【東京創元社】
『秋の花』

北村薫著 



 けっして許されない過ち、取り返しのつかない罪、というのが、この世にはたしかに存在する。たとえば、明らかな殺意をもって人を殺せば当然のことながら殺人罪であるが、たとえ殺すつもりがまったくなかったとしても、その行為の結果として人が死んだとすれば、それは過失致死ということになる。刑法について詳しいわけではない私にとって、前者と後者のどちらが重罪となるのか、ということについては、ケース・バイ・ケースだと答える以外にないのだが、それよりも重要なのは、かけがえのない人の命を、その未来の可能性を奪いとってしまった、という意味では、どちらも取り返しのつかないことであり、どちらも同じくらいに重い事実であることに変わりはない、ということだ。

 包丁や、あるいは自動車といった道具はたしかに便利なものであるが、使い方によっては一撃必殺の凶器にもなりえるものである。その事実に無頓着なまま包丁を振り回し、車を乗り回した結果、他人を傷つけたり殺したりしてしまったとすれば、それはその人の自業自得だとしか言いようがない。だが、この世には本当に「おもいがけないこと」というのが起こることがある。そうした「運命の悪意」に絡めとられてしまった人の犯した「許されない過ち」は、どんなふうにして扱われるべきなのだろうか。そして、心ならずも加害者となってしまった人は、その事実の重さゆえに救われることさえ許されないのだろうか。

 北村薫の円紫シリーズ第3弾である本書『秋の花』は、本シリーズはじまって以来、最初の死人が出る作品でもある。今年で大学三年になるヒロインの「私」の、高校時代の母校である女子校、その文化祭前夜に起こった、生徒の痛ましい墜落死――津田真理子の遺体とともに灰になったはずの、彼女の教科書のコピーがきっかけでその事件にかかわることになった「私」は、死んだ津田真理子の幼なじみで、彼女と非常に親しくしていた和泉利恵の、常軌を逸した憔悴ぶりのなかに、今回の事件に関する何らかの隠し事があるのを察するが……。

 屋上に残されたうさぎの置物、赤くマークされた「見えざる手」の文字、鉄パイプを使ったチャンバラ、五人分の法被――短編集という形をとっていた、それまでの『空飛ぶ馬』『夜の蝉』と較べ、本書ではミステリーの王道でもある死者をとりあつかっていることも加えて、事件の手がかりとなるアイテムや情報がいかにもといった感じで物語中に配置されており、本シリーズのなかでは、ミステリーとしての要素をよりいっそう強くした作品だと言える。

 会話と会話のあいだで絶妙なタイミングをもって差し挟まれる情景描写や、缶ジュースのプルタブ(今ではすっかり見かけなくなってしまったが、それゆえに妙ななつかしさを感じさせるアイテムではある)などの小道具の使い方がうまく、あくまで「私」の日常を主体として物語を書こうとしているところなどは本シリーズを通しての特徴であるが、あるいは読者の中には、本書で死人が出るとわかったとき、失望を覚える方もいるかもしれない。というのは、本シリーズの一貫したテーマが「日常のなかに隠された人の心」であるとするなら、「人の死」という、常識的に悲しいに決まっている出来事をあえて持ってくることは、ある意味で安易であり、また物語を単純なものにしてしまう可能性がおおいにありえるからに他ならない。

 だが、そのような心配は本書を読み終えたとき、きっと嬉しい形で裏切ってくれるに違いない。というよりも、たんに謎を解くだけでなく、その裏に秘められた狂おしいまでの心の動きをも推理し、受け止めてしまう円紫師匠の魅力が、そんな私たちの浅はかな考えなどあっけなく飛び越えてしまうほどに強烈なものだと言ったほうがいいだろうか。

 それは、すべての推理を終えて、事件の真相を明らかにした円紫師匠が、津田真理子の母親に連絡をとるために電話ボックスへ向かう、その後ろ姿を見ながら「私」が思ったこのひと言に集約されている。

 私はその背中を見ているうちに分かった。ここまでの謎を解くことなど、実は子供の遊びのようなものなのだ。それからどうするかの方が、遥かに難しい本当の問題なのだ。

 普通、ミステリーにおける謎というものは、犯人が自分の犯罪を隠蔽しようとする行為の結果として生まれるものだ。その思惑が、たとえば証拠を意図的に持ち去ったり捨てたりすることにつながり、また事件とは関係のないものをあえて残したりして、捜査の混乱を起こさせようとすることにつながっていく。だが、よほど冷徹な殺人鬼か、あるいは強力な自己正当性をささえる観念を持つ者でなければ、「人の死」という、あまりにも重いリアルにその心がそうそう耐えられるものではあるまい。運命の悪意によって起こった事件、そして同じく運命の悪意によって、はからずも生まれてしまった謎――そこには、ミステリーに精通した読者であればあるほど、思わず感嘆のため息を漏らさずにはいられないほど意表をつく、至芸といってもいい心のトリックがあり、ミステリーにつきものの「謎」に対する、大胆な発想の転換があるのだ。

 そしてさらに言うなら、死んだはずの津田真理子が、さまざまな人たちの思い出という形で、もっとも生き生きとした女の子として、本書の中でたしかに息づいている、という事実だろう。その息吹が円紫師匠の推理と融合し、たとえその明日が消えても、「それでも、その意志が残ると思います」という言葉へとつながっていく。ひとつの物語として見ても、これ以上はないという出来ではないだろうか。

 私たちが自分の目で見る世界は、けっしてその全貌を明らかにはしない。その見えない部分に、どんなことでも起こりうる可能性があったとしても、けっしておかしなことではない。トランポリンから外れた男の人が、自分の頭上に降ってくることだってあるのだ。そしてもし、自分がその場にいなかったら、あるいはそこから逃げていたら――その男の人はあるいは頭から地面にぶつかって死んでいたかもしれない、と考えたとき、死すらもけっして特別なことではないのだ、という事実に気づく。

 けっして許されない過ち――その重みを受けとめて、それでもなお生きていく、ということについて、考えないではいられない。(2001.09.20)

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