| BC1世紀 | |
| BC100 | 護民官サトゥルニヌス、小麦配給法の改正、新植民地法を提出するが、反対派に殺害される。 |
| BC100.7.12 | ユリウス・カエサル誕生 |
| BC99 | マリウス、小アジアに赴く。 |
| BC91 | 護民官ドゥルースス、全イタリア人にローマ市民権付与法案を提出するが、暗殺される。 |
| 同盟者戦役始まる。 (〜BC89) | |
| BC89 | 全イタリア人にローマ市民権付与。 同盟者戦役終結。 |
| BC88 | スッラ、執政官に就任 。スッラとマリウスの対立、ローマは内乱状態に陥る。 |
| ミトリダス6世、小アジア西岸部のローマ属州を占領。第1次ミトリダス戦役(〜BC84) | |
| BC87 | スッラのギリシア遠征中に、執政官キンナとマリウス、ローマを制圧、スッラとの抗争激化 。 |
| BC86 | マリウス死亡、キンナの事実上の独裁始まる。 |
| BC84 | カエサル、キンナの娘コルネリアと結婚。 キンナ、部下に殺される。 |
| 第1次ミトリダス戦役終結 。 | |
| BC83 | スッラ、遠征先から帰国し、メテルス・ピウス、クラッスス、ポンペイウスらを糾合。 |
| スッラ軍とローマ正規軍の戦闘し勝利、民衆派を掃討。セルトリウス、ヒスパニアに逃亡(〜BC82) | |
| BC82 | カエサル、スッラの離婚命令を拒否して小アジアに逃亡。属州総督ミヌチウス軍に志願し幕僚となる 。 |
| BC81 | スッラ、無制限の独裁官に就任し、国政改革に着手。 |
| BC80 | スッラ、独裁官辞任。 セルトリウス戦役始まる。 (〜BC72) |
| この頃カエサル、ミヌチウスのレスボス島攻略戦に参加 。 | |
| BC78 | スッラ死に、ポンペイウスが台頭、それをきっかけにカエサル帰国。 |
| BC77 | カエサル、弁護士を開業するも失敗 。 |
| BC76 | セルトリウス戦役にポンペイウスを派遣 。 |
| カエサル、留学のためにロードス島に向かう途中で海賊に襲われる。 | |
| BC74 | 第2次ミトリダス戦役(〜BC67) |
| BC73 | カプアでスパルタクスの乱始まる。 (〜BC71) |
| カエサル帰国し、神祇官並びに大隊長に就任。 | |
| セルトリウス、副将のペルペルナに暗殺される。セルトリウス戦役終結 。 | |
| BC72 | ポンペイウス、スペインより凱旋。 |
| クラッスス、アスプロモンテでスパルタクスの叛乱鎮圧 | |
| BC71 | クラッススとポンペイウス、執政官に就任 |
| BC70 | カエサル、会計監査官に就任。遠スペインに赴任。帰国後、元老院議員となる。 |
| ローマ将ルクルス、ミトリダス6世を破る。 | |
| BC68 | カエサル、この頃、伯母マリウス未亡人の葬式で大胆な追悼演説を行う。 |
| カエサルの妻、コルネリア死去 。 | |
| BC67 | ポンペイウス、海賊を一掃し、ミトリダス征討を開始 。第2次ミトリダス戦役終結 。 |
| BC66 | 第3次ミトリダス戦役(〜BC63) ポンペイウス、ダマスカスに入城 。 |
| BC65 | カエサル、按察官に就任。アッピア街道補修工事や派手な剣闘士試合を自費で行う。 |
| BC64 | ポンペイウス、セレウコス朝シリアを滅亡させる。属州シリア成立 。 |
| BC63 | キケロ、執政官に就任 。第3次ミトリダス戦役終結。ミトリダス6世、自殺 。 |
| ポンペイウスのオリエント制覇完成。地中海はローマの覇権下になる。 | |
| カエサル、友人の護民官ラビエヌスの協力を得て最高神祗官に就任し、フォロロマーノの公邸に移る。 | |
| カエサルとラビエヌスの二人三脚始まり、元老院支配への挑戦を強める。 | |
| キケロ執政官に就任する。 | |
| BC63.9.23 | オクタヴィアヌス誕生 |
| BC63 | カティリーナの陰謀でキケロ、カエサル、小カトーの論戦。陰謀は挫折し、3000人討死。 |
| BC62 | カエサル、法務官に就任。カエサル、後妻ポンペイアにまつわるクラウディウスのスキャンダルで妻を離婚。 |
| ポンペイウス帰国、元老院派の危機感がつのる。 | |
| BC61年 | カエサル、属州総督として遠スペイン属州に赴任。現地人バルブスを登用。大西洋岸に制覇行。 |
| この頃クラッスス“借金王”カエサルの最大債権者に | |
| BC60年 | カエサル帰国し、次年度執政官に立候補。ポンペイウスとクラッススと提携し「三頭政治」をひそかに結成。国家改造の第1歩始まる。 |
| BC59年 | カエサル、執政官に就任。執政官交代の勤務のルールを復活、元老院日報を開始、ポンペイウスの東方諸国再編成案を実施、ユリウス判例法(国家公務員法)を施行。 |
| ユリウス農業法を市民集会で可決し、元老院派に打撃を与える。属州税徴収請負い業者法を修正。 | |
| イタリアで亡命中のエジプトのプトレマイオス12世(クレオパトラの父)を復位させる。ゲルマン民族の頭目アリオヴェイトゥスを「ローマの友人であり同盟者」とする。 | |
| 娘ユリアをポンペイウスの後妻にする。カエサル、元老院議員ピソの娘カルプニアを後妻迎える。 | |
| カエサル、「ヴァニティニウス法」強行可決し、北伊ガリアとイリリアと南仏ガリアの属州総督となる。赴任中の手足として、舅ピソとポンペイウスの右腕ガビニウスを次年度執政官に、クロディウスを同護民官に布陣 | |
| BC58年 | ガリア戦記1年目 カエサル、ガリア属州総督に赴任。副将ラビエヌス。 |
| 小カトー、キプロスへ赴任。 | |
| キケロ、護民官クロディウスの報復に敗れ、ギリシアへ逃れる。 | |
| ゲルマン人に押し出されたガリアのヘルヴェティ族、スイス・レマン湖東辺からブルターニュ地方めざして168,000人の大移動を始める。ラインを渡河し、ガリアに入ったゲルマン人120,000人に達する。 | |
| カエサル、ヘルヴェティ族の属州通過を拒否。ガリア人の混乱を見て国境を越えガリアに入る。ヘドゥイ族と共闘関係を結ぶ。 | |
| カエサル、ソーヌ川でヘルヴェティ族を急襲、後を追ってビブラクテの戦闘で勝利し、講和。スイスに戻ったヘルヴェティ族110,000人 | |
| カエサル、ガリア人の要請を受けてゲルマン人アリオヴィストゥスと和平交渉するも決裂。 | |
| カエサル、ブンサンソンでアリオヴィストゥスと会見するも決裂し、会戦を挑む。ゲルマン人敗走。 | |
| カエサル、ブンサンソンで冬営地を設営。ライン河をローマ基本防衛線と明示。 | |
| BC57 | ガリア戦記2年目 カエサル、ガリア北東部境界に進み、レミ族と同盟。対するベルギー人の戦闘員296,000人、総大将スエシオネス族の長ガルバ。 |
| ポンペイウスの消極性、護民官クロディウスの暴走、小カトーの帰国、キケロの追放解除で、元老院派の「三頭政治」の反撃始まる。 | |
| ポンペイウス、5年間の食料確保一任の大権を受ける。 | |
| クロディウスの私警団とミロの暴力組織との抗争始まる。 | |
| カエサル、エーヌ川を越え、敵領に陣営を構築し、ベルギー軍を破る。ソアソンでスエシオネス族、次いでベロヴァチ族、アンビアニ族と講和する。 | |
| カエサル、現ベルギー領内に入り、ネルヴィ族を攻撃、講和。次いでアドゥアトチ族を破り、53,000人を奴隷に。ガリア北東部を制圧、ヴェネティ族以下の大西洋の部族も恭順し、全ガリアの「平和」を獲得する。 | |
| カエサル、オルレアンに冬営地を設営する。 | |
| BC56 | ガリア戦記3年目 カエサル、クラッスス、ポンペイウスの「ルッカ会談」 |
| ヴェネティ族はじめガリア西部の諸部族の挑戦を受けてブルターニュ地方に侵攻、青年ブルータス指揮の海戦でヴェネティ族を撃破する。 | |
| ライン河のラビエヌス、ノルマンディアのサビヌス、アキテーヌの青年クラッススも共に勝利する。 | |
| カエサル、モリニ族とメナピ族の制圧に向かうも、深秋とともに撤退。 | |
| カエサル、ノルマンディア地方に冬営地を設営。 | |
| BC55 | 前年のルッカ会談を受けて、執政官にポンペイウス、クラッスス就任。 |
| トレボニウス法(BC54年からのポンペイウスとクラッススのスペインとシリアの属州赴任、10個軍団の編成権)、ポンペイウス・リキニウス法(カエサルの任期をBC50年まで延長、10個軍団の編成権)を成立。 | |
| マルス広場にポンペイウス劇場完成。 | |
| ガリア戦記4年目 カエサル、ドイツ北西部から、ライン河を目指して進軍、ゲルマン人のウシペティ族とテンクテリ族を攻撃し大勝。 | |
| カエサル、現ボンとケルンの中間地点に架橋してライン河を渡河。シカンブリ族を制圧し、ウヴィ族に支援を誓約、ゲルマン人の分断をはかる。 | |
| カエサル、西に転じ、第1次ブリタニア遠征。ドーヴァー海峡を渡り、ブリタニア(現イギリス)に上陸。海岸線でブリタニア兵と激戦の後、撤退。 | |
| カエサル、父のシリア赴任に同行するプブリウス・クラッススに対し、1,000騎を分与する。 | |
| カエサル、アミアンに冬営地、設営する。 | |
| カエサルの母アウレリア死去。 | |
| クラッスス、任地シリアに出発。 | |
| BC54 | ガリア戦記5年目 カエサル、トレヴェリ族の恭順を得る。 |
| カエサルによる第2次ブリタニア遠征。ブリタニア人はゲリラ戦を展開するものの敗退。テムズ河を渡河し、総指揮官カシヴェラヌスのブリタニア遠征軍を破る。講和を受け入れガリアに帰還。 | |
| カエサルの娘でポンペイウスの妻ユリア死去。 | |
| カエサル、側近のバルブスとオピウスを使ってフォロ・ローマノの拡張に着手。 | |
| クラッスス、パルティアに侵攻。 | |
| 元老院派は捲き返しを図り、翌年の執政官二人を独占。元老院派と三頭派とのにらみ合い情勢混乱。 | |
| ガリアの小麦不作ため、冬営地を八個所に分散。うち、エブロネス族アンビオリジェクスの奸計9,000人の兵を失う。反乱にアドゥアトチ族、ネルヴィ族も合流、60,000のベルギー軍が弟キケロの冬営地を包囲攻撃。カエサル、救援に向かい、撃破する。 | |
| カエサル、初めてガリア・アミアンで越冬する。 | |
| BC53年 | ガリア戦記6年目 |
| カエサル、ネルヴィ族を制圧のあと、全ガリア部族をルティティア(現在のパリ)で主宰、セネノス族、カルヌテス族を恭順させ、背後の安全を確保する。 | |
| カエサル、メビナ族を制圧する一方、副将ラビエヌスがトレヴェリ族を降伏させて合流、ライン再渡河を決行する。ライン西岸に陣営地を築き、兵六千を駐屯させる。 | |
| クロディウス派とミロ派の暴力抗争激化、クロディウス殺害され、ミロはマルセイユへ逃亡。 | |
| 翌年の執政官にポンペイウス一人とすることで政情収集される。 | |
| クラッスス、本格的にパルティア侵攻開始。 | |
| パルティアのオロデス王、アルメニアを攻撃して牽制する一方、青年貴族スレナス、ローマ軍を砂漠で迎撃し撃破、クラッススの息子自死。次いで敗走するクラッススも殺される(カッレの敗戦)。ローマ軍四万の内、生存者一万人足らず。 | |
| アンビオリジェトクスを追討してライン河口まで、北上、ガリア北東部の諸部族を平定。 | |
| ランスで全ガリア部族長会議を主宰し、カルヌテス族反乱の首謀者アッコを処刑。 | |
| 冬営地を現ドイツの西部と現ディジョン近辺とサンスに設営。 | |
| BC52 | ガリア戦記7年目 |
| ポンペイウス、一人執政官に就任したが元老院の要求でもう一人の執政官にメルテス・スキピオを選任。 | |
| ポンペイウス、スキピオの娘と再婚。 | |
| カルヌテス族、オルレアンの民間ローマ人を殺害、反旗を翻す。 | |
| オーヴェルニュ族のヴェルチンジェトリックス、反ローマ決起を呼びかけ、中部ガリア部族がこれに呼応する。 | |
| 元老院派、ポンペイウスを取り込み、翌年にかけて「行政官法」「ポンペイウス属州総督法」「ポンペイウスのスペイン属州任期延長」などで反カエサル体制を強化。 | |
| カエサル、南仏属州から中部ガリアへ急行軍し、サンスで全部隊を統合、蜂起鎮圧に向う。ブールジュを攻略、ジェルゴヴィア攻略へ向うが果たせず撤退する。 | |
| 中部ガリア部族、反ローマで結集、カエサル軍に会戦を挑むが敗退し、60,000の軍勢アレシアに立てこもる。カエサル、アレシア包囲網を築くが、一方でガリア援軍260,000到着する。 | |
| アレシア攻防戦。ヴェルチンジェトリックス降伏し、捕囚となる。 | |
| 冬営地を8箇所に設営。カエサル、ブーブレーで冬営。 | |
| カエサル、『ガリア戦記』全七巻を刊行(第8巻はカエサルの側近ヒルティウスが執筆) | |
| BC51 | ガリア戦記8年目 |
| アレシア攻略戦の戦後処理として諸部族を恭順させ、アキテーヌ地方を視察。 | |
| 「ガリアのローマ化」に着手、属州税を「十分の一税」から「定額」に改める。 | |
| キケロ、「国家論」を刊行 | |
| カエサル、北部ガリアのアッラスで冬営 | |
| BC50 | カエサル北伊属州に戻る。 |
| 元老院派、カエサルの右腕ラビエヌスに接近 | |
| 元老院派、執政官に自派のガイウス・マルケルスとエミリウス・パウルスを就け、翌年の執政官もマルケルスの弟とレントゥルスで固める。他方、カエサルは護民官の青年クリオを駆使して元老院派に対抗 | |
| BC50.12 | 「カエサルの10個軍団、ローマに向け南下中巨砲を元に、執政官マルケルス、ポンペイウスに軍の最高指揮権付与とカエサルへの迎撃を要請 |
| カエサルの軍団解散権を巡り、カエサル派の新護民官アントニウスと元老院派の政治抗争が続く。 | |
| BC49.1.7 | 元老院最終勧告と、元老院とポンペイウスに無制限の大権を授与する法案可決。 |
| BC49.1.12 | ラヴェンナを出たカエサル、1個軍団を率いてルビコン川を渡り(「賽は投げられた」)、リミニに入る。護民官アントニウスとカシウスが合流。続いてアンコーナ、アレッツォなども支配。 |
| BC49.1.17 | ポンペイウス、ローマから脱出。キケロに続いて執政官マルケルスとレントゥルスも脱出。ローマは大混乱に陥る。 |
| カエサルと袂を分かったラビエヌス、カプアでポンペイウスに加わる。 | |
| カエサル、アドリア海沿いに南進しする。 | |
| BC49.2.25 | ポンペイウス、ブリティシまで撤退 |
| BC49.3.9 | カエサル、ブリティシに入城。 |
| BC49.3.17 | ポンペイウス封鎖を突破してギリシアに向う。 |
| BC49.3.19 | カエサル、イタリア半島を実質制覇して、ローマへ向う。 |
| BC49.3.30 | ローマへ急行軍中のカエサル、キケロをフォルミリアの別荘に訪ねて会談。 |
| BC49.4.1 | カエサル、ローマ城壁外で開かれた元老院会議に出席。この頃サルディーニャとシチリアを支配下に置く。 |
| カエサル、北アフリカ属州(現在のチェネジア)の制覇をクリオに、内政を法務官レピドゥスに、対外防衛をアントニウスに、アドリア海の制海権奪取にアントニウスの弟とキケロの娘婿ドラベッラに命じる。 | |
| 「ロシウス法」を成立させ、北伊属州住民にローマ市民権を与える。 | |
| BC49.4.7 | カエサル、ポンペイウス支配下のヒスパニア属州に向う。 |
| BC49.4.19 | カエサル、独立国マルセーユに到着。 |
| BC49.5.4 | マルセーユ攻防戦始まり長期化する。 |
| BC49.6.22 | カエサル、ヒスパニア属州レリダに到着。ヒスパニア戦役初戦のレリダ攻防戦始まる。 |
| BC49.8.2 | アフラニウスとプトレイウス率いるポンペイウス軍解体。 |
| BC49.8.11 | クリオ率いるローマ軍、北アフリカ属州に上陸。 |
| BC49.8.20 | ヌミディア王ユバ、クリオ率いるローマ軍20,000を全滅させる。クリオ戦死する。 |
| BC49.9 | カエサル、ガデスに次ぎタラゴーナとスペイン全土を制覇し、ヴァロ率いるポンペイウス軍も解体する。 |
| BC49.10.中旬 | カエサル、マルセーユ戻る。 |
| アドリア海の制海権奪取に向ったアントニウスの弟とドラベッラ、ダルマツィアでポンペイウスの海将リボに完敗。 | |
| BC49.10.25 | カエサル、マルセーユを陥落させ、イタリアへ戻る。 |
| BC49.12.2 | カエサル、ローマに入る。独裁官に指名され、反スラ派子孫の公職永久追放の解除、各属州総督へのカエサル派任命、新通貨発行ほかの経済政策を実施。翌年度の執政官に選出。 |
| BC49.12.13 | カエサル、ポンペイウス追撃の為ローマを出発。 |
| BC48.1.4 | ブリティシを出港したカエサル、翌日ギリシア西岸に上陸。カエサル軍とポンペイウス軍、ドゥラキウム(デュレス)の南で対峙する。 |
| BC48.3.27 | アントニウス率いる第二陣ニンフェウスに上陸。 |
| BC48.4.3 | アントニウス、カエサルに合流する。 |
| BC48.4.15 | ドゥラキウム包囲攻防戦始まる。3ヶ月の攻防の末、カエサル軍敗北。カエサル軍、ギリシア中部のテッサリア地方に退き、ポンペイウス軍を追撃する。 |
| BC48.7.29 | カエサル、ファルサルス平原に到着し、スピキオと合流したポンペイウスを待つ。 |
| BC48.8.9 | ファルサルスの会戦。ポンペイウス完敗し(死者6,000、捕虜24,000)、ポンペイウスはエーゲ海に逃れ、再建地を求めつつエジプトに向う。カエサルこれを追撃する一方、アントニウスを独裁官の次席「騎士団長」に任命し、ローマ本国の統治を託す。 |
| BC48.9.28 | ポンペイウス及び同行のレントゥス、ローマ兵に殺害される。 |
| BC48.10.4 | カエサル、アレクサンドリアに上陸。 |
| BC48.10.7 | 内紛中のクレオパトラと弟プトレマイオス13世に共同統治の再開を裁定する。 |
| BC48.10.半ば | プトレマイオス13世、カエサル軍を攻撃、アレクサンドリア戦役始まる。 |
| BC48.12 | ポントゥス王ファルケナスに敗れたドミティウス、シリアに逃れる。 |
| BC47.2.末頃 | ドミティウスの送った援軍アレクサンドリアに到着。続いてカエサル、ナイル・デルタの先頭に勝利し、プトレマイオス13世戦死。 |
| BC47.3.27 | カエサル、アレクサンドリアに入城。クレオパトラと末弟プトレマイオス14世との共同統治が始まる。 |
| カエサル『内乱記』全3巻を完成。 | |
| BC47.6 | カエサル、アレクサンドリアを発ち、小アジアでポントゥス王ファルナケスに敗れたドミティウス支援に向う。途中、ユダヤ、シリア、キリキアで統治の再構築を図る。 |
| BC47.6.末 | カエサル、小アジアに上陸し、カッパドキア地方のゼラでファルナケスを一蹴(「来た、見た、勝った」) |
| BC47.9.末 | ギリシア掌握したカエサル、ブリティシに帰着。キケロと再開、許容する。 |
| BC47.12 | カエサル、北アフリカ属州のポンペイウス派制圧に向う。 |
| BC47.12.19 | カエサル、シチリアのマルサラに入る。 |
| BC47.12.27 | カエサル、シチリアのマルサラを出発。 |
| BC46.1 | カエサル、北アフリカ属州東岸に上陸、陣営地を築く |
| BC46.4.6 | カエサル、タブソス(ラス・ディナス)の会戦でスキピオ軍を大破し、次いでヌミディア王ユバを追撃。 |
| BC46.4.12 | ヌミディア王ユバ自死し、スキピオとアフラニウスも殺される。小カトーも自死 |
| BC46.4.13 | カエサル、ウティカに入城。 |
| BC46.7.25 | カエサルサルディーニャとコルシカの視察を終えローマに帰還。 |
| BC46.8.5 | カエサル、ローマにて4回の凱旋式を挙行。 |
| カエサル改革に着手する。ユリウス暦(太陽暦)を採用し、翌45年1月1日より実施。国立造幣所を開設し、造幣権を移す。10年任期の独裁官に任命される。 | |
| BC45 | ヒスパニア属州でポンペイウスの遺子グネウスとセクストゥス、及びラビエヌス、ヴァロら反カエサル派の再蜂起始まり南部を席捲。 |
| BC45.3.17 | ヒスパニア属州に出撃したカエサル、ムンダの会戦で激戦の末、ポンペイウス派を破る。ラビエヌス戦死、グネウス殺される。 |
| BC45 | カエサル、パクスロマーナの確立、民生の充実、帝政化を企図して全面的改革に着手。 ●北伊属州の都市計画、シチリアと南仏属州のラテン市民権の授与●元老院議員を900人に増員、市民集会と護民官の有名無実化●金銀の換算率の固定化、利息の上限設定●法務官・会計監査官・按察官の増員、同僚執政官の補佐役化●地方議会の被選挙権の改正、解放奴隷への公職門戸解放●属州の再編成、属州議会の認知、公営の徴税機関設置 ●ユピテル、ユノー、ミネルヴァをローマの主神とする●センブローニウス法確認による元老院最終勧告の廃止、陪審員資格の改正●小麦の無料給付者を15万人に半減、審査按察官の設置●失業者と退役兵の殖民先を属州に分散、カルタゴとコリントを再建●教師と医師のローマ市民権の授与●カエサルのフォルム建設、フォロ・ロマーノの再開発、セルヴィウス城壁の撤去による首都ローマの再開発●干拓・街道の整備延長の公共事業等 |
| BC44.1 | カエサルの同僚執政官にアントニウス就任。カエサル、ニ年間のパルティア遠征を公式発表。 |
| BC44.2 | 元老院と市民集会、カエサルを「終身独裁官」に任命。 |
| BC44.3.15 | カエサル、元老院議場のポンペイウス回廊でマルクス・ブルートゥス、カシウス他に暗殺される。 |
| BC44.3.16 | オクタヴィアヌス(カエサルの妹の孫)を第一相続人・養子・名前の継承者とするカエサルの遺言状開封される。 |
| ローマ滞在中のクレオパトラ、カエサルの子供といわれるカエサリオンと共にエジプトに発つ。 | |
| BC44.3.17 | アントニウス召集の元老院会議で、暗殺者の刑事上の罪は追求せず、要職人事ほかカエサル政治の継承決定。 |
| BC44.3.18 | カエサル、火葬される。暗殺グループに対する民衆の糾弾高まる。 |
| BC44.3.19 | 早朝、ブルートゥス、カシウス、キケロら、ローマを去る。 |
| BC44 | アントニウス、カエサルの死で空席になった最高神祇官にレピドゥス、同僚執政官にドラベッラを就かせる。 |
| BC44.4.半ば | オクタヴィアヌス、ギリシア西岸のアポロニアから帰国。 |
| BC44.7 | オクタヴィアヌス、カエサル記念の大々的競技会を開催。 |
| BC44 | エジプトに帰国したクレオパトラ、プトレマイオス14世を殺害し、カエサリオンを共同統治者とする。 |
| BC44.8 | アントニウス召集の元老院会議でアントニウスの北伊属州、ドラベッラのシリア属州、及び44年末までのマルクス・ブルートゥスのマケドニア属州、カシウスのシリア属州各総督を決定。同月末、ブルートゥスとカシウス、任地に出発。事実上の国外逃亡。 |
| BC44.9 | キケロ、アントニウスの弾劾演説「フィリッピケ」を始める。 |
| BC44.10 | 軍の大勢はオクタヴィアヌス支持に向い、アントニウス、北伊属州の軍事力掌握を求めて総督デキウス・ブルートゥス攻撃に向う。 |
| BC43 | 執政官にオクタヴィアヌス支持のパンサとヒルティウスが就任。 |
| マケドニアのブルートゥス、シリアのカシウス、対決に備えて10万の軍備増強。カシウス属州総督に赴任してきたドラベッラを殺害 | |
| BC43.3 | 両執政官のパンサ、ヒルティウスとオクタヴィアヌス、北伊属州モデナでデキウス・ブルートゥスと交戦中のアントニウスを攻め、アントニウス撤退。両執政官戦死、デキウス・ブルートゥスも殺される。 |
| BC43.8 | オクタヴィアヌス、執政官に選出される。(同僚執政官にカエサルの甥ぺディウス)。カエサルの養子縁組公認され、「ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタヴィアヌス」となる。カエサル暗殺者を追放刑とする「ぺディウス法」成立。 |
| BC43 | アントニウス、南仏属州でガリア、スペインの属州総督と共同戦線を組織 |
| BC43.10 | オクタヴィアヌス、北伊属州に軍を進める。 |
| BC43.11 | ボローニャでアントニウス、レピドゥス、オクタヴィアヌスの共闘体制「第二次三頭政治」成立。 |
| BC43.11.27 | 市民集会は5年期限で「第二次三頭政治」を承認し、寡頭体制は完全消滅する。 |
| BC43.11.28 | キケロを筆頭とする第一次「処罰者名簿」発表され粛清の嵐吹き荒れる。 |
| BC43.12.7 | キケロ殺される |
| BC42.1.1 | 元老院はカエサルの神格化を決議。オクタヴィアヌス、『ガリア戦記』と『内乱記』以外のカエサルの著作を廃棄。 |
| BC42.夏〜秋 | オクタヴィアヌスとアントニウス連合軍、ギリシアに出陣し、フィリッピでブルートゥスとカシウスの連合軍を破る。2人も自死。 |
| フィリッピの会戦後、オクタヴィアヌスは西方、アントニウスは東方の分担に合意し、各々西方と東方に転じる。 | |
| BC41 | アントニウス、東方諸侯の恭順を得つつ進軍し、属州キリキアの首都タブルスでクレオパトラを召喚し、会見。 |
| BC41.秋 | 中部イタリアのペルージアで、アントニウスの弟ルキウスと妻フルヴィア挙兵。オクタヴィアヌスとその右腕アグリッパ、鎮圧に動くも苦戦を続ける。 |
| アントニウス、招待を受けてアレクサンドリアを訪れ、クレオパトラと愛人関係に入る。 | |
| BC40.2 | ペルージア戦役終結。フルヴィアとルキウス、ギリシアへ逃亡。アントニウス、挙兵の責任をフルヴィアへ転嫁。 |
| BC40 | アントニウス、イタリアへ向かう。 |
| クレオパトラ、アントニウスの子供(双生児)出産。 | |
| オクタヴィアヌス、外交担当にメチェナス起用。 | |
| オクタヴィアヌスとアントニウスとレピドゥス、各々の勢力圏を西方、東方、アフリカとする。「ブリディシ協定」を結ぶ。アントニウスはオクタヴィアヌスの姉オクタヴィアと再婚。 | |
| BC40.秋 | スペイン属州で勢力を再興し、シリアまでの勢力圏を拡大したポンペイウスの次男セクストゥスをナポリ湾のミセーノ岬に招き、オクタヴィアヌスとアントニウスとの3者協定「ミセーノ協定」を結ぶ。セクトゥスは敵対行為をやめ、オクタヴィアヌスはセクトゥス派の公職復帰を認め、シチリア、サルディーニャ、コルシカの統治権をセクストゥスに譲渡する。 |
| BC40 | オクタヴィアヌス、セクストゥスの舅の妹スクリボニアと結婚(まもなく離婚)、唯一の実子(娘)ユリアをもうける。 |
| BC38.1 | オクタヴィアヌス、クラウディウス・ネロの妻だったリヴィアと再婚し、ネロとの子供ティベリウス(後の第2代皇帝)とドゥルーススも引き取る。 |
| BC38 | オクタヴィアヌス、セクストゥスとの抗争に終止符を打つ、セクストゥスはレスボス島で殺される。 |
| BC37.秋 | アントニウス、パルティア遠征に出発し、シリアのアンティオキアでクレオパトラと再会。クレオパトラと結婚し、双生児も認知。 |
| BC36 | オクタヴィアヌス、アグリッパと共にイリリア地方制圧に専心する。 |
| アントニウス、110,000の大軍を率いてパルティアに出撃。 | |
| BC36.8 | アントニウス軍、パルティア・中東連合軍のゲリラ戦に消耗する。 |
| BC36.11 | アントニウス軍、アンティオキアに撤退。 |
| BC34 | オクタヴィアヌスの元老院、第2次三頭政治の終結とと、アントニウスのアレクサンドリア宣言の無効を決議。 |
| BC34.春 | アントニウス、アルメニアに遠征し、講和。凱旋式をアレクサンドリアで挙行。カエサリオンをエジプト王と認め、クレオパトラとの三人の子供に東方諸国を与えることを宣言する。 |
| BC33 | アントニウスとクレオパトラ、小アジア西岸のエフェソスに滞在する。 |
| BC33.秋 | オクタヴィアヌス、イリリア戦役の凱旋記念にユリア水道、オクタヴィア回廊を建設、公共建造物の補修を行う。埋葬地をアレクサンドリアと指定したアントニウスの遺言状を公開し、宣伝工作を展開する。 |
| BC32る秋 | イタリアはオクタヴィアヌスを「敵エジプト攻めの軍最高司令官」に選出。オクタヴィアヌスはイタリアで、アントニウスとクレオパトラはエフェソス次いでギリシアで戦闘準備に入る。 |
| BC31.3 | オクタヴィアヌス、全戦力を率いてギリシアへ渡る。 |
| BC31.夏 | アントニウス・クレオパトラ軍で将兵の離反相次ぐ。 |
| BC31.9..2 | 「アクティウムの海戦」が行われる。アントニウスとクレオパトラ敗走し、アレクサンドリアに逃れる。 |
| BC31 | オクタヴィアヌス、統治再構築を行いながらアレクサンドリアへ追撃する。 |
| BC30.7.31 | オクタヴィアヌス軍との戦いでアントニウス軍の部下離反。アントニウス自刃、翌日死亡する。 |
| BC30.8.1 | オクタヴィアヌス、アレクサンドリアに入城。カエサリオンは殺され、クレオパトラは自死。プトレマイオス朝エジプト滅亡する。 |
| BC29.8 | オクタヴィアヌス、ローマに凱旋し、壮麗な凱旋式を挙行する。 |
| BC29.9 | オクタヴィアヌス、神君カエサルに捧げる神殿をフォロ・ロマーノに立てると公表する。軍事力の大幅な削減を断行する。 |
| BC28 | 42年ぶりの国勢調査を実施。 |
| オクタヴィアヌス、「皇帝廟」の建設を始める。カエサルが定め、30年間続いた情報公開「アクタ・ディウルナ」「アクタ・セナートゥス」制度を改める。元老院を再編成、1,000名を越えていた議員を600名に戻す。 | |
| BC27.1.13 | オクタヴィアヌス、共和政体への復帰を宣言。 |
| BC27.1.16 | オクタヴィアヌス、元老院より「アウグストゥス」の尊称を贈られる。(帝政のスタート) |
| BC27 | アウグストゥス、「内閣」(第一人者の補佐機関)を設置 |
| アウグストゥス、「プロコンスル命令権」を授与される。 | |
| BC27.秋 | アウグストゥス、アグリッパと共に南仏ナルボンヌに入り、ガリア問題の処理にとりかかる。 |
| BC26.春 | アウグストゥス、スペインのタラゴーナに移動、イベリア半島の完全制覇にとりかかる。 |
| BC24.末 | ローマ世界の西半分の再編成を終えたアウグストゥス、三年半ぶりにローマに帰還。 |
| BC23 | アウグストゥス、アグリッパと共に執政官を辞任し、以後は毎年の市民集会で自由に選出と宣言される。 |
| アウグストゥス「護民官特権」の授与を希望し、受け入れられる。 | |
| アウグストゥス、通貨制度改革に着手 | |
| BC23.末 | アウグストゥスの甥で娘ユリアの夫マルケルス、病死。後にユリアはアグリッパと再婚。 |
| BC22 | 小麦の確保量が不足し、危機に陥った首都ローマに、アウグストゥス、私財を提供する。 |
| アウグストゥスの東方再編成が始まり、まずシチリアに滞在する。 | |
| BC21 | アウグストゥス、ギリシアに滞在。冬は小アジアのサモス島で暮らす。 |
| BC21.5.12 | ローマ・パルティア間講和の調印式。 |
| BC19.9.21 | ローマの国民的詩人ヴェルギリウス死去。 |
| BC19.10.21 | アウグストゥス首都ローマに帰還する。 |
| BC19 | アウグストゥス、「コンスル(執政官)命令権」を授与される。 |
| BC18 | アウグストゥス、「ユリウス姦通罪・婚外交渉罪法」「ユリウス正式婚姻法」を制定。 |
| BC17 | アウグストゥス「世紀祭」まの祭事を定期化する。 |
| BC16 | アグリッパ、北方部族の襲撃を受けたイリリクム駐屯地の救援に向かう。 |
| ティベリウス、ドゥルースス兄弟、北征行に出発。 | |
| BC13 | 「平和の祭壇」建設に着手する。 |
| レピドゥス没。代わってアウグストゥス、最高神祇官に選出される。 | |
| BC12 | アグリッパ死亡する。 |
| ローマ軍、ゲルマニア進攻開始。ドゥルースス軍、ウェザー河に達する。 | |
| BC11 | ドゥルースス軍、ライン河を越える。 |
| BC10 | ドゥルースス軍、エルベ河に向かう。 |
| アウグストゥス、イタリア本土を11の州に、首都ローマを14の区に分割、各地域に自治権を持たせる。 | |
| BC9 | 「平和の祭壇」完成する。 |
| エルベ=ドナウ防衛線成立。 | |
| ドゥルースス、落馬がもとで死亡する。 | |
| BC8 | マエケナス、死亡する。 |
| BC6 | ティベリウスロードス島へ引きこもる。。 |
| BC5 | アウグストゥス、15歳の孫ガイウス・カエサルに「予定執政官」なる官職を新設。(ガイウスの弟、ルキウスにも同様に与えられる。) |
| 「少年団(ユヴェントス)」組織ほを常設とし、2人の孫を総裁、副総裁にする。 | |
| BC4 | ローマ派のユダヤ王ヘロデ、死亡する。 |
| イエス・キリスト誕生 | |
| BC2 | アウグストゥス、娘ユリアを「姦通罪」で終身流刑に処す。 |
| 元老院、アウグストゥスに「国家の父(パテル=パトリアエ)」の称号を贈る。 | |
| BC1 | このころユダヤ王国は内紛状態に陥り、アルメニア王国も不穏。東方問題解決のため、皇帝代理としてガイウス、オリエントに向かう。 |