【講談社】
『十角館の殺人』

綾辻行人著 



 ミステリーとは何なのか――こんな、今更のようなことをふと考えてしまう。

 ミステリーとは推理小説のことだ。何をあたりまえのことを、とお思いの方もいらっしゃるかと思うが、しかし昨今のミステリーブーム――ことにミステリーという言葉が、ホラーやSF、社会小説といったさまざまなジャンルの中にまで派生しているという最近の傾向を考えてみると、それは小説における、旧来のジャンル分けがうまく機能しなくなるほどに多様性が進んでいる、というよりは、むしろミステリーという言葉が、本来持っていた「推理小説」という言葉の意味を限りなく逸脱し、単に何らかの謎を内包している小説のことを一括する言葉として変容しつつあると考えたほうが、この場合は妥当ではないか、と考えるのだ。

 ミステリーと推理小説は、もはや完全なイコールではありえない。だとすると、狭義のミステリーとも言える「推理小説」とは何なのか、ということになるのだが、その定義を見事に表現しているのが、おそらく島田荘司をはじめとする「新感覚派」と呼ばれる作家たちの作品であり、そのなかでも特に謎やトリックの部分に重きを置き、古き良き「謎解き小説」の雰囲気を踏まえつつ、なおそれを超えようとする新しさをあわせもつのが、本書『十角館の殺人』の著者である綾辻行人だと言えるだろう。

 僕にとって推理小説は、あくまで知的な遊びの一つなんだ。小説という形式を使った、読書対名探偵、読者対作者の刺激的な論理の遊び――それ以上でも以下でもない。

 本書のタイトルにもあるように、舞台となるのは十角館と呼ばれる、その名のとおり正十角形の形をした奇妙な館である。しかも、その館のかつての持ち主だった中村青司は、半年前に妻やその使用人ともども殺されてしまっており、十角館は、未だ解決されていない四重殺人事件のさいに焼失してしまった彼の館の、いわば別館として建てられたものでもあった。  この、いかにもいわくありげな館のある、今ではほとんど人の行き来のない孤島に、某大学のミステリ研究会のメンバー七人が上陸する。ミステリ好きな彼らにとって、不可解な事件の起きたその島は格好の冒険の舞台でもあったのだ。しかし、彼らが十角館にたどりついたとき、彼らへの復讐を誓った犯人によって周到に用意された、恐るべき殺人計画は、すでに動きはじめていた……。

 これみよがしに示される犯行予告。連絡をとる手段も、島から外に出る方法もない、孤島という名の巨大な密室で、その予告どおりにひとり、またひとりと姿なき犯人によって殺害されていくメンバーたち。高まる緊張と深まる疑惑――はたして、犯人はメンバーの中にいるのか、それとも半年前に死んだと思われていた中村青司なのか? まるでアガサ・クリスティの名作『そして誰もいなくなった』を彷彿とさせる、推理小説の王道を行くストーリー展開と平行して、一見すると孤島との出来事とは無関係に進んでいく、ミステリ研究会の元メンバーである江南孝明とその友人守須恭一による、謎の怪文書の謎解き、青司の弟である中村紅次郎の存在、そしてかつて、ミステリ研究会のコンパにおいて急性アルコール中毒で死亡した、中村千織――これらの要素が、ストーリーが進むにつれて徐々に相互に関連を持ち、ひとつの流れとなってつながっていく様は、ありがちな設定であることを超えて、読む者に一種の爽快感を与えること請け合いである。

 それにしても注目すべきなのは、著者の謎やトリックに対する徹底した掘り下げぶりである。推理小説が常に抱えなければならないジレンマのひとつに「記号としての殺人」――つまり、推理小説が推理小説として成立するためには、まず殺人事件が起こらなければならず、それゆえに重大なテーマである「人の死」が、書けば書くほど軽くなってしまうという問題なのだが、著者はあえて、「人の死」を記号として位置付けしようとしているところがある。そう、まるで、読者をあっと言わせるような大トリックが最初にあって、それを書くために登場人物を配置していったというような雰囲気を、けっして隠そうとしないのである。

 だが、それゆえに本書がけっして読むべき価値のない、薄っぺらい作品であるかと言えば、けっしてそうではないと断言してもいいだろう。なぜなら、あらゆる登場人物を徹底して記号化することで、逆に本書のメインに設えてある「十角館の殺人」のトリックがよりいっそう際立ち、私たちを、まさに推理という名の知的ゲームに引きこむのを容易にしてくれるからである。さらに言うなら、本書の登場人物であるミステリ研究会の人たちは、自分たちのことを欧米の有名なミステリ作家の名前からとってきた、あだ名で呼び合うことを徹底しているのだが、この一種の本名隠し――そう言えば、同著者の『殺人鬼』のなかでも、別な形で登場人物たちの名前が巧妙に隠されていた――が、本書のトリックをより複雑なものとするための道具となっており、またそこに、登場人物を道具として使うことへの覚悟とでも言うべきものが感じ取れるのである。それは、旧来のミステリがそれだけでは成立しにくくなり、そこに現代社会の抱えた歪みや人間が隠し持つドロドロとした負の感情といった、プラスアルファを盛り込むことでミステリというジャンルにより幅を持たせようとしている現実に対して、それでもなお純粋に、謎やトリックといったものだけでミステリを、「推理小説」を構築しようという意気込みにもつながるものだと言える。

 そのような態度は、あるいは一発屋と呼ばれてしかるべきものなのかもしれない。だが、著者の生み出す大トリックが、奇想天外でかつ論理的に整合性がとれるようなものである限り、読者はきっと著者の提示する謎に、惹き込まれずにはいられなくなるだろう。

 名探偵、大邸宅、怪しげな住人たち、そして破天荒な大トリック――古くから何度も繰り返されてきた、お決まりの推理小説のパターンは、しかし科学技術の発達によって、現場に残された髪の毛一本からDNA鑑定などという野暮な方法をもって犯人を特定してしまう、現代の警察機構が持つ捜査手段を考えると、やはりひとつの仮想でしかありえないのかもしれない。そういう意味で「推理小説」とはファンタジーやSFといったものと同じ場所に位置していると言えるだろう。はたしてあなたは、本書をありえないことを書いた絵空事として切り捨ててしまうのだろうか。それとも、あくまで知的ゲームとして、著者の仕掛けた謎を解くという行為を楽しむのだろうか。(2000.12.15)

ホームへ