【東京創元社】
『七人のおば』

パット・マガー著/大村美根子訳 



 これはあくまでたとえばの話だが、あなたのよく知る人が殺人を犯した、あるいは誰かに殺された、ということを聞かされたとすれば、よほどの事情がないかぎり、それはあなたにとって青天の霹靂となるだろう。およそ、人間の生において殺人という行為ほど不自然きわまりないものはない。本来なら生きながらえるはずだった命が、誰かの手によって強制的に断ち切られる――そのけっして取り返しのつかない事柄は、だからこそそこに何らかの理由を求めずにはいられないものだ。だが逆に言えば、死というのは誰にとっても重大なことであり、ある意味わかりやすい不自然さでもある。

 どれほど職務怠慢な警察も、現実に人が殺されれば動かずにはいられない。それは、殺人が誰にでもわかるほどの「不自然さ」であるからだ。だが、不自然さというのは、別に殺人だけに限った話ではない。ある人にとってどういった行為がその人の不自然さとなるのか、それはその人のもつ個性と同様、千差万別であろうが、もしある人の行為に違和感や不自然さを感じたとすれば、そこにはかならず何らかの理由が存在することになる。本書『七人のおば』を読み終えたときに私が思ったのは、探偵としての資質というのは、数多く示される事実のなかから、何がその人にとって自然であるのか、あるいは不自然であるのかを正しく見抜く洞察力にこそある、ということであり、それはまさに人としての資質を見抜く力ということでもある。

 結婚して旦那さんのピーター・ボーインとともにイギリスに移住したサリーのもとに、故郷であるニューヨークの友人から手紙が届いた。そこに書かれていたのは、サリーのおばがおじを毒殺し、おばもその後自殺してしまった、というショッキングな内容だった。だが困ったことに、その手紙には「あなたのおばさま」としか書かれておらず、どの「おば」のことなのかがわからない。サリーのおばは全部で七人もいるのだ。ジャーナリストとして働いているピーターが、翌日ニューヨーク・タイムズのバックナンバーを調べてみると請け負ってはくれたものの、おばたちの人柄や過去をよく知っているサリーは、殺人事件のことがどうしても気になって眠れず、悪い想像を膨らませていくばかり。そこでピーターは、サリーにおばたちのことを詳しく話してくれれば、犯人と被害者が誰なのかを見当をつけられると請け負うことになる。

「――やったと考えられるのは一人しかいないし、それ以外の六人は、アメリカ女性の九十パーセントと同じく殺人を犯す可能性がないってことを、きみに証明してやれるかもしれないぞ。その点がはっきりすれば、きみも楽な気持になって、半ダースもの殺人狂をおばさんに持ったなんていう、病的な空想を振り捨てるに違いない」

 殺人事件があったという事実だけが明確で、その犯人はおろか、被害者が誰なのかすら特定できない状態から話を聞き、すべてを推理するという変則的なミステリーが本書であり、物語のラスト、それも本当にあと数ページで終わるという段階になってピーターが示す謎解きも、シンプルながら読者の意表をつくものだ。そういう点から判断しても、本書のミステリーとしての完成度が相当なものであるのはたしかであるが、何より本書を特徴づけているのは、七人のおばたちの強烈なキャラクターである。ある意味、彼女たちのひとクセもふたクセもある性格と、そこから発生する数々の家庭内での問題があまりにも興味深いものであるがゆえに、読者の大半は「おばたちの誰もが犯人の可能性がある」というサリーの言葉がけっして誇張でもなんでもないことを実感し、まんまと真相から遠ざけられてしまうことになる。

 サリーの思い出話に登場するのは、被疑者となる七人のおばと、被害者としてのおじをふくめて十人を超える。海外翻訳ものの作品にありがちなことのひとつとして、登場人物の名前とその相関関係がなかなか頭に入ってこない、というものがあるが、本書にかぎってその心配はまったくの杞憂である。じっさいに本書を読み進んでいけばおのずとわかってくることであるが、物語のなかでおばたちは、結婚と新婚生活というイベントにかんして何度もトラブルを引き起こし、そのたびにそれぞれのおばが決まって同じような反応を繰り返していく。とにかく腹違いの妹たちを結婚させ、家の世間体をたもつという考えに凝り固まっているクララ、アルコール依存症で突然失踪したりするイーディス、二度結婚し、二度とも夫との関係を悪化させているアグネス、プラトニックな愛以外に愛情表現の仕方を知らず、どうしても男の生々しい部分を受け入れることのできないモリー、惚れっぽくて、とくに人の婚約者に手を出さずにはいられないドリスに、そんな妹に婚約者を奪われるはめになったテッシー、浪費家のジュディ――それぞれが性格的に大きな問題をかかえており、その問題がことあるごとに表面化されていくという物語の展開は、結果としてそれぞれのおばの性格を何度も強調することになり、読者の登場人物への印象もまた深まっていく。

 それぞれの章の合間には、ピーターとサリーのやりとりが必ず挿入されていて、過去のエピソードやそれぞれのおばたちの性格について補完する役目をはたしている。こうした、物語構造と登場人物たちの性格とを結びつけていく妙技は見事というほかにない出来栄えであるが、私がとくに注目したのは、他ならぬピーターの存在である。サリーの夫にして、探偵役でもある彼にとっても、サリーのおばたちのことは今や他人事ではない。もし彼が、犯人と被害者が誰なのかが特定できなければ、自身の妻となったサリーもまた、どこか狂ったおばたちと同じであることを暗に認めてしまうことになる。それはピーターにとってはもちろん、何よりサリー自身のために絶対にしてはならないことだ。

 サリーの話のなかに登場するおばたちの結婚生活は、いずれもどうしようもなく泥沼化してしまっている。それは本書を読み終えた誰もが同意せざるを得ない事実である。となれば、サリーとピーターの結婚生活は、彼女の家族にとっては最後の砦ということになる。ひょんなことから探偵役を引き受けることになったピーターであるが、じつのところ彼は、ふたりの幸せな結婚生活という大きな掛け金をかけた戦いをしていたといっても過言ではないのだ。

「きみの話が呑みこめてきたよ」ピーターは言った。「おばさんたちの何人かは殺意を抱きかねないってことが。ただし、だからといって自分に変なところがあるなんて思っちゃいけない。――(中略)――われわれが直面してる殺人は一件だけだ。七件じゃなくてね」

 探偵は常に、起こってしまった過去を正しく定義するという宿命を負う者である。あつかう事件が過去のものである以上、それはけっして改変することはできない。本書はそのミステリーとしての完成度もさることながら、何より来るべき将来を守るための推理という形を見せてくれた、という意味においても、間違いなく新機軸だと言うことができる作品である。(2007.11.20)

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