江戸の俳諧と現代の小説――『ひねくれ一茶』考 



 現代はそれこそ星の数ほどの作家が存在し、さらにそれを上回る作家予備軍がひしめきあい、インターネットという便利なものによって簡単に自分の作品を世界に発表できる時代であるが、少なくとも「星の数ほどの作家が存在」する、という点に関して言えば、江戸時代 中期も同じようなものだったらしい。もっとも、ひしめきあっているのは小説家ではなく、俳人なのだが。
 田辺聖子の『ひねくれ一茶』は俳人小林一茶を主人公にした小説であるが、小説のなかの彼のことばは、数多くの作家や作家予備軍によって書かれた無数の小説で溢れかえる現代を示唆しているような気がしてならない。
 一茶は蝿や蚤といった、およそそれまでの俳句においては「俗っぽい」とされてきたものを題材に、だれが見てもわかるような俳句を数多くつくった人であるが、そのために、当初は他の俳人に叩かれることも少なくなかったようだ。だが、一茶は俳句をつくるにおいて重 要な「風雅の心」について聞かれたとき、「風雅の心」は「あわれみの心」だと言っている。

 「びっくりする心……と申しましょうか、――人の世の面白さを賞で興ずる心……とい
 うことになるのか、それをしもびっくり、というのか。尤もびっくりが金儲けにつなが
 っては何にもならねえ、金や欲気は、ちょいと脇へとりのけにゃ、ならねえ」
 (中略)
 「……俗語鄙言も恐れるにゃ及ばねえことですよ。ただ、欲気や見栄っ張りの語句はい
 けねえね。人にほめてもらおうとか、人をあっといわそうという邪まな色気は俗なる心、
 俗なる言葉というものでしょう、(以下略)」

 また、あきらかに他人の俳句を真似てつくった作品に対して、一茶は怒りを押さえることができない。

 こんなものはァ、川柳点でも雑俳狂俳でもありゃしねえ、いかな雑俳狂俳でも自分の
 心の声を五七五にまとめるにゃ、七転八倒の苦しみをする、だからこそ、雑俳狂俳で
 も人の心を打ち、人の頤を解くってもんだ、まして俳諧というのは人の心を清め、高
 めるもんだ。五七五で森羅万象を詠んで、しかも浄化して和らげるもの、だからこそ、
 俳句の一句にみなみな、のたうちまわって苦しむんだ、それを、ひとののこりかすを
 もてあそんで、いい気になるんじゃねえ

 すべての物語は語り尽くされてしまった、という人がいる。だからといって、自分が書いた小説が他の誰かが以前に書いた作品と似たものになったとしても、それはそれで仕方のないことだ、と考えるのはどんなものか、と私などは思ってしまう。小説を書くからには、 ただ面白ければいい、というのではなく、そこに新しい何かを感じさせるようなものに仕上げてほしい。『ひねくれ一茶』を詠むと、そんな想いがこみあげてくる。
 では、その当の一茶は、常に誰もが書いたことのないような俳句を創造できる、いわゆる俳句の天才だったのだろうか。『ひねくれ一茶』に書かれる一茶は、どうもそんなふうには書かれていないようだ。
 江戸時代中期、俳諧の世界では松尾芭蕉という俳人が頂点にあった。俳人を志すものはみんな芭蕉を目標にしていた、と言ってもいい。一茶もはじめはそうだった。

  一茶は芭蕉の句を書き抜いたものを常に懐中し、作句の指針にしている。いや、これ
 まではそうしてきた。しかしこの一、ニ年、微妙に色変わりしてきた気分を感じる。芭
 蕉の句の気高さが好ましいのは今も変わらないが、その道を行ったって、結局、芭蕉が
 立ちふさがり、それを超えられない。超えるとすれば、それはもはや俳諧ではなくなっ
 ってしまうだろう。

 自然が好きで、その情景を自分なりの五七五で表現したいと願う一茶は、「蕉翁の脛をかじるのはやめて、自分なりの道をさがさなければならぬ」と感じる。妥協を許さない自分への厳しさ、そして他人がつくった道ではなく、自分で自分の道を切り開くための、惜しま ぬ努力――それが、今日の教科書にまでその名前が残るほど有名になった一因なのだろう。というより、それが大前提だとも言える。
 私たちは、テレビや映画、書物など数多くのメディアに囲まれ、否応なくその影響を受けている。そんななかにあって、どれだけ自分というものを信じることができるだろうか。自分に自信をもっている人の小説は生き生きしている。いや、小説に限らず、何物にも屈し ない頑強な自己をもつ人間はみんな生き生きとしている。田辺聖子が小林一茶のことを小説にして書き残そうとしたのは、あるいはこのような時代を反映してのことなのかもしれない。(1998.12.13)



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