【角川書店】
『百年法』

山田宗樹著 

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 たとえば誰かと結婚するときに、その相手はたいてい自身の家系の外にいる異性と相場はきまっている。血筋の濃い者どうしで結婚すると、生まれてくる子どもに生物学的に悪い影響がある、などという理由づけもあるが、今のところ納得のいく説明は、それがその一族の生存戦略のひとつであるというものだ。つまり、外部からの血筋を混交させることで多様化し、伝染病などといった不測の事態が発生しても一族全員が死に絶えることを避けようとする種としての本質が、近親相姦をタブー視させているというものである。

 ここでひとつ重要なのは、多くの異なる血筋が交わることで、その家系はより複雑化していくという点だ。多様化とは、複雑化と同義といっていい。そして人間の結婚という制度は、常に血族というグループを複雑化させる方向性をもっている。ある一族の血筋が別の一族の血筋にまじり、また他の一族の血筋が自身の家系の一族のもののなかに入り込んでくる――そこには、常に何かのモノの流れが発生していて、けっして停滞することがない。そしてそれこそが、何かを長く存続させるための常態であることを、私たちはその種としての本質から悟っている。

 どれだけ変わりたくないと思っていても、あらゆる物事は常に変化しつづけていく運命にある。逆に言えば、変化が停滞しているという状態は、あらゆる意味において健全ではない、ということを意味してもいる。今回紹介する本書『百年法』には、じつにさまざまなテーマが内包されているのだが、そのさまざまなテーマを象徴的に言い表すとすれば、それは「静」と「動」のダイナミズムであると言うことができる。そしてそのもっとも特徴的なものとして本書のなかで機能しているものが、HAVIと百年法である。

 建物は古くなるのに、人間は古くならない。奇妙な世界になったものだと思う。もっとも、こういう考え自体が古いといわれれば、そのとおりかもしれない。

 本書の舞台となる世界では、ある奇妙な技術が確立され、世界的標準として取り入れられている。HAVI――ヒト不老化ウイルスと呼ばれるレトロウイルスの接種処理によって、人々は若い姿のまま事実上永遠に生きることが可能となっていた。この不死化技術は二十世紀半ばにはすでにアメリカで実用化されており、第二次大戦の敗戦国であり、アメリカの占領下のもとに共和国となった日本にも、戦後冷戦構造の思惑から技術供与がなされてきたという背景がある。そしてこのHAVIは、それを受けるさいにある法律を受け入れなければならないことになっている。それが「百年法」、正確には「生存制限法」と言い、不死化処理を受けた人間は、処理後百年後に基本的人権のすべてを失うというものである。

 人がいつまでも老衰しない世界――それも、ある特権階級だけでなく、誰もが簡単に不老化が可能である世界と聞くと、まるでユートピアのような夢物語を想像してしまうが、現実問題としてそんな技術が一般化していけば、ただでさえ増加している世界の人口はさらに加速度を増し、地球の資源をあっという間に食い尽くしてしまう。それを防ぐための「百年法」であるのだが、物語の冒頭にあたる二〇四八年の日本では、いよいよ最初に不老化処置を受けた人間が百年目を迎えるということで、百年法施行に向けた準備が進んでいるところである。

 不老化技術という、きわめてSF的要素をもつ本書であるが、この物語を読み進めていってすぐに気がつくのは、不老化技術を受け入れた二〇四八年の日本という国の抱える問題が、ある意味で今の私たちの生きる日本の抱える問題と、まるで鏡に照らしたかのように類似しているという点である。現実の日本が抱える問題のひとつに、少子高齢化社会というのがあるが、高齢化した人々の割合に対して、若者たちの人口が少なくなり、人口分布図が高齢化するほど大きくなるといういびつな形を成す少子高齢化社会は、働けなくなった老人たちを国や若者たちが支えなければならないという構図を考えるかぎりにおいて、大きな社会問題となっている。それは言うなれば、若い人ほど社会を支えていく負担が大きくなるということを意味するのだが、本書のHAVIという設定は、まさにこの少子高齢化の問題を極端な形で置き換えたものとなっている。

 働いて生活費を稼ぐことができなくなった老人の数が多ければ、それだけ彼らを支えていくための人手や金がかかる。もし不老化技術で老化を止めることができれば、少なくとも働き手の減少という意味での問題は回避される。だが、たとえば会社の重要な地位にいる人たちが、不老であるという理由だけでいつまでの会社の経営を指揮しつづけていくとしたら、あとから会社に入る世代はたまったものではない。むろん、社会がそれなりに豊かであればそれでもいいのかもしれないが、長引く不況などがつづいていると、いろいろなところで制限がかかったりして、世代間における不公平が生じるのは、たとえば年金問題ひとつとっても明らかなことである。不老化技術があぶり出すのは、社会の存続のためには必要不可欠であるはずの流動性が阻害されるという問題だ。

 じっさい、本書の世界では不老化ゆえの独自の問題についても取りあげられている。たとえば「ファミリーリセット」という制度。これは、血縁上の親子関係を法的に解消する制度のことであるが、その背景には、成人した子どもがHAVIを受け、見た目が変化しなくなると、親としての情が薄れてしまうという心情が大きく影響しているという。こうした設定のひとつひとつをとらえても、物事の流動性の停滞というテーマが貫かれていることが見て取れる。そして、不老化が常態化した本書の世界は、まさに社会そのものが停滞している状態を象徴するものである。

 この「静」の状態を打ち破る「動」の象徴こそが「百年法」ということになるのだが、なまじ人の生命に直接かかわる問題であるだけに、その施行も、その継続も生半可なことではない。日本の未来を真に案じ、百年法の施行に文字どおり命をかける者、法律で生きる権利を奪われることを恐れ、ただひたすら生き延びることだけを願う者、あるいは永遠に若いという状態に違和感をいだきつつも、なんとなく永遠につづくような生活を繰り返す者――本書に書かれているのは、不老という圧倒的な「静」を生物学的にも社会学的にも受け入れてしまった人々が、その重苦しいまでの停滞に何を思い、どのような行動をとることになるのかというものであり、本書の世界においては、それはそのまま個人の命をどうとらえるか、生とは何か、そして死とは何かという命題に直結している。

 人はいずれかならず死を迎える――それは私がしばしばこの書評のなかで明言しているように、世のなかの数少ない「絶対」的なものである。自我を手にした人間のとらえる世界は、個人個人の思い込みによって成り立っており、何かを共有しているという思いはただの幻想にすぎない。死というリアルは、それがどういうものなのかわからないという意味で恐怖の元凶ではあるのだが、逆に死とは、私たちが唯一共有できるリアルでもあるのだ。しかしながら、本書の世界ではその唯一の「絶対」が失われてしまった。「個」という概念が極端なまでに肥大化した不老化の世界――はたしてあなたは、その「静」と「動」のダイナミズムのなかに、どのような真実を見いだすことになるのだろうか。(2013.03.06)

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