【文芸社】
『日本に嫁いで11年』

中野フェシェリアキタ著 



 ふだん、私たちが常識だと信じている事柄や習慣が、じつはたんなる思いこみの領域を出ないものであったり、あるいは自分たちの住む国や地域特有のもので、よりグローバルな視点で見たときに、むしろ自分たちの常識のほうがマイナーなものであったりすることが、よくあるものだ。人間ひとりひとりはあくまでちっぽけな存在で、ともすると自分たちの生活を日々続けていくこと、生きていくことだけで精一杯であり、それゆえに自分たちの生活する、きわめて限定された地域こそが世界のすべてなのだと――意識するしないにかかわらず――思いこんでしまうのは、人間であるがゆえに避けることのできない業のようなものだと言えるだろう。そして、異なる土地ではぐくまれたがゆえに生じる価値観の相違が、しばしば誤解や偏見を生み、それが大きな争いにまで発展してしまう、ということも。

 科学技術の発展にともなって交通手段も格段に整備されつつある現代において、そうした異なる価値観どうしの衝突は、今後ますます頻繁になっていくだろう。しかし、国と国との距離がどんどん縮まっていくスピードに、人々の心がついていってないのではないか、とふと考えてしまうのは、きっと私だけではないはずだ。

 本書『日本に嫁いで11年』に書かれているのは、フィリピンのレイテ島にある小さく貧しい村で生まれ、その小さな世界の中で育ったひとりの女性が、たまたま大阪からやってきたハルオという男に恋をし、結婚し、日本という異国で暮らしはじめた11年の結婚生活の回想録であり、同時に生まれ故郷のヒンダングという価値観をもった女性の目に映った日本の姿――私たちが認識しているのとはまったく違った視点によって再構築された日本のもうひとつの姿を描いたノンフィクションである。

 国際結婚、という言葉に対する私たちの認識は、例えば言葉の問題や双方の家族の問題、伝統や文化の違いによって生じる諸問題など、いろいろ大変だろうということと、その困難を承知しつつ、それでも結婚という道を選んだふたりの深い愛情、といった程度のものでしかないのだが、本書を読んでいくと、その想像をはるかに上回る困難がふたりを待ち構えていた、ということを思い知らされることになる。
 まず、フィリピン人と結婚するのに必要な書類が手に入らない、結婚式の費用を送金したくても銀行に口座がなく、そもそも近くに銀行そのものがない、日本へ渡るのに必要なビザとパスポートを、日本大使館がなかなか発行しようとしない、きわめつけが書類がないので教会で結婚式を挙げられないなど、結婚したいと考える一組のカップルが結婚という事実にこぎつけるまでに、これだけ多くの関門を突破しなければならないことに、まず圧倒されてしまうことだろう。そしてこの受難は、ようやく結婚することのできたふたりにそれ以降もしつこくつきまとうことになるのである。

 自分の体験を書き綴ったノンフィクション形式の本はけっして少なくないが、本書の大きな特長のひとつに、ふたりが立ち向かわなければならなかった問題が、そのまま私たちの住む日本の問題につながるばかりでなく、言葉の問題に触れることで、アメリカを中心とした英語圏の問題点をも指摘していることを挙げなくてはなるまい。

 言うまでもなく、世界の公用語として通用しているのは英語であるが、それゆえに英語圏の人々、とくにアメリカ人などは外国語の勉強をまったくする必要がなく、それゆえにその他の国が必死になって英語を覚える時間を彼らは自分達のやりたいことに費やしている、と語る場面がある。私たちは英語、とくに英会話というものに対して、できなければ恥、みたいな認識を程度の差こそあれ持ち合わせており、かつてのメディアもまたそれを助長するようなことを言っていたが、「アメリカ人はよく『自由で公正』と言うけれど、言葉の面ではとても『公正』でも『自由』でもないね」と語るハルオの言葉は、彼らが語る「自由と公正」が、けっきょく自分たちの価値観にもとづいたエゴにすぎないことの、非常にわかりやすい証明となっている。そして本書では日本やアメリカばかりでなく、自分の生まれ故郷であるフィリピンの人々がもつ価値観の問題にも触れている。日本人がみんな大金持ちで、金を送るのが当然と考えている著者の家族の、私たちにとっては非常識な話などは、ふたつの価値観の衝突を体験した著者、そして著者の意図を汲み取って翻訳した、著者の夫でもある訳者でなければけっして書くことのできないたぐいのものであろう。

 本書を読んでいると、著者であるフェシェリアキタは、ずいぶんと「待つ」「耐える」ことの多い女性だ、という印象を受けるかもしれない。だが同時に、自分の気持ちに正直に生きる女性でもあることに気づくだろう。フィリピン人の良いところはよく遊ぶこと、社会的地位をまったく気にせず、自分の気持ちに正直に生きることである。そもそもそのような心をもっていた著者が、たとえハルオの愛があったとしても、日本という異国で暮らしつづけるのに、ずいぶんいろいろなことを我慢しなければならなかったであろうことは、容易に想像することができる。だからこそ、そんな彼女が一大決心し、自分の主張を押し通す形で書き上げた本書からは、そんな著者の溢れんばかりの想い――楽しいこともつらいことも含めた、さまざまな想いがストレートに伝わってくるのである。

「訳者後書き」には、フィリピン人に対して非常に冷酷だった日本大使館の現状を知ってもらいたい、と書いてある。それは、私たち日本人がフィリピン人という言葉に対して抱いてしまった、マスコミなどの身勝手なイメージをもう一度考え直してほしいという、ふたりの想いでもあるように思える。本書のこのささやかな訴えが、いつの日かこの国の閉塞してしまった現状を打ち破る源のひとつとなることを、願わずにはいられない。(2000.11.15)

ホームへ