【双葉社】
『十八の夏』

光原百合著 



 凡人である私たちがともすると見過ごしてしまったり、あるいは聞き流してしまいそうな何気ない、ほんのささいな事柄が、じつは事件の謎を解く重要なキーとして機能していくというのは、ミステリーの世界ではよくある展開であり、また探偵役となる人物が、そこからどのようにして事件の真相を導き出し、それまでバラバラだった要素をひとつの出来事として結びつけていくか、という点こそがミステリーの醍醐味でもあるのだが、もしその探偵たちが、その事件が起こる以前からなんらかの関係をもつ立場だったとして、はたして彼らに事件を未然に防ぐことはできたのだろうか、とふと考えることがある。

 むろん、事件が起こらなければ探偵の活躍する場がない、というミステリーとしてのお約束はあるのだが、彼らのような鋭い洞察力と、常識に縛られない自由な発想の力があれば、周囲にいる人たちにほんの少し気を配ってさえいれば、事件が起こりそうな兆候だって掴むことができるのではないか、そうすれば、余計な犠牲者や人々の哀しみも回避することができるのではないか――だが、ここでひとつだけたしかに言えるのは、事件を未然に防ぐというのは、すでに起こってしまった事件を推理すること以上にやっかいな問題だということである。

 いったん事件が起きてしまえば、その事実はけっして消し去ることはできないし、そこを中心として現場の調査や、その周囲にいる人たちの過去の行動を捜査するといった手法をとることができる。だが、まだ事件が起きておらず、犯人となる人物の決意にとどまっている場合、未来を予測でもしないかぎり、彼の言動を事件性のあるものとしてとらえるのは難しい。だが、そこにいたるまでの兆候というのは、間違いなく事件が起こる前から、本人の意識するしないにかかわらずその言動のどこかに出てきているはずなのだ。そして、そんなわずかな兆しを察知することができるのは、いわゆる「探偵」ではない。探偵にできるのは、すでに起こってしまった事件を解決することだけである。もし事件を未然に防ぐことができる人がいるとすれば、それは彼の周囲にいて、かつ彼のことを少なからず気にかけている人物の役目となるだろう。

 本書『十八の夏』は、表題作をふくむ四つの短編を収めた作品集であるが、いずれの作品も、いっけんすると登場人物たちの淡い恋愛感情をテーマにしたかのような物語が展開していく、というひとつの共通点をもっている。『十八の夏』では、大学受験に失敗した浪人生の男が、いつも近くの川原の土手でスケッチをしている女性との関係を深めていく様子が書かれているし、『ささやかな奇跡』では、妻をなくした男やもめが、書店ではたらいている女性との仲を進展させていく。『兄貴の純情』は、そのタイトルにあるとおり、役者志望の兄の純情でまっすぐな恋の顛末を描いたものであるし、『イノセント・デイズ』にいたっては、学習塾においてかつて教師と教え子であった男女の思わぬ出会いから、急転直下の、しかしどこか背徳的な恋愛が起こりそうな雰囲気で物語が進んでいく。

 まだ十代の若者から男やもめまで、プラトニックな恋愛から不倫まで、登場人物もシチュエーションも異なる恋愛模様を描いた作品ばかりを集めたように見える本書――もちろん、それは何の誇張もない事実ではあるのだが、これらの作品は恋愛小説であると同時に、ミステリーとしての要素もあり、しかもこのふたつの要素がわかちがたい関係で結びついているという点こそが、本書のもっとも大きな特長だということができる。そしてそのミステリーとしての部分は、表面上で展開していくありがちな恋愛の裏側に隠された、もうひとつの恋愛感情――それも、けっしてまっすぐなものとは言えない、恋愛感情から生じる人間の醜く歪んだ一面や、あるいは人を愛するがゆえの心の迷いや葛藤といった感情を浮き彫りにしていくことになる。

 たとえば、表題作の『十八の夏』では、浪人生の三浦信也からフリーのデザイナーを称する蘇芳紅美子への恋愛感情のベクトルが表向きのストーリーである。彼は姉が出産のために実家に戻ってきたことを口実に、紅美子も住んでいる安アパートの一室に部屋を借り、ことあるごとに彼女の部屋にあがりこむようになるのだが、そこには彼女の性格をよくあらわしている、ごく殺風景な部屋には不釣合いの、朝顔の鉢植えが置かれている。しかも「お父さん」「お母さん」「僕」「私」などという意味深な名前がつけられているのだが、こうしたごく何気ない謎がミステリーとしてのキーとなって、恋愛感情のベクトルが紅美子自身からのものへと変換されるのである。そして結果として、三浦信也の恋は実らずに終わることになるのだが、重要なのは彼の恋愛の行方そのものではなく、彼の恋愛感情によって――いや、淡い恋心をいだき、それゆえに紅美子のことを気にかけていたからこそ気づくことになった、あるいは大きな事件になったかもしれないわずかな兆しのほうなのだ。

「――ひょっとして人間、『どちらにしようかな』をやるときは、もう無意識下で決めてるんじゃないですか。自分がすでに無意識下で選んでいるものと逆のほうから歌を始める。そうやることで、自分の選択に神意を反映させた気分になる」

(『十八の夏』より)

 普通の人たちにとっては何でもない、見逃してしまいがちな小さな事柄が、その人にとってはその生涯を大きく変えてしまいかねないものである、というシチュエーションは、それがコミカルなものであれ、シリアスなものであれ、本書に収められた短編すべてにあてはめることができるものである。そして、事件にすらなっていない、おそらく探偵にも知りえないだろうその兆候をとらえることができたのが、いずれもその対象となる人物に恋心をいだいている男たちである、というのは、非常に興味深いものだ。

 誰かに恋をする、というのはけっして悪いことではないが、ときに恋愛感情というものは、人間の正常な判断を狂わせ、その人の本来あるべき姿を歪めてしまうことにもなることを、私たちはよく知っている。しかしその恋愛感情が、逆に人が犯してしまいがちな過ちを未然に防ぎ、ささやかな幸福への道を開かせてくれるという本書の展開は、まさに恋愛の本来あるべき、心あたたまる姿をあらためて私たちに示すものでもある。

 ミステリーというジャンルは、ミステリーであるがゆえにそのはじまりとなる事件をどうしても防ぐことができない、というのが常であったが、本書のミステリーとしての要素は、むしろそうした痛ましい事件を未然に防ぐことに主眼を置いたものだと言える。人が人に恋をするという、その特別な感情がもたらすことになるほんのささやかな奇跡を、ぜひともたしかめてもらいたい。(2006.12.02)

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