信じることと疑うこと――『ウォーレスの人魚』考



 あなたは幽霊を信じますか。あなたはUFOを信じますか。あなたは超能力を信じますか。あなたは死後の世界を信じますか。あなたは神を信じますか。

 このところ、超能力や神の存在など、それまで非科学的なものだとして一蹴されてきた現象(あるいは物質か?)を科学的に論証しようとする小説が多くなっているように思える。岩井俊二の『ウォーレスの人魚』もまた、ある意味で上述の小説のひとつとして考えてもいいだろう。世界中のあちこちに残っている人魚の伝説――それらがすべて事実にもとづいたものであるとしたら? 人魚なる生物があくまで実在するのだ、という前提から書かれたこの小説は、それゆえに多少こじつけっぽいところがあるのも事実だが、それ以上に、おそらく著者自身も予想だにしなかったであろうひとつの効果をあげているのも事実である。

 本書のなかでは、進化学の世界的権威であるリック・ケインズなる学者が登場する。彼は物語のなかで、こんな発言をしている。

 「君は人間の祖先はサルだと信じているだろう? ――(中略)――学校の先生もそう
 教えてくれただろうし、世間一般でもそれが当たり前のように信じられている。ほとん
 どの人間がそのことに疑問を抱いたことがないくらいだ。しかし現実には簡単にそう言
 い切れる確証はないんだ」

 現在、人間の先祖だと言われている化石の一部はけっこう発見されているように思える。アウストラロピテクスやケニアピテクス、サンブルホミノイド――だがそれらの化石は、人間の進化という長い長いレールの、ほんの一部を埋めるものでしかない。いわゆる「ミッシング・リンク」と呼ばれているのを聞くと、人間の進化の一部が空白になっているのだ、という感じがするのだが、実際は、人間の進化の大部分が「ミッシング・リンク」なのだとケインズは言う。

 さて、そうなると、私たちがこれまで信じ込まされてきた「人間の先祖はサルである」という常識は、じつは常識でもなんでもない、ということになる。では、私たち人間の先祖はいったい何なのか――チンパンジーは人間から進化した姿である、と考えるカイバラ説も、こうなると笑ってすませることもできなくなるような気がする。

 人間というのは、常に安心していたい生き物だ。わからないこと、理解できないことに出くわすと、人間は不安になる。そこで、とりあえず真実だという確証はないが、有力だろうと思われる説を世間での常識にしてしまう。
 地球は丸く、太陽のまわりを回っているのだという地動説。今でこそ常識となっているが、昔は天動説こそが常識だったのだ。こう考えてみると、私たちのまわりには、常識だと思わされている事柄が、じつはあちこちにあるのではないだろうか。

 何かひとつのことを信じてしまうと、それがたとえ間違ったことであっても、その人にとっては真実となってしまう。そうやっていろいろな不安要素に自分なりの決着をつけて人間は成長するのかのしれない。だが、一度自分の常識を疑ってみると、そこに意外なものを発見することができるのではないだろうか。

 私の書く書評は、「読んだ本はどんなものでも必ず高く評価する」という前提で書かれている。その「八方美人な書評」をそのまま信じてもらうのも嬉しいのだが、逆に「ホンマかいな」と疑いの目をもってその本を読んでくれたほうが、八方美人男としては嬉しかったりする。

 さて、あなたは何を信じ、何を疑うのだろうか。(1999.06.16)



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