八方美人でない随筆

2007年に読んだ本のベスト10

 今年は私、頑張りましたよ。例年より海外翻訳ものの小説に力を入れたし、新潮社クレストブックスのコンプリートも継続中です。が、とりあえず今年はこれでしめくくりです。

 2007年に読んだ本のベスト10(一応同不順)

『失われた町』(三崎亜記著 集英社)
 「町の消失」という理不尽さを食い止めようと奮闘する人たちの、消えた人々の「想い」をつないでいこうとする静かな決意が感動的な一冊。

『ある秘密』(フィリップ・グランベール著 新潮社)
 ひた隠しにされた「ある秘密」の大きさと残酷さを胸に、そのすべてを受け入れ、許していこうとする語り手の成長ぶり著しい作品。

『カーラのゲーム』(ゴードン・スティーヴンズ著 東京創元社)
 狂った弱者と強者の関係をただすべく、カーラがとった敢然たる行動と、その心のなかにある願いの壮絶さに言葉を失う感動作。

『落下する緑』(田中啓文著 東京創元社)
 ジャズとミステリーの融合した「日常の謎」推理小説。短編ひとつひとつの完成度が高く、ジャズを知らない人でも楽しめる作品。

『リンさんの小さな子』(フィリップ・クローデル著 みすず書房)
 言葉は伝わらない。だが心はきっと通じ合える――地味で小さな世界をしっかりととらえ、間違いやすれ違いさえもいとおしくなる傑作。

『吉原手引草』(松井今朝子著 幻冬舎)
 吉原に住むさまざまな人の証言のみで、ひとりの女性の壮絶な人生を浮かび上がらせるその手法は、見事というほかにない。

『ぼくのメジャースプーン』(辻村深月著 講談社)
 人が人を罰するということ、善意や悪意といった問題と正面から取り組み、すべてを背負ったうえでそれでも自分の能力を誰かのために使うと決めた小学生のりりしさ。

『オリガ・モリソヴナの反語法』(米原万理著 集英社)
 何よりオリガ・モリソヴナのキャラクターが強烈。反語法のなかに込められた不屈の闘志と反骨精神に胸打たれる一冊。

『フリーダム・ライターズ』(エリン・グルーウェルとフリーダム・ライターズ著 講談社)
 アメリカ版「金八先生」。この作品のなかには、復讐と憎悪で回転する負の連鎖を食い止めるための方法がある。

『マルドゥック・スクランブル』(冲方丁著 早川書房)
 物語後半のカジノ勝負が圧巻。自分の生に意味を見出せなかった少女が、戦いと成長のなかで確たる自分を築き上げていく過程が感動的な作品。金色ネズミのウフコックも良い味出してます。

 次点

『隣の家の少女』(ジャック・ケッチャム著 扶桑社)
 絶対に人には勧められないが、このうえなく後味が悪いという点で、絶大な破壊力を誇る劇薬小説。

Yahoo!カテゴリというステータス

 唐突だが、検索エンジン「Yahoo!JAPAN」のカテゴリに「八方美人な書評ページ」が登録されていた。べつにYahoo!のほうから登録の連絡があったわけではない。暇つぶしに自分のサイトへの逆リンクをGoogleで探しているうちに、たまたま登録されているのを見つけたのだ。ちなみに、登録されたカテゴリは「芸術と人文>文学>小説>評論、レビュー」。いったいいつの間に登録されたんだ、というのが正直な感想だったりする。

 私がこのサイトをはじめたのは、1998年の10月頃。そのころ、検索エンジンといえばYahoo!の知名度が圧倒的で、自分のサイトを開設した人は、いかにしてYahoo!のカテゴリに登録してもらうか、ということに苦心していた。Yahoo!に登録されるかどうかで、サイトへのアクセス数が大幅に異なってくるから、自分のサイトを宣伝したい人にとって、Yahoo!のカテゴリに登録されるというのは、たしかに大きなステータスになっていた。

 私も当初、Yahoo!に登録してもらおうとけっこう頑張っていたのだが、何度やっても梨のつぶて状態で、見事なまでに撃沈されつづけていた。そのうち情勢が変わってきて、Googleがあらたな検索エンジンとして台頭してくるようになった。「ググる」なんていう言葉を生み出したGoogleは、いまや検索エンジンとしてだけでなく、じつにさまざまなジャンルでインターネット界を席巻しつづけている。そのうち私も検索エンジンとしてYahoo!よりもGoogleを使う機会が多くなり、今ではGoogleしか使わなくなっている自分がそこにいた。それと同時に、Yahoo!カテゴリへの登録について、以前ほどの執着をなくしていった。最後に登録申し込みを敢行したのは、何年前だったろう。おそらくその頃には、サイトとしては成熟期に入っていたのだろうし、わざわざ登録してもらわなくとも充分な満足を、自分のつくったサイトから得られるようにもなっていた。

 だからこそ、今になって知らないうちに登録されていたという状況が、なんとも皮肉なことのように思えてくる。むろん、Yahoo!JAPANというブランドは日本において今も一位の座を守り続けているし、インターネット初心者にとって、まず頼りにするのがYahoo!JAPANであることも知っている。にもかかわらず、Yahoo!のカテゴリに登録された事実に対して「今更」感が強いのは、インターネットにおけるサイトのありかたやその価値観が、以前とは違ったふうに変化してきたからに他ならない。

 どのように、という問いに対して具体的な言葉があるわけではない。だが、ごく個人的な話をするなら、たとえばアクセスカウントを以前ほど重視しなくなった。サイトのトップページに置かれている、「貴方は○×番目の訪問者です」というあのカウンターのことだが、Googleを使って検索する場合、ある本のタイトルを検索ワードにすれば、ヒットするのは私のサイトのトップページではなく、私の書いた書評のページのひとつである。検索者は私のサイトのトップページではなく、直接私の書いた書評のページにアクセスしてくる。そしてそのまま去ってしまう可能性は極めて高い。そんな検索方法が主流になりつつある今、サイトのトップにどれだけのアクセスがあったのか、という情報はさほど大きな意味をもたなくなりつつある。

 変化といえば、ここ数年「相互リンク」のお願いが来るようになってきたことも妙に気になっていた。こちらはリンクフリーだし、とくに連絡する必要もないということは公言してきたが、これってSEO対策なんだなあと最近になって気がついた。私の場合、リンク集というと「個人的ブックマーク」という意味合いが強いのだが、リンクに対する意味も、やはり以前と比べると変化していているのだろうと今更ながら実感している。

 Yahoo!カテゴリに登録されるというステータスは、今現在、インターネット上にサイトやブログを載せている個人にとって、どれほどの魅力をもっているのだろうか。(2007.11.22)

セレブでハイセンスな読書家のために・・・

 これまでリザウンドの読書スタンドや「スワンタッチ」など、読書をより快適なものとするための用品を何度かこの場で取り上げてきた。そのさい、じっさいにその用品を購入し、その使い勝手を検証することを自身に課してきたわけだが、そんな私にも「これはちょっと手が出せない」と思わせるものが、やはりいくつか存在する。今回はそういった用品について取り上げたいと思う。これらの用品を使いこなすには、ただたんに「読書が好き」というだけでは駄目なのだ。それに加えて、裕福であることと、芸術的センスが必要という、まさに選ばれし者のみが所有を許される、スペシャルな用品である。

 まずは「Book Worm」という本棚。イギリスの若手デザイナー、ロン・アラッドによって生み出されたこの本棚は、自由自在に形を変えることができる世界初の本棚で、形状は一枚の長い板にいくつかの仕切りを取り付けたもの。持主は、この長い板を好きなように変形させ、それを壁に取り付けることで、じつに個性的な本棚を作り出すことができるという。

http://works.shop-pro.jp/?pid=201179

 上のリンク先をご覧になればわかると思うが、この斬新な本棚は、その値段の高さもさることながら、この本棚が見栄えよく見えるための広い空間をもつ部屋と、さらにその独創性を演出できるだけのセンスを必要とするものであり、賃貸アパートの小さな部屋に住んでいる私のような庶民にはとても手が出ない代物だったりします。ええ、こんな本棚が置けるような部屋に住んでみたいものですが。

 もうひとつ紹介するのは「Book-X」という名の本立て。これは、本棚に収容した本が倒れたり滑り出したりするのを防ぐためのいわばストッパーで、見た目は小型の折り畳み椅子のような形状をしている。このX形状の部分は自由に開閉可能で、この幅を調整することで、本棚にできる不規則な空きスペースに自由に対応できるというのが、この用品のウリである。

http://www.book-x.jp/

 「スタイリッシュな本立て」という宣伝文句のとおり、この斬新な本立てを使うには、それに見合うだけの立派な本棚があることが前提となっている。値段もそれなりにけっこうなものがあるが、それ以前に私のように、いかにも安っぽいカラーボックスを本棚替わりに使っているような庶民には無縁の代物だったりする。しかも、この本立てを使うということは、所有している本棚の収容スペースがまだけっこう余っている、という大前提がある。本棚に本がいっぱいで、上に空いたスペースにまで本を突っ込んでいるような重度の読書家には、無用の長物になりかねないものだ。

 そう、もうおわかりだと思うが、これらの用品を必要とするのは、たとえば自分専用の書斎を持っていて、しばしばその書斎に人を招いたりするだけの経済的余裕のある方、それなりの高い地位にある方たちなのだ。そしてこれらの用品は、その持ち主の「読書家」という側面よりは、むしろ「品の良さ」をアピールするためのものでもある。ああ、セレブでハイセンスな読書家――それは私にとって、天空に瞬く星よりも遠い存在だ。(2007.07.17)


セレブでハイセンスな読書家とは程遠い本棚



漢字を開けば運命も開ける?

 最近、巷で話題になっているもののひとつとして、「そうじ力」というのがあるそうだ。

 なんでも、自分の部屋をきれいに掃除することで、夢がかなったり、好運が訪れたり、やろうとしていたことが成功したり、悪い癖が治ったり、はたまた恋人ができちゃったりするという、なんとも良いこと尽くめの「そうじ力」であるが、このブームの成功の鍵は、「掃除力」ではなく、「そうじ力」と漢字を開いたことにあると思う。

 たんに「掃除力」と書いてしまうと、まるで個人個人がもつ「掃除を行なうための能力」、つまり、ある人がどれだけキレイに掃除することができるのか、というイメージがつきまとってしまうのだが、ここで言われている「そうじ力」というのは、掃除をすることによってもたらされる幸運のこと、つまり掃除という行為がもつ不思議な力、という意味であり、漢字がもつお堅いイメージとは違うということを強調するうえで、あえて漢字を開いた「そうじ」という言葉を用いたのである。なるほど、本来漢字を開くというのは、文章をよりわかりやすいものにするためのテクニックのひとつであるのだが、「掃除力」と書かれるよりも、「そうじ力」と書かれたほうが、よりとっつきやすい印象が出てくるのはたしかだ。

 そこで、昨今問題となっている若者の読書離れについても、どこかのお偉いさんが上段に構えるように「読書」の素晴らしさ、その文化の崇高さを教え説いていくのではなく、読書をするとこんなにも良いことがあるんだよ、という点をアピールしていけばいいんじゃないだろうか。

 そう、「読書力」ではなく、「どくしょ力」である。

「どくしょ力で人生をリセット!」

 皆さんは本を読んでいますか? 誰にもカンタンにできる「どくしょ」には、たんに知識を得たり、これまで知らなかった世界を垣間見せてくれたりするだけでなく、あなたの人生を好転させ、幸運を呼びこむパワーがあるのです。これが「どくしょ力」です。

 世の中で成功している人の大半が、読書を日課としていたことをご存知ですか? 出版されているビジネス書を片っぱしから読んで、公認会計士でありながら中小企業のマーケティングを請け負うようになった著名人もいます。また全国の学校で「朝の読書」運動を推進させているのは、学校関係者が読書がもたらす力を認めているからに他なりませんし、各自治体が勧めている「ブックスタート(赤ちゃんに絵本を手渡す活動)」についても同様です。

 人がこれまでに読んだ本は、その人自身の反映です。乏しい読書量は、その人の心の貧しさの表れであり、人生も暗いものになってしまいます。

 この「どくしょ力」には、二つのパワーがあります。ひとつは問題を解決するための光をもたらし、自分が持っている本来の視野を取り戻す「マイナスを取り去るどくしょ力」、もうひとつは、常に問題意識をもち、自分で物事を考えるようになることで、幸運を自分のもとに循環させる「プラスを引き寄せるどくしょ力」です。このふたつのパワーが合わさったとき、あなたの人生の大逆転がはじまるのです!


 いかがですか。この「どくしょ力」が世間に浸透していけば、きっと本屋は「偶然同じ本を手にとってしまう出会い」を求める男女で溢れるに違いないし、そうしてカップルが生まれて結婚していけば、少子化問題も一挙に解決、日本も安泰ということになるのだが。おお、良いことづくめじゃないか、「どくしょ力」。(2007.05.23)

本屋大賞はどこへ向かっていくのか

 今年で四回目を迎える「本屋大賞」の、ノミネートされた10作品に対する二次投票が〆切られ、あとは四月の発表を待つばかりとなったわけであるが、第三回同様、第四回のノミネート作品についても、いずれも何らかの形で話題になった有名どころの作品が選ばれる結果となり、新刊書籍の情報についてことのほか敏感なアンテナをもつ読書家たちにとっては、以前ほどの魅力を感じなくなった、といった意見をしばしば聞くようになっている。

 たしかに第一回や第二回の本屋大賞については、大賞に選ばれた作品は巷でそれほど話題にもなっておらず、それゆえにこの賞がなければそのまま忘れられていったかもしれない良質な作品をクローズアップした、という側面が強かったし、だからこそ本屋大賞は、文芸作品に対する新しい賞のあり方として注目もされ、それなりに信頼もされてくるようになった、という見方もできる。

 だが、それまでのノミネート作品をあらためて見返してみると、第一回でも第二回でも、同じように有名どころの作品がけっこう候補に挙がっていたことも事実である。ただ、第三回の本屋大賞が、当時すでに100万部以上も売れていたリリー・フランキーの『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』であった、というだけのことであり、このような結果になる可能性は、第一回の本屋大賞の頃からありうるものでもあった。

 これはただの結果論だろうか。いや、本屋大賞が世間で認知され、参加する書店員の数が増えたことで、本来の賞としてのあり方が確定されつつあると考えたほうがいい。それは、言ってみれば「流行語大賞」などと同じ方向性である。つまり、その年に話題になった作品のなかから、とくに良質の作品に贈られる賞、という位置づけだ。ノミネートされる作品の傾向が「その年の話題作」で固められるようになってきている以上――そして、他ならぬ本屋大賞としての「箔」が、ひとつの必然としてあまりにアクの強い作品やクセのある作品のノミネートを阻む方向に動くようになってきている以上――こうした方向性は今後も進んでいくように思える。

 私の個人的な意見として、本屋大賞のノミネート作が「その年の話題作」であるという位置づけは、それほど悪いものではない。むしろ、新刊というものにあまり読書のアンテナを広げていない私としては、これらのノミネート作が話題作なのだという認識ができるという点で、ひとつの指標として充分有効でさえある。じっさい、今回のノミネート作のいくつかを読んでみたが、いずれの作品もひどいハズレはなく、それなりに面白く読むことができた。

 ところで、今回のノミネート作品について、いくつかの書店員が運営しているブログを覗いてみたところ、ひとつの面白い傾向が出ていることがわかってきた。それは、佐藤多佳子の『一瞬の風になれ』というノミネート作について、一様に大本命だろうと予測している点である。

 この『一瞬の風になれ』、じつは単行本にして三冊分の作品であり、これまでのノミネート作がいずれも「一巻もの」であったことを考えるときわめて異例のものであるのだが、もしこの作品が大賞に選ばれるとしたら、そのことに対する世間の反応にはおおいに注目するべきものがあるだろう。なぜなら、本屋大賞が他ならぬ「書店員が売りたい」本を選ぶ賞であり、そうである以上、まっさきに出てくる意見として考えられるのが、『一瞬の風になれ』が一番値段の高い作品だから選ばれた、というものであろうからだ。

 だが、これまでに出てきた本屋大賞への批判として、「上下巻もののなかにも面白い作品はたくさんあるのに、ノミネート作にすら入ってこない」というものがあったのもたしかであり、もし『一瞬の風になれ』が大賞になれば、少なくとも分量の多い作品であっても本屋大賞に選ばれる、という新たなケースを築くことにもなる(ちなみに、『一瞬の風になれ』が本当に単行本三冊にする必要があったのかどうか、という点についてはここでは問わない。重要なのは、『一瞬の風になれ』が三分冊であるという事実であるからだ)。

 第四回の本屋大賞が発表になるのは四月五日。私個人としては三崎亜記の『失われた町』にぜひとも大賞をとってほしいところなのだが、ともあれ今回の本屋大賞の結果は、今後の賞の方向性をさだめるという意味でも重要なものとなるはずである。(2007.03.05)

物語という名の味付け

 瀬尾まいこの小説『幸福な食卓』には、ヨシコさんという女性がつくるシュークリームがたびたび出てくる。このシュークリーム、何事につけても大雑把なヨシコさんの性格を反映するかのように、ときどきクリームの中に卵の殻の欠片が混じっていることがあるのだが、この大味なシュークリームが、物語のなかでけっこう重要な役割をはたしているのは、本書を読んだことのある人であれば誰もが認めるところだろう。

 ところで、「本の数珠つなぎ」のにこさんからの情報提供によって、このシュークリームが市販されていることを知ったのはつい最近のことだ。


 その名も「幸福な食卓シュー」。さすがに卵の殻の欠片をそのまま入れるわけにはいかなかったのか、カスタードクリームのなかにアーモンドスライスを混入し、それを「幸福のかけら」と称してセールスポイントとしているのだが、私が面白いと思ったのは、映画化というイベントがあったにしろ、小説内に出てくる食べ物を現実世界で再現し、商品化してしまったという点である。

 カスタードクリームのなかにアーモンドスライスを入れる、という部分以外は普通のシュークリームであるにもかかわらず(いや、やや厚めの生地といい、カスタードクリームのとろーり感といい、けっこう忠実に再現していると思いましたし、じっさい美味しかったですよ)、それが「『幸福な食卓』に出てくるシュークリーム」という付加価値をつけることで、どれだけの購買を期待できるのか――このとき私がふと思い出したのは、吉田音の『Think 夜に猫が身をひそめるところ』のなかに出てくる、商品である香辛料にさまざまな物語を付加していくというエピソードだ。ただの調味料でしかない香辛料に、その背景にある物語をつけることによって、より魅力的な香辛料へと変化させてしまうというその発想は、何より物語好きである私の心に深く印象づけられるものであったのだが、「幸福な食卓シュー」もまた、同じような発想によって生まれたものではないだろうか。

 そして、もしこの「幸福な食卓シュー」の商法が成功をおさめるようなことになったとしたら、他の会社も二匹目のドジョウを狙ってくるのではないだろうか。たとえば、絵本の『ぐりとぐら』に出てくるパンケーキとか、高楼方子の『ルチアさん』に出てくる青い実のシロップ漬けとか、はたまた福井晴敏の『終戦のローレライ』に出てくる、パウラちゃんが食べたアイスクリームとか――そんな新メニューがいろいろ出るようになれば、消費者は当然その元になった本にも興味をもつだろうし、そうなれば本の売上も伸びていくに違いない。おお、これこそ経済の消費理論でいうところの「補完性」というものではないか!

 あ、でも今の戦隊シリーズみたいに、スポンサーのてこ入れによってあからさまに新しい武器が増えたり、巨大ロボットが何体も出てきて、あげくそれらが合体しちゃったりするような流れが、小説のなかに起こってしまうのも、それはそれで困るかも・・・。(2007.02.17)

 

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