【小学館】
『20世紀の幽霊たち』

ジョー・ヒル著/白石朗ほか訳 



「センス・オブ・ワンダー」という言葉を思い出す。いや、思い出すというよりは、今回紹介する本書『二十世紀の幽霊たち』の短編のひとつに、同様の単語が出てきたからこそ意識されてきたのだが、その短編『年間ホラー傑作選』の主人公であるエディ・キャロルがホラー小説の評論家としては著名な人物であり、そんな彼の言葉のなかに「センス・オブ・ワンダー」が出てきたことに違和感を覚えた、というのが正直なところである。

 というのも、私のなかにおける「センス・オブ・ワンダー」は、それまで「不思議なこと」という単語とほぼ同義語として認識されていたからで、それがホラー的な「驚異」、あるいはそこから想起される「脅威」として結びつくという感覚がなかったからだ。それは、私の「センス・オブ・ワンダー」が多分にファンタジー ――幻想小説としてのファンタジーではなく、いわゆる「剣と魔法」のファンタジーの影響を受けていることを考えれば、仕方のない一面もあったのかもしれないのだが、それでもなお本書は、「センス・オブ・ワンダー」がけっしてファンタジーやSFだけの専売特許ではないことを示してくれた、という意味で大きな意義をもつことになった。

 本書は全部で16の短編を収めた作品集であり、基本的には説明のつけられない不条理な恐怖を主体とする物語が多い。上述した『年間ホラー傑作選』では、たまたま手にした無名の新人のホラー短編に入れ込んだエディが、紆余曲折の末にその作者のもとを訪ねたところ、いつのまにか自分がホラー小説における「得体のしれない脅威から逃げる登場人物」の立場に置かれていた、というものであるし、『蝗の歌をきくがよい』はカフカの『変身』のホラーバージョンといった内容である。『黒電話』は<ゲイルズバーグの人さらい>によって地下室に監禁された少年の顛末を書いた話で、それだけであればサイコパスが登場するサスペンスというくくりになるのだが、そのタイトルにもあるように、地下室に置かれた黒電話――じっさいには線がつながっていないはずの黒電話から、かつてその人さらいに殺された少年から電話がかかってくる、という点では充分にホラーとしての要素を有している。ただ、本書の短編集の性質をもっともよく言い表わしているのは、じつは著者自身が「謝辞」のなかにこっそり載せている『シェヘラザードのタイプライター』という短編である。

 いつも地下室で小説を書いていた父親が死んだあとも、タイプライターが勝手にキーを打ちつづけ、ためしに紙を挟んでみると、そこから短編が次々と書かれていく、という内容のこの短編は、誰も動かしていないはずのタイプライターが勝手に動き出すという怪奇現象をあつかったオカルト小説ではあるが、それ以上に読者の興味を惹くのが、何もないところから物語が生み出されていくという点であることは、想像に難くない。それは、人間の知識が生み出したものではない小説を象徴するものであり、その存在自体がすでに怪奇でもあるのだ。正体不明であるというのは、たしかに怖い。だが、怖いのと同じくらい――あるいはそれ以上に、その正体不明の小説の中身に興味を覚えてしまう。はたしてそのタイプライターは、どんな物語を綴ったのか。そしてそれは、じつは本書に載せられた短編なのではないか――そうした感覚こそが、本書の提唱する「センス・オブ・ワンダー」なのである。

 本書のなかには、たとえば『ポップ・アート』に出てくる生きた風船人形や、『二十世紀の幽霊』に登場する映画館の幽霊のように、そもそもの最初から不思議なもの、奇妙な事柄があたり前のように出てくる短編もあるが、むしろ「センス・オブ・ワンダー」の要素が本当のことだったのか、その真相は闇のなか、という作品のほうが多い。たとえば、『アブラハムの息子たち』という作品には、マクシミリアンとルドルフという兄弟が登場するが、その父親は吸血鬼の存在を信じており、過去に何人もの吸血鬼を「始末」してきている。だが、本当に吸血鬼なる存在がこの世に存在するのかどうかは、物語の最後まではっきりとしない。息子たちはその存在について否定的なのだが、そうなると彼らの父親はただの殺人鬼ということになってしまう。

 何かがはっきりしない、その正体がさだかでない、というのは、けっして気持ちのいいものではない。だが、私たちが生きているこの世界は、よくよく考えてみると数多くの不思議で満ちている。なぜ空は青いのか。なぜ海には波があるのか。なぜ水蒸気に光が当たると七色の虹ができるのか。もちろん、これらの自然現象は科学によってその原理や仕組みが解明されており、私たちはそのことを知識のひとつとして知っている。だが、そうした知識をもたない昔の人たちにとって、それは間違いなくセンス・オブ・ワンダーだったはずである。そして、同じことが本書の短編集についても言えるのだ。

 何気ない日常のなかに、不意打ちのようにまぎれこんでくる驚異――それ自体には、本来良いも悪いもない。だが、それにかかわってしまったことで、その後の人生が大きく影響されてしまう人たちがいる。本書の登場人物たちは、たいていが自分に自信がなく、もし他の誰かだったら、といったことを考えてしまいがちで、それゆえに社会的に弱い立場にいることが多いのだが、彼らにとってのセンス・オブ・ワンダーは、未知であるがゆえに結論づけることができず、また未知ゆえに容易には忘れられないやっかいな出来事だ。だが彼らの存在は、私たち読者に身のまわりに満ちているはずのセンス・オブ・ワンダーのことを思い出されてくれる。本書に収められた短編集は、あまりにあたり前すぎてもはや不思議だとすら思わなかった出来事に対する、異なった視点であり、また異なったアプローチでもある。

 説明的な言葉をいっさい用いないまま、その状況からある男が殺人犯と勘違いされていき、その結末さえ読者に推測させていく『挟殺』をはじめ、短編としてもきわめて完成度の高い、珠玉の作品の詰まった本書は、まさにシェヘラザードが王様に語った数々の物語のごとく、抗いがたい魅力を放っている。何が現実であるかを見失わないよう、じゅうぶんに気をつけたうえで、ぜひその作品世界を楽しんでもらいたい。(2009.07.13)

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