ニュータイプと新しきシャーマンの役割――『コンセント』考



 小さい頃に私が見ていたアニメ番組のなかに「機動戦士ガンダム」というのがあった。主人公のアムロ・レイは機械いじりが好きな内向的な少年で、通常の人との接触があまり得意ではない、今でいうところの「引きこもり」に似たような感じを引きずった少年として描かれていた。物語は、ひょんなことから連邦軍の最新型モビルスーツを操縦することになった彼が、否応なく戦争に巻き込まれつつ成長していく、というものだったが、そのアニメのなかで一種のキーワードとなった言葉に、「ニュータイプ」というのがある。
 ニュータイプとは何なのか――番組の中でニュータイプに関する説明はいっさいなかったが、どうやらこれまでとはまったく異なったコミュニケーションの方法を確立した人たち、文字どおりの新しい人間、という意味だったように思う。番組のなかでは、一種の精神交感能力のような感じでその能力を表現していたが、このニュータイプの存在は、同じ人間どおしでいがみ合い、憎しみ合い、そして大勢の人の命を巻き込んで戦争という大きな混乱と悲劇を起こすことをどうしてもやめようとしない古い人間たちに対する、人間という種のまったく新しい可能性を示すために生まれたものではなかったか、と今になってふと思うのだ。そう、不完全なコミュニケーションの道具である言葉ではなく、お互いの精神がひとつの世界を共有することでコミュニケーションをはかり、そのことでお互いを完全に理解することができれば、偏見や誤解によって人々が傷つくこともなく、今よりもっと精神的に成熟した世界を生み出すことができるのではないか、という可能性――それはたとえ、きちんとした言葉で表現することはできなくとも、そのアニメを見ていた人たちにとって、一種の救いとなったのではないだろうか。

 田口ランディが書いた『コンセント』において、主人公である朝倉ユキが目覚めたひとつの境地――このどうしようもなく閉塞してしまった現実世界とはまったく異なった、もうひとつの世界につながる、という発想は、奇しくも「機動戦士ガンダム」のなかで描かれたニュータイプのイメージと、非常によく似たものを感じさせる。それはどちらも、今という膠着してしまった世界を変えるための、ひとつのきっかけとして機能しようとしているもの、ということである。

 今、私たちはまぎれもなく現実の世界に生きている。世界は私たちが生きて生活しているこの現実だけで、そこ以外の場所は存在しない。私たちの世界の外にあるのは、完全な無だ。どこにも逃げられない。だが、それでもなおこの世界から逃げたいと思ったとき、人々はどうするのだろうか。
 現代において考えられる唯一の可能性は、死の世界へ行く、ということになるだろうか。死ねばとりあえず、この世界から自分は消えうせ、接点は消える。だが、死から生還した者がいない以上、死の世界があるのかどうか、生きている私たちに知る術はない。

 もちろん、それでもこの現実の世界に嫌気がさし、どうしても我慢できなくなった人が、あるいは死を選ぶこともあるかもしれないことは、昨今の自殺の増加傾向や、自殺志願者たちが集まるホームページがインターネット上で今もなお存在していることを見てもあきらかだ。だが、もし今の閉塞してしまった世界を変える可能性があったとしたら、どうだろうか? 死んだり、自分を完全に壊してしまうことなく、別世界につながる道があったとしたら?

 別世界、という言い方をすると、どうもSFやファンタジーといった、架空の世界のことを思い浮かべるかもしれない。だが、それはけっして文字どおりの「異世界」ということではない。それはたとえば、瀬名秀明の『BRAIN VALLEY』のように、科学的論証にもとづいて生み出された脳の働きの一部であったり、村上龍の『共生虫』のように、インターネットという名の仮想世界だったりするものなのだが、著者が目を向けたのは、昔からずっとこの世界と平行して存在していた、もうひとつの世界――多分に精神的なものに属する世界であり、その世界との媒介の役目をはたす巫女の存在だった。沖縄のユタ、東北地方のイタコ、そして日本に限らず、世界のいたるところには、シャーマンという名の、別世界へとつながることのできる人たちがたしかに存在する。彼らがなぜこの世界に存在するのか――シャーマンがたんなる非科学的なまがいものであるとするなら、なぜ科学の発達した現代において、本書にも書かれているように、自称シャーマンと名乗る人が増え始め、ネオ・シャーマニズムの時代などと呼ばれるようになっているのか。本書の「引きこもり」に対する著者の認識は、おそらくそのような発想から生まれてきたのではないか、と思うのである。

「この世界にはホストコンピュータがあって、すべての記憶が保存されている」と朝倉ユキは語る。それは、この混沌とした世界を理解する大きな助けになるだろう。私たち人間は、何よりわからないもの、理解できないものを恐れるのであり、世界の仕組みか理解できれば、もはや現実世界を恐れる必要もなくなるはずである。著者が本書を書くことになった直接のきっかけは、ある一人の男の衰弱死だったと「あとがき」にはある。だが、結果として本書はある意味、「癒し」と「理解」とを結びつけることになった。そしてそれは、「機動戦士ガンダム」におけるニュータイプの存在――お互いを今以上に理解するためのコミュニケーションの確立にもつながるものである。

 私たちは、おそらくあまりにも理知的であることを強制しすぎたのではないだろうか。科学技術が人々の生活を豊かにしたことはけっして否定のできない事実であるが、それゆえに非科学的だという烙印を押され、世界から抹殺されてきたものが、いったいどれだけあっただろうか。今のこの世界の閉塞感、先のまったく見えない未来への、漠然とした不安を取り除く唯一の方法は、あるいはこれまで私たちが進歩という名で切り捨てていったもののなかにこそあるのではないだろうか。



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