雅楽の音階では、一オクターブの間に、十二の音が存在します。昭和52年秋、宮内庁式部職楽部の有志を中心として、「永年の研鑽を内に留めることなく一歩前に踏み出して一般に問いかけるべく」発足したのが、この「十二音」の名を冠した、雅楽演奏団体です。
この団体は、もともと、前芸術院会員の故安倍季厳(あべ・すえよし)氏や、薗広茂(その・ひろしげ)氏らに指導を受けた楽生が、楽師となってからも引き続き指導を受け、技術を高めあいたい、という契機から始められたもので、更に、単なる技術研修にとどまらず、演奏発表の機会をも設けるということから、昭和53年より、毎年夏に、東京文化会館小ホールでの演奏会を行ってきました。
昭和54年夏の第2回公演からは、普段楽部では取り上げにくいような大曲や、外部の作曲家に依頼しての現代曲の演奏にも挑戦しています。既に20回を数える公演では、古典曲と共に、藤田正典「雅楽のための音楽”ロトス”」、芝祐靖「招杜羅紫苑」、小橋稔「燕楽」、尾崎敏之「管楽のための『無明』」、川崎祥悦「宙心の譜」、松本民之助、「霓裳」、尾崎敏之「咒」、内河弘之「呼ぶ声在り」、久邇邦昭「幽寂の舞」「常世の舞」等の曲を発表してきました。
雅楽団体としての新作曲の委嘱上演も、いまでは数多くなりましたが、発足当時は本会の活動が先駆け的なものであったといえます。また、明治神宮大宮司でもある久邇邦昭氏には、昭和62年秋より十二音会会長をつとめていただいており、演奏活動も、夏の本公演のほか、新宿区成人式・文化講演会・音楽鑑賞会・港区古典音楽の夕べなどの多岐にわたり、雅楽の普及につとめています。
本会は、発足当初のメンバーはすべて楽部の人に限られていました。しかし、後には民間にも門戸を広げ、小野雅楽会(東京)や日本雅樂会(神奈川)などの方々にも参加していただいています。ただし、もともと技術向上のために作られた会という性格から、技術面のハードルは相当高くなっているため、どなたでも参加できるというものではありません。(現在は、宮内庁楽師10名と民間の方若干名で構成しています)。
練習は月に二度、開設以来、欠かさず行われています。楽部のひけた後、夜の時間を利用して行われます。目指すものは、やはり第一に技術の向上です。雅楽の演奏のテクニックは限られていますが、それでも、楽器には無限の可能性があるのではないか、という考えから、楽部以外でも切磋琢磨の場を持つことを大切にしています。
(代表 豊 英秋)
(構成員)安斎省吾・池辺五郎・池辺光彦・上明彦・上研司・大窪永夫・大窪康夫・小野貴嗣・東儀季祥・東儀俊美・西浦興一・西原祐二・豊剛秋・豊英秋・福岡三焉E本多恵昭・真鍋尚之
「朗詠 全十五曲」CDへの参加メンバー 安斎省吾(一ノ句・二ノ句・三ノ句・音取の笛)・池辺五郎(一ノ句・付歌・篳篥・音取の箏)・池辺光彦(笙)・上明彦(二ノ句・笛)・上研司(付歌・笛・音取の琵琶)・大窪永夫(付歌・篳篥)・大窪康夫(付歌)・小野貴嗣*(付歌)・東儀季祥(付歌)・西浦興一*(付歌)・西原祐二*(付歌)・豊剛秋(付歌)・豊英秋(一ノ句・三ノ句・音取の鞨鼓)・真鍋尚之*(付歌)
(五十音順・敬称略。宮内庁楽師十名および小野雅楽会より四名=*印参加)
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