【早川書房】
『第六大陸』

小川一水著 

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 前回紹介した山本弘の『去年はいい年になるだろう』のなかで語り手も語っているように、私たちの世代の人間が小さい頃に思い描いていた21世紀は、宇宙と分かちがたくつながっていたものだ。人類は地球を飛び出して宇宙ステーションを建設し、月や火星、あるいはもっと遠くの星々にまで手をのばしているし、その頃には宇宙旅行も飛行機に乗るのと同じくらいあたり前のものとなっているに違いない――それは、けっして遠い未来のことではなく、自分たちが大人になる21世紀にはある程度実現しているものだと、何の疑いもなく信じることができた。

 ところがじっさいに21世紀になって10年以上も経っているにもかかわらず、人類は宇宙旅行はおろか、月への進出すらままならない状態だ。来るべき宇宙世紀はいまだ実現せず、人類はあいかわらず地球の重力にとらわれ、日々の生活に追い立てられている。科学技術はたしかに進歩しているのに、その科学の恩恵が私たちの生活を豊かにしてくれているという認識が薄く、どこか未来に対して以前のような希望をもてずにいる。それは、小さい頃に夢みていた未来とどこか食い違っているし、私たちはそんな現在に困惑せずにはいられない。どうして私たちは、今も地球にとどまっているのか、と。

 私個人の話をするなら、宇宙に行ってみたいという憧れはあるが、強い願望があるわけではない。人間が生きるにはあまりに過酷な宇宙をあえて目指すより、居心地のいい地球にいるほうがいいと思う保守的な人間だ。だが、それでも私にとって宇宙進出というのは、輝かしい人類の未来の象徴なのだ。そしてだからこそ、今の現状に、未来が見えないという閉塞感がもどかしくて仕方がない。宇宙は、まだ人類にとって遠いのだろうか。飛行機の発達が戦争によってもたらされたように、外星人の侵略といった外的要因でもなければ、人々は宇宙進出という事業に本格的に着手しようとしないのだろうか。

「まだ」だめだろう――(中略)――もう少し――あと少しコストが安くなり、科学が進歩し、個々人が豊かにならなければ……しかし、誰にも気づかれることはなかったが、それは本当に「あとほんの少し」だったのだ。

 本書のタイトルになっている『第六大陸』とは、人類が目指すべき六番目の大陸という意味合いをもつ。そしてそれは、同じ地球上にある南極大陸のことではなく、月面のことを指している。かつてヨーロッパの人々がアメリカ大陸を目指したように、これからの人類が目指すべき新天地――2025年という近未来を舞台に、民間企業が月面に基地を建設するというストーリーを創造した本書の意味は、ことのほか大きい。

 2025年は読者にとって、けっして遠い未来ではない。それこそ、私たちが子どもの頃に思い描いていた21世紀と同じくらい、手の届く場所にある未来だ。そんな未来を絵空事ではなく、たしかなありうべき未来としてとらえるため、本書はさまざまな専門知識を駆使して構築されているが、それはただたんに収集した知識を披露するというものではなく、SFにおいて必要不可欠なセンスオブワンダーをおおいに刺激するものとなっている。それは、本書冒頭における、海底都市を進む深海交通艇の描写のなかで、すでに発揮されている。未知の領域に等しい深海のなかで、何をしたらどのようなことが起こるのか――もちろん、普通の電車に乗るのとはわけが違うのだということを、本書はごまかしなしで書き進めていく。それはこの物語の中核ともいえる大切な要素であるが、逆に言えば、2025年という近未来において、そうしたセンスオブワンダーの感覚なしに物語を書けば、それだけで物語はリアリティーを失い、絵空事ということになってしまう。

 しかしながら、本書を読んでいくとおのずとわかってくることであるが、登場人物たちが月を目指す――そして月面に基地を建てるという難事業に取り組む理由は、けっして論理的なものでも、打算の産物でもない。一部の人間については金儲けのため、という目的はあるものの、それもある意味で方便として使われているところが多分にある。とにかく飛びたい、宇宙に出たい、より困難な事業に挑戦したいという情熱こそが、登場人物を突き動かす動力源となっている。そもそもこの「第六大陸」計画の中心にいる少女、桃園寺妙からして、月面に結婚式場を建てるという目的のために今回の途方もない計画を打ち立てているのだ。

 費用対効果やコストパフォーマンスなどといった常識をいっさい無視したこの計画、こんなふうに書評のなかで書いてしまうと、いささか荒唐無稽なお話のように思えてしまうのだが、上述した圧倒的な専門知識とそこから生じるセンスオブワンダーのリアリティーが、夢を夢ではなく実現可能な事業として支えている。そして、私たちはともすると忘れてしまいがちになってしまうのだが、人間はけっして打算や損得勘定だけで動くわけではない。ときにそれが、人間の愚かさとして表われてしまうこともあるのだが、本書においては、そうした人間のもつある種の愚かさを不屈の意思から生まれる強さとして描こうとしているところがある。

 ただでさえ想像を絶する環境における、困難な事業である。資材を宇宙にもっていくことひとつとっても、並大抵のことではないにもかかわらず、ときにはNASAのプライドをかけた月面基地計画とぶち当たり、ときにマスコミによるネガティヴな報道に振り回され、ときに宇宙進出に否定的な団体に攻撃されたりと、数々の逆境が待ち受けるなか、はたして「第六大陸」計画はどのような結末を迎えることになるのか、そしてそこにどんな人間ドラマが展開されることになるのか、といった物語としての面白さもさることながら、本書のもっとも大きなテーマとしてあるのは、宇宙進出という大きな目的のために、多くの人たちの情熱が集まっていくところにこそあると言うことができる。もとより、宇宙という苛酷な環境に立ち向かうためには、大勢の人間の協力が不可欠だ。そこには、さまざまな思惑もあるのだろうが、それでもなお個々人が、自身のもてるものをかけて新天地へと向かっていこうとする――さらにその先を見据えていこうとする姿勢は、人間としてこのうえなく美しいし、また自分がそんな人類のひとりであるということに、感動すら覚える。

 誰の言葉かは忘れてしまったが、その誰かは、百回叩けば壊れる壁があるのに、九十九回叩いても壊れないがゆえに諦めてしまう人たちを嘆いていた。だがその嘆きは、「百回叩けば壊れる」ということを確信できるからこその嘆きであって、壊れる回数がわからない人間にとっては、壁を叩く行為はゴールの見えないマラソンに等しい。宇宙がいまだ手の届かない、遠い場所だと思い込んでいる人にとって、本書はまさに壁が壊れる回数を明示するものとなるに違いない――それだけのものが、この物語にはたしかにあるのだ。(2011.03.02)

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