マイコンに託された輝かしき未来――『青猫の街』考 



 今は誰も使わない化石パソコンPC-9801VM一台を残して失踪した友人A。そして、その失踪に関係していると思われる「青猫」――1996年末の東京の様子をリアルに書くことで、現代の閉塞感を浮きぼりにした涼元悠一の『青猫の街』であるが、本書に書かれる世界のリアリティーに重要な役割を果たしているのが、かつてマイコンと呼ばれていた時代のパソコンに関するさまざまな専門用語であることは言うまでもない。

 私が小学生だった頃――いわゆるバブル絶頂期で、豪華商品を売り物にしていた、視聴者参加のクイズ番組が隆盛していた頃――はまだ、二十一世紀という時代に対して輝かしい未来を夢見ることを許されていたように思う。そして、その輝かしい未来を実現してくれると信じられていたすばらしい機械こそ、パソコンであったのだ。そう、パソコンがあればできないことは何もないと、私は純粋に信じきっていたのである。

  あの頃は様々なメーカーが独自規格のパソコンをこぞって発売していた。パソコンが
 買えない少年は、雑誌の新機種紹介を舐めるようにしてチェックしては、自分がいつか
 手に入れるマシンを想像していたものだ。
――(中略)――WINDOWS95が業界標準に
 なる以前、パソコンの世界がもっと未成熟で、だからこそもっと刺激的だった頃の話だ……

 まだ、富士通などという会社が存在することすら知らなかった頃の話だ。PC-8001、PC-9801、MSX、X1turbo、X68000などといった、かつてスター格だったハード名が出てくるたびに、私の記憶は過去へと引き寄せられていく。技術革新のスピードが異常なほど早いパソコン業界に関することだからこそ、まだ二十代の私でも、過去を懐かしむことを許されるように思う。

 私が小学生だった頃には、すでに私の家にはパソコンがあった。今にして思えば、よく両親がパソコンなど買い与えたものだと思う(もしかしから、両親もまた、パソコンに対して輝かしい未来を期待していたのかもしれない)。そのとき家にあったパソコンとは、知る人ぞ知るNECのPC-6001MK2、あの頃は「しゃべるパソコン」として一斉を風靡したパソコンだった。まだフロッピーディスクもなかったころのパソコンで、補助記憶装置と言えばカセットテープがあたり前、ちょっとしたプログラムをロードしたりセーブしたりするのに、何十分とかかっていた。当然、プログラム言語といえばBASICやマシン語であり、電波新聞社の『マイコンBASICマガジン』を購入し、そこに掲載されているプログラムを手で叩きこんではデバックするという、今では信じられないようなことを平気でおこなっていた。

 それから時は流れ、私がしばらくパソコンから離れている間に、パソコンの性能はすさまじい勢いで進歩した。だが、それと同時にパソコンは、何でもできる万能マシンから、単なる機械へと落ちぶれていったように思う。今のパソコンの性能なら、昔ならとてもできなかったことがいろいろ実現するだろう。モデムもしくはDSUがあれば、パソコン通信をしたりインターネットに接続したりすることもできる。だが、言ってしまえばそれだけだ。今、たかが家庭用パソコン一台に、輝かしい未来を期待する者など、おそらく小学生のなかにもいまい。

 メインスイッチを入れたときにおこる「ピポッ」という懐かしい音、「CRTが立てるきーんという高周波」と「冷却ファンの回る音」――そういったものに、輝かしき未来と無限の可能性を思い描いていた世代は、たしかに存在していたのだ。この世界は、いったいいつからこんなことになってしまったのだろう。(1999.05.08)



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