【新潮社】
『第四の母胎』

スタンリー・ポティンジャー著/高見浩訳 

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 男性器の構造を何かにたとえたとき、もっともぴったりくるのが銃である、という話を、何かの本で読んだことがある。この場合、装填される弾はその使用目的によって異なってくるわけだが、男たちはある意味、生理現象のひとつとして日々ペニスという銃身をかまえ、弾を発射しているということになるのだろう。ズドン!

 生まれながらにして、その体にペニスという武器を宿した男たち――私もまた、その男のひとりであるわけだが、私も含めた世の男たちは、しばしばそれが銃であることを忘れてしまう。もしかしたら、それが武器だということすら意識していないのかもしれないが、それは同時に、その照準を合わせる対象が便器ではなく女性器となったときに、世の女性たちの大半が、あたかも殺傷能力のある本物の銃を突きつけられるのと同じような戦慄と恐怖を味わっているのではないか、という想像力の欠如を意味するものでもある。

 今ではあたりまえのように思われている男女平等という概念だが、その平等が法律上においても浸透しはじめたのは、ほんのつい最近のことである。そして、こうした法の有無に関係なく、世の女性たちがあいかわらず、さまざまな点で男性よりも不利な立場に立たされている、という事実を考えたとき、男女という性差を決定づける、乗り越えるにはあまりにも高いハードルである肉体的・生理的な違いについて、思いをめぐらせずにはいられなくなる。

 ワシントンのダウンタウンで、男の変死体が発見された。真新しい服を身につけたその男の体には、大規模な手術の跡があった。そして、検死の結果、その死体からは肝臓が抜き取られており、その代わりに不気味なメッセージを内包したプラスチックのベビー・ドールが埋め込まれていた――調べれば調べるほど不可解な点が露呈されてくる、なんとも猟奇的な事件を中心にして、本書『第四の母胎』は展開されていく。被害者が、かつて中絶クリニックを爆破した罪で逮捕された前科をもつ男であることがわかるにいたり、物語はアメリカの政治界、そして法曹会をも巻きこんだ大規模な事件へと発展していくが、そのあいだにも第二、第三の被害者が出てしまう。いったい、誰が何の目的で、これらの死体を遺棄していくのか。そしてそれらの死体は、生きているときに何をされていたのか……。

 中絶クリニックの爆破、という過激な行為が、本書の中では何度かとりあげられることになるが、そこから見えてくるのは、中絶の是非をめぐる問題が、アメリカの国論をまっぷたつにしかねない、非常に深刻な問題と化しているという現状である。じっさい、中絶擁護派と中絶反対派の対立は、たんに市民レベルのものを超えて、政治の世界でも、また法曹の世界においても二大勢力となっており、どちらの立場をとるかによって、自身の今後の進退ばかりでなく、一国のその後の流れさえ左右しかねない影響力をおよぼしている様子が、本書には随所に描かれている。異なる派閥に属する議員たちによる巧妙な駆け引きの数々、また強姦による望まない妊娠を強いられた女性をめぐる、弁護士と検察官、さらには判事さえも視野に入れた息づまる議論、という意味では、本書の前半部分は猟奇死体に対するミステリーというよりも、むしろ議会や裁判を舞台にした社会小説という要素が強いとさえ言えるだろう。

 中絶を認めるべきか、それとも禁止すべきか――この問題が非常に微妙な位置にあることは、次のように言い換えることことで、より鮮明になってくるだろう。すなわち、何の罪もない胎児の命を救うことを優先すべきなのか、それとも妊娠によって長い期間、肉体的にも精神的にも多くの負担と制限を強いられることになる女性の自由を尊重すべきなのか、と。それはまさに、生物としての本能に根ざす「種の存続」の意思と、文明社会を築き、常に自然の猛威と戦うことで他の動物たちと一線を画してきた、思考と感情を有する「人間」としての意思とのせめぎ合いであり、人間だからこそ発生する葛藤の、ひとつの縮図でもあるのだ。

 中絶擁護派、中絶反対派、どちらの主張もしごくまっとうなものであるにもかかわらず、その議論がどこか噛み合わないまま平行線をたどっているように見えるのは、そもそもふたつの主張が拠って立つ意思の違いによるものであることに間違いはあるまい。しかし、宗教上の問題や、生命の定義の問題といった小難しい理屈から離れて、妊娠し、出産し、そして子どもを育てていくという現実問題に立ち返ったとき、私たちは必ず、肉体的な男女の性差――男は妊娠、出産とは切り離された立場にいる、という事実とぶつかることになる。そして同時に、読者はこう問いかけることになるだろう。もし男か妊娠することができたとしたら、中絶是非の問題がここまでこじれることになっただろうか、と。

 この世に存在する大部分の社会は、間違いなく男性優位の論理で成り立っている。そしてその事実について、弱い立場にいる女性のほうがより敏感であることも確かだ。だからこそ、本書に登場するふたりの女性――臓器移植の世界的権威であるレイチェルと、男性優位社会の犠牲者を守る弁護士のヴィクトリアの存在は、男女の性差をどのようにとらえるか、という意味で象徴的であり、今回の「ベビー・ドール殺人事件」、そして本書のタイトルでもある『第四の母胎』の重要な鍵となるものでもあるのだ。

 性同一障害などの問題でしばしばとりあげられる、性転換手術――その技術がどこまで完成されたものであるのかはわからないが、肉体的な男女の性差という意味では、今日の最新医学は、すでにその差を限りなく埋めることができる領域にあるのかもしれない。しかし、男女の精神的な差異は、いったいどこまで埋めることができるのだろうか。本書の事件の真相が明らかになったとき、読者はきっと、男と女というものが、永遠に闘いつづける運命にあるのか、あるいは肉体的な違いを乗り越えて、完全な性の調和を実現させることができるのか、という問題に目を向けずにはいられなくなるだろう。(2002.02.11)

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