音と想像力――『アンチノイズ』考



 もし、辻仁成という作家に関して『海峡の光』しか読んだことがない、という人がいるなら、それは相当不幸なことだと言わざるを得ない。ただの騒音でしかないノイズに興味を持ち、「音の環境地図」をつくる男を登場させることで、逆に人と人とのコミュニケーションが変わりつつある現代を克明にしようと試みている本書『アンチノイズ』であるが、それ以外にも、本書を読むと、それまで私たちがとくに意識することもなかった「音の世界」といったものを垣間見ることができる。

 音というと、耳に聞こえてくる騒音のことをあるいは想像するかもしれないが、実際には私たちの耳には聞こえてこない音というのも存在する。本書に登場するマリコは、テレクラ嬢のアルバイトをしている女性であるが、彼女は耳には届かない電波を拾っては聴いている、いわゆる盗聴マニアでもある。

「東京には、耳に聞こえない音が充満しているのよ。盗聴器の電波はもちろん、携帯電話や無線機、ポケットベルの電波だってあるでしょう。それに最近ではPHSだって普及しだしている。もっももっと沢山の電波が飛び交っているわ。騒音都市だなんていうけど、本当の騒音は聞こえないところにあったりして」

 マリコのこの言葉は、値下げなどの効果によって爆発的に普及した携帯電話が引き起こしている問題を、いみじくも指摘している。私は携帯電話を持ってはいないが、そこらじゅうで目にする携帯電話を使っている人たちのなかには、まるで日常会話が目的であるかのように、携帯電話の向こう側の人と話している人も多く見られる。その人間から切り離された言葉が、耳に聞こえない電波となって気軽に空中を飛び交っている世界――なかには、当初は持っていた意味さえも失われた言葉たちが、受け取り先もないままにいつまでも空中を漂っていることもあるのではないか、と私はふと考えたりもする。そして、そんな聞こえない言葉に耳を傾けるマリコの行為は、あるいは主人公が思うように「何の生産性もなく、何の向上心もない遊び」なのかもしれないが、そもそも遠くにいる人と話をするために開発されたはずの電話が、携帯電話となり、周囲の現実から自分を切り離し、自分と相手のふたりだけの世界に逃げ込むために使われだしている、という現状を考えると、はたしてどちらが不健全なのだろうか、という疑問がおこる。

 音に関するもうひとつの、ふだん私たちが忘れがちな事実――それは、自然を遠ざけてつくられた都会は、人々が眠りにつく深夜になると、信じられないほど音がなくなってしまう、という事実である。マリコはそんな都会の深夜に満ちる静けさという音に対しても、想像力をふくらませていく。

「環状線の内側は深夜になると潮が満ちて海の中に沈んでしまうのよ。知ってた? 皇居も、神宮球場も、代々木公園もみんな海の中に沈んじゃうんだから。新宿の高層ビルの先端だけがまるで救難ブイのように顔を出すだけなの」

 都会が発する音はしばしば騒音となり、人々の争いの元となってしまうのだが、マリコのように、音を積極的に自分のなかに受け入れて、想像力をはたらかせることができれば、それはとても素敵なことではないだろうか。日常や常識といった枠をぜんぶとっぱらい、宇宙人であるかのように周囲の音に耳を澄ます――そうすれば、人の心は、マリコの無線機から飛び出した電波のように、空を飛び越え、電離層を突き破り、そのまま宇宙にまで飛び出すことだってできるほど自由になれるのかもしれない。(1999.09.20)



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