食べることの幸せ――『アンダーソン家のヨメ』考 



 いかにも英語っぽい日本語を駆使して、アメリカ人の家族の生活に飛びこんでいくことになった日本人の女性を軽いタッチで描いた小説――野中柊の『アンダーソン家のヨメ』に関して、書評のほうではいかにもなことを書いてしまったが、本書のほんとうの価値は、なにより登場人物の食事風景にある、ということをどうしても書いておかなければなるまい。
 とにかく、読んでいるとほんとうにその食べ物がおいしそうに思えてくるから不思議である。

  こくのあるチョコレート・アイスクリームの中に、ナッツやらダーク・チョコレート・
 チップやらホワイト・チョコレート・チップやらがぼんぼん埋まっていて、一口食べる
 ごとに、これぞアメリカン・ドリームの具象とばかりに、めくるめく興奮が高まってい
 くのだ。ヨモギは、食べ終った後も、カップの底にこびりついたチョコレートを嘗めた
 いという衝動をおさえかね、牛のイラストの描いてあるポップな色調の紙のカップを
 捨てるに捨てられず、そっとバッグの中にしのばせたものである。
(『ヨモギ・アイス』
 より抜粋)

 よく料理マンがなどで「まったりとしてそれでいてしつこくなく……」とかいって出てきた料理の評価をする場面があるが、そんなレベルの描写ではない。その事細かな描写によって、おそらく想像力がかきたてられるのだろう、読んでいてだんだん唾液が口の中にたまってくるのだ。そしてほぼ間違いなく、アイスが食べたくなってくる。ダイエットをしている女性は、本書を読まないほうが賢明だろう。

 食べているときの描写も一級品だ。

  ヨモギとジミーは座席について、アイスクリームを食べはじめた。食べているときの
 二人は寡黙である。押し黙って、ひたすらモクモクと食べる。アイスクリームの上にか
 かっているホット・ファッジ――(中略)――と生クリームの生ぬるさとアイスクリー
 ムの冷たさという三段階の温度のハーモニーがたまらない。トッピングのナッツは、さ
 しずめカスタネットでクランチ、クランチ、と甘いメロディに合いの手を入れる。ヨモ
 ギとジミーは、甘さとリズムに酔いしれて、肉体の先端的快楽にずぶずぶと溺れてしま
 う。食べるって、本当に楽しい。
(『ヨモギ・アイス』より抜粋)

「食べるって、本当に楽しい」とつぶやくヨモギの言葉は、何の疑問もなく読者の脳裏に焼きつく。事実、読んでいて本当に楽しそうに食事をしているのがよくわかるのだ。毎日のように何かを食べて生きている私達だが、食べるという行為がこんなにも楽しいものなのか、とふと思い知らされる。『ヨモギ・アイス』も『アンダーソン家のヨメ』も、こうした楽しそうな食事風景を随所に見ることができ、その幸福感を共有することができる、たぐいまれな作品なのだ。

 だが、ここで私はふと思う。同じような食べ物を同じように食べたとしても、一人で食べるのと大勢で食べるのとでは、やはりその味も違ってくるのではなかろうか、と。本書のニ作品のなかで、食事風景は必ず二人以上の登場人物をからめて書かれている。おいしいものを食べたら、この幸せを他の人にも味わわせてあげたい、と思うのが人間というもの。自分と同じように、おいしいものを食べている人がいるからこそ、本書の食事風景はその幸福感を充分に伝えることができるのだ。
 好きな人とふたりっきりでおいしいものを食べる、あるいは、大勢の家族でホームパーティー風の食事を楽しむ――食べることの幸福は、実はこういうところにこそあるのだ、ということを、あらためて本書に教えられたような気がする。(1999.02.22)



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