八方美人でない随筆

スワンタッチその後

 以前紹介したスワンタッチという栞の問題点として、両面テープの粘着力についてとりあげたかと思うが、その後も継続的に購入と使用を繰り返してみて、やはりこの点がスワンタッチの大きな問題だという認識をあらたにした。

 あまりに粘着力が強いと、剥がすときにページそのものを傷つけてしまいかねないし、かといって弱すぎるとすぐに剥がれてしまい、回数がもたない。もちろん、ある程度使い捨てであることを考慮はしているが、数回も使わないうちに粘着力が極端に弱くなってしまい、新しいものと交換しなければならなくなるというのは、ちょっと惜しい。

 そこで、最近こんなふうに粘着力を補強するようにしたのだが、どうだろうか。

  

  

  

  


 クリップで首の部分をページごと挟んでみました!

 写真をよく見てもらうとわかるが、両面テープの保護シールを剥がしていない状態である。もっとも、購入時に台紙に固定するための両面テープは生きているので、クリップだけの力とは言えないが、これでも弱くなった粘着力を充分に補ってあまりある効果を発揮することがわかっている。
 ちなみに、クリップを挟むときは、できれば2〜3ページほどまとめて挟むようにしている。また、クリップはあまり強力なものだと紙を痛める原因になるので注意が必要である。

 もしスワンタッチの粘着力についてご不満のある方がいらっしゃれば、一度この方法を試してみてはいかがだろうか?(2006.06.28)

タイトルをつけるという受難

 インターネット上に公開されているホームページには、たいていは「掲示板」あるいは「BBS」のコンテンツがあり、そこはいろいろな方とコミュニケーションをとる場となっているのだが、その掲示板に書き込みをするさいには、「タイトル」をつけなければならないものが主流だったりする。

 もちろん、タイトルは空欄のまま投稿できるものもあるが、そうなるとタイトルは「(無題)」とかいうものになり、なんともそっけない感じがしてしまう。なので、掲示板に書き込みをするときはどんなタイトルをつけるべきなのかを考えることになるのだが、これがなかなか難しい。

 正直なところ、私はこの手の「タイトル」をつけるのがものすごく苦手である。

 書き込むべき内容を書くのは、それほど苦ではないのだが、いざ内容を書き終えてタイトルをつける段階になると、たいていは途方にくれてしまう。いったい、どんなタイトルをつければいいのか……。もちろん、書き込んだ内容に関連するものをつければいいのだが、短い言葉で内容を端的に表現するのは、できそうでなかなかできるものではない。おそらく高い教養と、独自のセンスが必要になってくるはずなのだ。それこそ短歌や俳句を創作するに匹敵するような技量が。

 掲示板を拝見していると、ときにこの手のタイトルのつけ方が秀逸な方がいらっしゃって、感嘆させられることがある。そして、タイトルがハイセンスだと、それだけでその書き込みが特別なものにさえ思えてしまうから不思議なものだ。

 そういえば、私はサイトで書評を書いているが、その書評のタイトルは、そのまま読んだ本のタイトルを用いている。読書感想文でいえば「〜を読んで」という味も素っ気もないタイトルであるが、この定型句はオーソドックスではあるが堅実なものでもある。そして、この手のタイトルのつけ方について決定的にセンスの欠けている私はふと思うのだ。私がここまでサイトを続けていくことのできた要因のひとつに、もしかしたらタイトルをつけるのに頭を悩ませる必要がない、というのもあるのではないかと。(2006.04.22)

なぜ恋愛小説の登場人物は印象が薄いのか?

 吉本ばなな『TUGUMI』のつぐみ、池上永一『バガージマヌパナス』の仲宗根綾乃、酒見賢一『後宮小説』の銀河――最近では米村圭伍『退屈姫君伝』のめだか姫や、あるいはメアリー・W・ウォーカー『処刑前夜』のモリー・ケイツなどが、個人的に印象に残っている女性の登場人物なのだが、前々から気になっていたことのひとつに、こうした印象に残る登場人物のなかに、恋愛小説に分類される小説の登場人物の名前が挙がってこない、というのがあった。

 たしかに、私は個人的に恋愛小説を読むのが苦手なほうではあるが、それでもまったく手をつけていないわけではないし、なかには三田誠広の『いちご同盟』や川上健一の『翼はいつまでも』、島本理生の『ナラタージュ』など、印象深い作品がなかったわけではない。だが、これらの恋愛小説について思い出すのは、あくまで「恋愛している男女」としてひとくくりにされてしまうもの――たとえば、ふたりの男女がたどることになる恋愛のシチュエーションであったり、とある一場面であったりするものであって、かならずしも個々の登場人物の個性であるわけではない。じっさい、ここに挙げた恋愛小説で、登場人物の名前をパッと思い出せるものは、ひとつもなかったりするのだ。

 なぜ、恋愛小説の登場人物は印象が薄いのか――この問題を考えるためには、まず恋愛小説というジャンルがどのようなものであり、読者がどういったものを恋愛小説に期待しているのか、という点に触れなければならないのだが、この点については、ある意味でもっとも恋愛小説に特化しているハーレクインのロマンス小説をとりあげてみるとわかりやすいだろう。

 ハーレクインのロマンス小説には、ひとつの大きな特徴がある。それは、物語がかならずハッピーエンドで終わるということ。つまり、いろいろと紆余曲折はあるものの、ヒロインはかならず愛しの男性と結ばれることになるのだ。その他、登場人物たちにはいろいろと秘密や隠し事があるとか、多少の濡れ場があるとか、けっこう多くのシリーズがあるとかいった特色もあるが、これらのジャンルで重要なのは、あくまで女性が男性と出会い、恋に落ちて、最後にはハッピーエンドで終わる、という流れを崩さないことであり、極端な話、登場する男性や女性の外見や性格、個性といったものが変わろうと、物語全体の流れ――ここではふたりの男女の恋愛の行方――が変わることがない、ということである。

 逆にいえば、この流れを破綻させてしまうほどの個性をもつ登場人物は、恋愛小説においては必要とされていない、ということでもある。これが何を意味するかといえば、恋愛小説とは、「恋愛」そのものが主人公の物語に他ならないということ。恋愛小説においては、強烈な個性というのは、その大前提である「恋愛」とは相容れない要素であり、登場人物の個性は、あくまで「恋愛」を味付けするためのものに成り下がってしまう。それでもなお強烈な個性を前面に押し出そうとすれば、恋愛小説という枠組みそのものを壊してしまう。たとえば、上述した『TUGUMI』は、じつはつぐみの恋愛という要素もかなり大きなウエイトを占めている作品でもあるのだが、病弱なくせに極悪な性格という破天荒な性格があまりに印象深かったために、恋愛小説としては破綻してしまった例である。

 強烈な個性は恋愛の要素を潰し、強いロマンス志向は登場人物の個性を殺す――ここに、おそらく既成の「恋愛」の形、世間一般がこうだと押しつけてくる、清く正しい恋愛の形の限界がある。伝えたいこと、表現したい世界を言葉だけで構築するのが小説であるとすれば、恋愛という目に見えない感情を描く恋愛小説とは、なんと奥深く、そして形にするのが困難なジャンルなのだろうと思わずにはいられない。(2006.03.25)

「褒める書評」について、整理する


 私が「褒める書評」を書くことと、その本に対して私が個人的にいだく感情とは、まったくの別物である。


 この一文を読んで、「何をあたりまえのことを」と思った方は、これ以上この随筆を読む必要はありません。というか、むしろそんな人たちばかりであることを願うばかりですが、もし万が一、この見解に憤りや欺瞞を感じる方がいるなら、そのまま読み進めてください。今回の随筆は、まさにそんなごく一部の人のために書いたものです。

 私はこれまで、「読んだ本は意地でも褒める」というスタンスで書評を書いてきたが、むやみやたらと「面白い」とか「素晴らしい」とかいった、内容のともなわない賞賛にならないよう、それなりに心を砕いてきたつもりである。

 私が書評を書くときにまず考えてみるのは、「この著者はなぜこの作品を書こうと思ったのだろう」ということである。あらためて作品を読み返すときも、そうした視点に立つように努めており、それがある程度見えてきたところで、はじめて書評の体裁を考えることになる。もちろん、一読者に過ぎない私に書き手の意図を100パーセント汲み取ることは不可能であるし、そのための知識もけっして豊富なわけではないのだが、少なからぬ時間と労力を費やしてひとつの作品を創作したからには、そこにはかならず著者の、その作品への思いというものがあるはずだ、という考えは、今ももちつづけている私のささやかな矜持である。

 ひとつの作品に対する評価というものは人によってバラバラであることは百も承知で、それでもなお「褒める書評」を書くためには、私個人の好き嫌いはとりあえず脇に置いておいて、より客観的な視点から作品をとらえる必要がある。書き手の立場から考えてみる、という私の姿勢はそのためのひとつの手段であるが、そうすることで、読んだ作品に対してもっと別の見方、別のとらえかた、あるいは新たな発見があるのではないか――しいては一度その本を読んだものの、たいして評価できなかった人であっても、私の書評を読むことで、あるいはもう一度その作品に対して興味をいだいてくれるのではないか、という意図がある。

 それゆえに、私にとっての読書とは、もちろん私自身が面白いと思うことができれば言うことなしなのだが、仮にたいして面白くない、退屈だと思った作品であったとしても、その感情と「褒める書評」を書くという行為とはまったくの別物としてとらえている。私のなかでは、このふたつはまったく矛盾することなく成立可能なものであるし、そもそもその作品の良いところ、褒めるべきところというのは、私の個人的感情とは無関係のところに存在するものでもある。それは私にとっては、あまりにあたり前のことであり、おそらく私以外のこのサイトを訪れてくださる人も当然そうだろうと思っていて、これまでとくに意識することさえもなかったのだが、どうも世の中にはそうでない人たちもいるのではないか、ということを思うようになっている。

 彼らにとって、私の「褒める書評」を書くという行為の裏には、当然のことながらその作品に対する強い共感や感銘があるはずだ、という前提があるらしい。つまり、彼らにとって私が「褒める書評」を書くことは、そのまま私がその本に対して共感や感銘を受けたことと同義であり、しいては彼らがその本に感じた共感や感銘ともつながっていくはずだ、という思いこみが成立しているようなのだ。先日、掲示板で私が書いた発言がもとで、ある人物とちょっとした騒動が起こったのだが、その後彼と何度か、あまり話のかみ合わない話を重ねていった結果、なんとなくわかってきたのは、けっきょくのところ彼は、私が書いたある本の書評と、私が掲示板で書いたその本に対する感想が矛盾しており、それはおかしいし、理解できない、ということを言いたかったらしい。

 だが、重ねて言うが、「褒める書評」を書くことと、私自身がその作品に対していだく個人的な感情とは、まったく結びつきはしないし、また矛盾するものでもない。その前提が成立しないかぎり、この手の人たちとの話し合いはけっしてかみ合うことのない、ひたすら不毛なものに終始してしまうことだろう。

 だから、この場を借りてもう一度はっきりと言っておきたい。私が「褒める書評」を書いたからといって、私がその本に100パーセント良い印象をもっているとは思わないでいただきたい。そして、そのことはけっして矛盾しないし、私の本に対する矜持を曲げることでもないことを理解していただきたい。(2005.03.06)

スワンタッチ

 昨年末の日経新聞の夕刊に、ちょっと面白いしおりの話題が載っていた。「スワンタッチ」と名づけられたそのしおりは、たとえば電車の中などで本を読んでいるときについつい眠ってしまっても、ちゃんと読んでいた場所を指し示してくれるという代物であるらしい。

 そこで、一読書家としてはぜひともその効果を試さねばなるまい、ということで、さっそく購入してみることにした。


これが噂の「スワンタッチ」

 もう少しくわしく説明すると、上の画像の白鳥の頭の部分が、今読んでいるページをつねに挟み込むような構造になっていて、仮にそのまま本を閉じても、自分が今読んでいるページがわかる、といういたってシンプルな仕組みである。具体的にどうやって使うのかは、ここで説明するよりも、下の取説を見てもらったほうがいいだろう。


クリックすると、拡大された画像が見られます。

 ちなみに、スワンタッチの裏側には両面テープがついており、それで本に直接貼りつける、という形をとっているが、テープ自体は何度もはり替えが可能で(新聞記事では30〜50回程度となっている)、もちろん本自体を傷めない程度の粘着力となっている。

 材質はプラスチックにしては薄くてわりと柔らかく、最初はちょっと強度的な不安があったのだが……使い勝手は非常にいいです。ページをめくるのにとくに邪魔にならないよう、その形にも工夫がされており、ページをめくるたびに、スワンの首が元に戻ろうとする力によってつねに最後のページを押さえてくれる。何よりこの「スワンタッチ」がすぐれているのは、本のなかには、たとえば講談社のノベルズなどの、ひも状の栞がついてなかったり、あるいは某新古書店で売られている本のように、研磨の過程で栞がちぎれてしまっているものもあるのだが、そういう本を読むときに、栞の所在を気にする必要がなくなる、という点である。

 ただ欠点があるとすれば、それは分厚い本を読むときには、どうしても角度的に本を押さえる力が弱くなってしまうことであるが、その場合、本の最終ページではなく、本の途中のページに貼り付けてしまえばいいだけの話なので(もちろんその場合、何度か「スワンタッチ」をはり替える必要があるが)、大きな欠点というわけでもないだろう。むしろ、しおりを挟みこんでいても、それが本の文章にかぶさって読むのに邪魔にならないような形になっている点にこそ注目すべきである。

 もうひとつの欠点は、やはり両面テープの粘着力の問題で、おもにソフトカバーの単行本などの場合、最終ページに近づくにつれて、無理に本を開いたりしたときに「スワンタッチ」が外れやすくなることがあったが、これはたんに私個人の本の読み方の問題なのかどうか、判断に迷うところである。引きつづき使い勝手を調査していきたいと思っている。

 このはさみ忘れ防止しおり「スワンタッチ」は、こちらのページから3枚組1セットから購入することができます。代金は郵便為替での取り扱いとなりますが、私が購入したときは、払い込みもしていないのにいきなり商品が届いていてびっくりしたことを覚えています。ご興味のあるかたは、ぜひ一度お試しになってはいかがでしょう。(2005.01.13)

 

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