情景描写がもたらす想像力――『妊娠カレンダー』考 



 これは、あるいは小川洋子の文体考と言ってもいいかもしれないが、ともかく『妊娠カレンダー』に限らず、小川洋子の小説を読んでいると、不思議な事実に気がつく。それは、小説のなかに書かれている情景が、いともたやすく想像することができる、ということである。

 私は読書好きのわりに人より想像力が乏しいらしく、大部分の小説を読むとき、そこに書かれている情景がどんなものであるかを想像するのに苦労するのが常だ。同じ箇所を何度も読み返したり、いったん読むのを中断して考えてみたりすることもあるのだが、これまで読んできた小川洋子の作品に関しては、何の苦労もすることなく、そこに描かれた場面を思い浮かべることができるのだ。
 それはおそらく、著者の作品に含まれる情景描写の巧みさにあるのではないだろうか。
 小川洋子の作品は、他のものとくらべると、本編とは関係なさそうな、ありふれた物に対する描写が多い。多作な作家にありがちな、ただページ数をかせぐためだけに書かれる、会話文ばかりが続く文章は、著者の作品には存在しない。会話が続く場面でも、まるで息継ぎをさせるかのように、絶妙なタイミングで情景描写が差しはさまれるのだ。

 「あるだけ全部見せたらいいんじゃないの」
  とわたしが答えると、姉は
 「全部といったら丸二年分、二十四枚もあるのよ」
  と高い声を出して、ヨーグルトのびんに突っ込んだスプーンをぐるぐるかき回した。
 (中略)
 「だってもったいないじゃないの。せっかく二年も計ったんだから」
 「医者がわたしの目の前で、二十四枚ものグラフ用紙をがさがさめくっている場面を思
 い浮かべると、惨めな気持ちになるの。妊娠に至るまでの手順を、いちいちのぞき見さ
 れてるみたいで」
  姉はスプーンの先についたヨーグルトを眺めた。それは不透明に白く光りながら、と
 ろとろとスプーンからこぼれ落ちた。
(『妊娠カレンダー』より抜粋)

 ほんの一部分の紹介だが、姉妹の会話の間に、びん入りのヨーグルトをスプーンでかき回し、引き上げたスプーンからヨーグルトが落ちるという動きのある描写が入り込むことで、姉妹の会話に時間の流れが与えられ、それが姉妹の会話の様子をより生き生きとしたものにしている。
 小川洋子の作品がとりあげられるとき、著者独特の感性が生み出す比喩表現(たとえばマカロニ=消化管、グラタン=内臓の消化液、超音波写真=凍りついた夜空に降る雨、染色体=双子の蝶の幼虫、など)に目が向けられがちなのだが、わたしはむしろ、なんでもないような、普通の人なら見落としてしまいそうな物事に目を向け、それを作品のなかで描写してしまう著者独特の洞察力のほうがすごいと思ってしまう。

  円盤型の巨大な電灯から降ってくる光が頬に当たって熱かった。ダイヤモンド型や針
 型のドリルの先が、サイドテーブルに並んでいた。うがい用の銀色のコップから、水が
 あふれてこぼれていた。
(『妊娠カレンダー』より抜粋)

 前後の文章がなくても、主人公が何のためにどこにいるのかが、おそらくわかるのではないだろうか。じつにうまい情景描写である。

 たんに、私の文章の好みの問題なのかもしれない。だが、どんなにすごい物語を思いつき、それを小説にすることができても、そのなかの場面場面の描写がリアルでなければ、今の読者はおそらくついて来れないのではないだろうか。一部ファンタジー系文庫のように、多くの挿絵を入れて読者の想像力の手助けをするという方法もある。だが、それは小説の本来の姿ではない、読者自身が想像して読めるのが小説なのだ、 という作家の方は、独創性などどうでもいいから、せめて自分が思っているような情景を読者に誘導させるくらいの描写力をつけてもらいたいものである、と自分の想像力のなさを棚にあげてそう思った。(1999.02.08)



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