思い出の宝塚記念 1994年 第35回宝塚記念 優勝馬・ビワハヤヒデ 3強から1強へ、私が初めてライブでみた宝塚記念はこの宝塚記念です。前年の覇者メジロマックイーンが引退した後の新しい芦毛伝説を継承すべき者として前走の天皇賞・春を制覇し、更にここを勝ち兄弟対決へのあしかがりとしたい、ビワハヤヒデが挑んだレースです。レース前もここはビワハヤヒデ断然の雰囲気があり、2着探しの馬券予想でありました。レースも見ても危なげない勝ち方、2週前に行われた日本ダービーで、弟のナリタブライアンが5馬身の危なげない堂々たるレースをし圧勝するのを意識してか、強い勝ち方を見せ付けたレースでもありました。それにしても、94年の競馬界の上半期はこの兄弟の話題で持ちきりでした。2月の共同通信杯と京都記念の1日違いのメインレース勝ちに始まった快進撃は、スプリングステークス、皐月賞、ダービーとナリタブライアンが勝っていけば、兄のビワハヤヒデも天皇賞・春と宝塚記念と快勝していく展開でありました。秋の両雄の兄弟対決へ視界が見えてきたそんな宝塚記念であったことを覚えています。 2着・アイルトンシンボリ、3着・ダンシングサーバス、4着・ナイスネイチャ、5着・ネーハイシーザー 配当 1995年 第36回宝塚記念 優勝馬・ダンツシアトル ライアンやパーマー、マックイーンなどメジロ軍団の活躍やサイレンススズカの逃げ切りなど思い出に残るレースは数々ありますが、いい思い出ではありませんが、印象度という点で、京都で施行された年にダンツシアトルが勝った・・・というよりライスシャワーが非業の最期を遂げたレースが最も思い出に残っています。 2着・タイキブリザード、3着・エアダブリン、4着・トーヨーリファール、5着・アイルトンシンボリ 配当 1996年 第37回宝塚記念 優勝馬・マヤノトップガン 負けられない馬が横綱相撲で勝つ、こういうことは強い馬ではなく、よっぽど強い馬として称されることに対して求められるのではないでしょうか。そういう意味での宝塚記念ではなかったのでしょうか。トップガンとって前走の天皇賞はちぐはぐしたレースになっていたのでここではメンバー的にも負けられない一戦だったのでしょう。道中、3番手という好位につ、4コーナーではすでに先頭に並びかけあとは後続を突き放しフィニッシュ、まさに王道の競馬見るようでしたが、まだトップガンに対しては後世に残る名馬と称するような輝くような強さを持っていないと思いました。トップガンがその強さを示したのは6歳のときだったと思います。 2着・サンデーブランチ、3着・ダンスパートナー、4着・ヒシナタリー、5着・フジヤマケンザン 配当 場所移動 |