『ボヘミアの醜聞』においては、ボヘミア国王みずからがホームズに助力を求めて彼の部屋に訪れているのだが、そこまでの名声を得ているからには、それにふさわしいだけの能力があることを、読者に説得力のある形で提示する必要がある。

 本書を読むかぎりにおいて、ホームズの設定としてのスキルは相当に高い。化学の実験もすれば論文も書き、ヴァイオリンを演奏し、作曲も手がける。あらゆる著名人のことを記載し、多方面にわたる見識と知識を誇り、変装の技術に長け、格闘においてもそれなりの自信のほどを見せるなど、彼の特長を示す記述はさまざまなところに見受けられるのだが、なによりもホームズの探偵としての特異さを際立たせるものとして、どんな小さな事柄も見逃さない驚異的な観察力が挙げられる。じっさい、彼が依頼人をひと目見ただけで、その職業や身分、暮らしている場所や直前にどんなことをしていたかといったことをことごとく見抜いてしまうというパフォーマンスは、本書のなかで何度となく繰り返されているものであり、ホームズの探偵としてのスキルの高さを読者に印象づけるにふさわしい演出でもある。

「推論の根拠を聞くと、いつでもばかばかしいほど簡単なので、僕にだってできそうな気がするよ。それでいて実際は、説明を聞くまでは、何が何だかわからないのだから情けない。眼だって君より悪くなんかないつもりなんだがねえ」

(『ボヘミアの醜聞』より)

 ホームズといえば欠かせないのが、彼の助手として登場するワトスンであるが、ともすると探偵の引き立て役というイメージをもたれがちな「ワトスン役」としてではなく、実際的な意味での助手、そして語り部としての役割が強い。アフガン戦争に従事していたという過去や、彼がふだんは医者として働いている博士であることなどを鑑みても、けっして頭が悪いわけではなく、探偵の引き立て役というよりは、ホームズの良き相棒であり、また常識人という位置づけのほうがしっくりくる。ただ、本書が常にワトスンの一人称で書かれており、それゆえにホームズの推理の思考や見えているものが、ワトスンの目には見えていないという立場を読者も共有することになり、必然的にホームズの冷静的確な推理に驚かされるという部分が印象づけられるところはある。

 本書を読み進めていくとわかってくることであるが、ホームズという人物はけっして完全無欠というわけではない。本書の最初に載っている『ボヘミアの醜聞』では、結果としてホームズは目的を果たすことができず、アイリーン・アドラーにまんまと逃げられてしまうし、『オレンジの種五つ』においては、依頼人をみすみす死なせてしまってもいる。また、彼の強い自負心はワトスンですらときに不快を感じさせるものであるし、そうであることが当然であるかのように断定的な口調や社交界に対する偏屈な態度など、けっしてとっつきやすい人柄でもない。何かにのめり込んでいるときは寝食を忘れて集中しつづけるいっぽう、その緊張が解けると一気に夢見心地の、けだるそうな態度を隠そうともしないという極端さなど、むしろ欠点の多い性格とさえ言えるのだが、そのあたりの人間味は、逆にホームズという人物の魅力ともなっている。ミステリーというジャンルにおいて、探偵役をになう人物はときに「謎を解く装置」と化してしまいがちであるが、けっしてそこにとどまることのない人間としての魅力が、ホームズにはたしかに存在する。

 そしてもっとも注目すべきなのが、ミステリーとしては定番の殺人事件との絡みが意想外に少ないという点だ。じっさいに本書のなかで、最初から殺人事件として捜査に乗り出すのは『ボスコム谷の惨劇』ただ一作のみで、むしろ殺人事件に発展しそうな要素を依頼人の話す情報から探り出し、それを未然に防ぐために手を打つというパターンのほうが多い。すでに起きてしまった惨劇の後追いをするという形ではなく、殺人事件を未然に防ぐという方向性――それは、上述の引用にもある「理想的な推理家」、つまり収集した事実から次に起こる結果さえも導き出すというホームズの信念と一致するものである。そして、現在にいたるまで「シャーロキアン」と呼ばれる熱狂的なファンが絶えないというホームズの魅力は、じつはこの一点にこそある。ホームズは、ときに犯罪として立件されることもないような案件にも興味を示し、首を突っ込むこともあるが、人のもつ自由といった権利や、命そのものが脅かされているような事態にかんして、その洞察力を最大限に発揮し、来るべき悲劇をなんとか回避するためにいち早く行動を起こすのである。

 超人ではあるが正義の味方というわけではなく、欠点は多いが人として真に大切なことが何なのかはきちんとわきまえている私立探偵――それが少なくとも私が本書のなかに見出したシャーロック・ホームズ像だ。はたしてあなたの見るホームズは、どんな姿をしているのだろうか。(2012.01.08)

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