【幻冬舎】
『みなさん、さようなら』

久保寺健彦著 
第一回パピルス新人賞受賞作 



 もともと外に出てどこかへ遊びに行くよりも、家のなかでのんびり過ごすことをより好む傾向のある私は、読書という趣味によってますます出不精になってしまったところがあるのだが、広大無辺ではあるものの、それまで訪れたことのない、それゆえになにかと勝手のきかない場所よりも、自身の生活の中心であり、たいていのことはわかっている場所のほうが安心できるというのは、誰もが多かれ少なかれ持ち合わせている心理だ。

 科学技術の進歩と、それにともなう各種交通機関の整備によって、私たちはその気になりさえすれば、世界じゅうのどこにでも行くことができるようになったが、ある場所をたんに訪れることと、自分の生活の場として定着することとのあいだには、大きな隔たりがある。そういう意味で、私たちの生きる世界そのものは限りなく広いが、私たち自身の「テリトリー」として認識できる範囲はけっして無限ではない。だが、それでも「その気になればどこへでも行ける」という選択肢があるというのは、それだけで心のありように大きな変化をもたらすものでもある。

 未知のものへの好奇心と、未知のものへの恐怖は、同じひとつの感情の表裏を成しているのではないか、とふと思うことがある。ごく限られた、勝手知った空間は居心地はいいが、そこから一歩も外に出られないとなると、それはそれで不満もつのるというある種の矛盾――本書『みなさん、さようなら』を読んで、ふとそんなことを考えたのは、本書の語り手である渡会悟が、小学校卒業を機に自分の生まれ育った団地から、まさに一歩も外に出ることがなくなり、あくまで団地内ですべての生活を完結させていくという、その特殊な生活スタイルが特徴的だったからでもある。

「あなたの世界は狭すぎる! どうしてもっと広い世界に目を向けないの!」
「なんでいけないの? 友だちはたくさんいるんだし、働くとこが家のそばだと、なんかまずいかな? 通勤ラッシュとか関係なくて、楽でいいじゃん」

 中学への登校を拒否しつづける悟への説得をこころみた担当教師の、「一生団地のなかで暮らすのか」という問いかけに、悟はなぜそれがいけないことなのかと問い返しているのだが、それはある意味で当然の疑問だとも言える。なにせ悟たちが住む都営芙六第二団地には、公共施設として遊技場やトレーニングルーム、図書館、保育園をはじめ、飲食店やクリーニング店、郵便局に病院と、ひとつの街にあるべきものの大半が揃っているうえに、悟の年の学級は全員が同じ団地に住んでいるのだ。たしかに、その気になれば団地のなかだけで生活に必要なものはたいてい揃ってしまうし、勉強もできてしまうのだろうと想像はつくのだが、悟にとっての誤算は、107人いた同じ学年の子どもたちが、引越しなどの理由で団地から出ていってしまうという可能性を考慮に入れていなかった点だ。そして物語が進むにつれて、団地からいなくなる友だちの数は確実に減っていくのである。

 団地の敷地内という、きわめて限定された空間のなかだけでいかに生きていくか、というインパクトのある設定が面白い本書であり、じっさい悟は、団地のなかだけでじつに18年という歳月を過ごすことになる――それこそ就職から恋愛、はじめてのセックスや婚約といった、人生におけるさまざまなイベントをひととおり経験さえしてしまうのだが、上述したとおり、彼の同級生が団地からいなくなっていくことを止めることはできず、またそれが悟にとっての「誤算」であるとわかっているのであれば、なぜ団地の外に出て、あらたな友だちを探そうとしないのか、という疑問が当然のことながら生じてくる。そして、一度そうした疑問に気づいてしまうと、本書における悟の言動にはいろいろと不審な部分があることが見えてくることになる。

 たとえば、悟の母親の妙な物分りの良さや、同級生たちの動向をチェックしなければ気が済まず、毎日のようにパトロールと称した調査を繰り返すこと、自分の肉体を鍛えることへの偏執的なまでの情熱や、悟に助っ人を頼むためとはいえ、他校とのケンカの場所にわざわざ団地の敷地内を選んでくれる同級生たちの、妙なまでの気遣いなど、どこか腫れ物を扱うかのような雰囲気が彼の周囲には常に漂っているのだ。物語の中盤あたりで、悟が団地から出なくなった――より正確には、団地から出られなくなった原因となる、小学校の卒業式の場で起きたある事件のことが語られるのだが、そうして彼がその心のうちにかかえている問題がはっきりすることで、何か現状をひっくり返すような変化が生じるかといえば、そんなことはない。むしろ、同級生たちの次第に広がっていく世界とは裏腹に、団地内の世界にとどまらずにはいられない悟の世界との温度差は、年月とともにますます大きくなっていき、そのことが彼の孤独感をますます深めていくという悪循環が生じていく。それでなくとも、団地に住む同級生たちの人数は減ることはあっても、けっして増えはしないことを、悟は誰よりも理解している。そして理解していながら、彼にはどうすることもできないのだ。

 それは他人を思いやっているようで、その実、自分のための迂遠な安全確認だった。――(中略)――言うまでもなくおれの行為は、二つながらに欺瞞的だった。内部が外部に比べて安全だという保証はないし、いくら狭い団地でも、そのすべてを知り尽くすことなんかできない。

 大勢の住民をひとつところに集めておく団地という建造物は、多分に昭和なる時代の象徴のひとつでもある。かつてはどこの棟も入居者でいっぱいだった団地も、櫛の歯が抜けるように空き部屋が多くなり、老人の孤独死や施設の閉鎖、外国人の入居や団地全体のモラルの低下といった負の要素が目立ってくるのだが、それが時代の趨勢であるとすれば、その古き時代にしがみついて生きている悟のある種の不器用さ、要領の悪さにはたまらない気持ちにさせられる。どれだけ体を鍛えて格闘技を身につけても、どれだけ知識を蓄えても、団地の内で完結してしまっている彼の世界は広がってはいかない。それは見方によっては、何もかもが変わっていく世のなかに対して、変化しないでいるという矛盾を自身に課す苦行のようでさえある。

 団地というかぎりなく狭い領域を自分の全世界であるとさだめ、そのすべてを知り尽くそうとした悟――それは、あくまで自分の世界を守るためのものであったが、その視点が真の意味で自分自身から他人へと向かったとき、はたしてどのような変化が彼に生じることになるのか、ぜひともたしかめてもらいたい。(2010.02.16)

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