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[プロフィール]


1.Margaret Weisのプロフィール(ドラゴンランス以前まで)

1948年ミズーリ州インディペンデンス生まれ。幼稚園児の頃からストーリーテーリングの才があったようである。ミズーリ州立大学・コロンビア州立大学で始めは芸術を専攻するが、創作のインストラクターに説得されて、創作にくら替えする。大学時代に結婚し子供を2人もうける。卒業後14年の間に、ミズーリ州の出版社に就職し校正から広告のディレクターに昇進し、インディペンデンスプレスの出版を率いたりする。その頃「スターウォーズ」が公開され、ダースベーダーを演じたデビッド・プルーズがミズーリを訪れて以来、ワイスは机にダースベーダーの写真を飾っていたそうである。この頃から、後のThe Star of the Gurdian(邦題『ディオン・スターファイア』)を書き始めていた(この作品がスター・ウォーズに似ているのももっともだ)。Margaret Baldwin名義でいくつかのノンフィクションを共同で上梓している(著作目録で確認してください)。1983年晩秋、離婚を機に、TSR社に編集者として就職、子供と猫を連れてミズーリからTSRのあるウィスコンシン州レイク・ジェネヴァへ移る

2.Tracy Raye Hickmanのプロフィール(ドラゴンランス以前まで)

ミドルネーム(RAYE)があったことは初耳だろう。1955年ユタ州ソルトレーク生まれ。小学生の頃から創作の意欲があった(トレイシーのHPには当時の構想が掲載されています)。高校卒業後、二年間モルモン教会に出仕し、伝道師としてハワイ・インドネシアに赴く。1977年アメリカ帰国後、高校以来の恋人Laura Curtisと結婚。スーパーの在庫係、映画の企画、劇場支配人、ガラス職人、テレビのアシスタントディレクター、系譜センターのドリルプレス操作(?)を経て、1981年、2つのゲームモジュールを売り込んだのがきっかけとなって(子供たちに靴を買ってやるためというのがその理由なんだそうです)TSR社でゲームデザイナーになる

3.ドラゴンランス

1983年初頭からTSR社はプロジェクト・オーバーロードというコードネームの企画を準備していた。これはアドヴァンスド・ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズというTRPGの販売促進をねらったメディアミックス戦略として、ゲームのモジュール(シナリオ)・世界初のリプレイ小説・カレンダー等でのヴィジュアライズを行うという点で、当時としては大規模なものであった。これが、のちのドラゴンランスシリーズである。

トレイシーはこの企画のストーリーとモジュール担当であったようだ。最初は「ドラゴンの眼」という名の三部作として計画されていたが、ドランゴンランスという名前に変更になってからは、3部作の小説と12本のモジュールという大きなプロジェクトになっていた。1983年晩秋、ワイスは編集としてTSRに入社して、トレイシーと出会う。当初のドラゴンランスのプロジェクトでは既存の作家にリプレイ小説を書いてもらうはずであったが、テスト作品はどれもイマイチだったらしい。そこで、ワイスはトレイシーに持ち掛けて、共同作家として『ドラゴンランス戦記』を執筆する。

最初のドラゴンランスの小説は、1984年始めにDRAGON MAGAZINE誌に掲載されたワイスによる「Test of the Twins」(邦題「双子の大審問」ドラゴンランス英雄伝収録(富士見書房ドラゴンブックス・絶版))である。つまり、一番最初にアメリカの読者が目にしたドラゴンランスシリーズは、レイストリンとキャラモンのお話であったということになる。TSRにとっても、ワイスにとっても、文字どうり、「Test」だったといえよう。同年晩秋、『ドラゴンランス戦記』第一部「秋の黄昏のドラゴン」(富士見書房ドラゴンブックス・絶版)(邦訳では2分冊にして、ゲームブックみたいなタイトルがつけられています)が刊行され、翌年にはニューヨークタイムス・ベストセラーランキングにも登場するほどの大ブレイクとなる。1985年中には『戦記』は完結し、翌86年には続編の『ドラゴンランス伝説』(富士見書房ドラゴンブックス・絶版)の刊行が始まる。ドラゴンランスシリーズの売り上げの累計は1千万部以上にもなり、各国で翻訳されている

4.ドラゴンランス以後

『ドラゴンランス伝説』の執筆あたりから、2人の間では、新たな計画が持ち上がっていたようだ。TSR社以外からの出版。たぶん、『戦記』『伝説』では2人への印税の割り当てが少なかったのかもしれない。1988年からはバンタム社から『ダーク・ソード』『熱砂の大陸』(いずれも富士見書房ドラゴンノベルズ(絶版))を出版。作家としての地位を確立した。その一方でTSRのドラゴンランスシリーズでは、アンソロジーの編集という形で、1冊あたり1本ぐらいの割合で短編を発表している。『冥界の門』(角川文庫Fシリーズ(7部作中3部までで翻訳途絶))の契約をした頃に、2人はTSRを離れて活動しはじめたようだ

1990年、ワイスは長年の夢であった『ディオンスターファイア』(富士見書房ドラゴンブックス・絶版)を単独で出版。トレイシーはこの原書の序文で『ディオン』はSFとファンタジーの要素を兼ね備えた新たなジャンル「ギャラクティック・ファンタジー」だと形容している。ワイスは続いてディオンの世界「Mag force 7」の作品をカナダ人のDon Perrinと共同で書き続けている。ワイスの苦手な戦闘シーンはDon Perrinの担当らしい

1992年ワイスとDon Perrinは結婚する。元伝道師(?)のトレイシーが式を取り仕切ったということだ。2人は作家活動のほかに、レイク・ジェネヴァでゲームショップを経営している

一方でトレイシー・ヒックマンも単独での著作を開始した。Requiem of Stars(1996)とThe Immortals(1996)の2作。Requiemはギャラクティックファンタジー、The Immortalsはエイズ問題を「間接的に扱った」近未来SFである。現在トレイシーは、ユタ州セント・ジョージで家族と暮らしている

5.現在と未来

1994年頃、TSR社は2人に新たなドラゴンランスの長編を持ち掛ける。絶望の時代(4th Age)を締めくくる最後の作品、神々の父カオス神との戦いをあつかったDragons of a Summer Flame(1995)。クリンの世界は第二次大変動を経て、5th Age「Age of Mortals(人の時代)」へと移行した。「二人はクリンに飽きた」と評された

これまでの共同作家としての作品では、トレイシーがストーリーテーラーでワイスがストーリーライターという役割だったが、最新作Starshieldシリーズでは、トレイシーはワイスと役割を交換して、本編の著述に乗り出している。2人はSovereign Stone『至高の石』という企画に参加している。これはドラゴンランスのメインイラストレーターであるラリー・エルモアが中心になって世界やストーリーを作り、ゲームデザイナーにして現在はフォーゴトンレルムの作者としても知られるダグラス・ナイルズやDon PerrinがTRPGを制作、ワイス&ヒックマンが3部作の小説を書くという企画である。ソブリンストーンは2003年に第3部まで刊行された(翻訳は第一部のみで途絶)

1998年からワイスは前夫との間の息子Daivid BaldwinとDragons Discipleというシリーズを開始したが、2002年8月の息子の死去により途絶。

1994年頃から経営危機に陥っていたTSR社は、1997年にWizards of the Coast社に買い取られ存続する。これにより、2人はDragonlance 5th Ageシリーズに相談役という形で復帰する。1999年はドラゴンランス15周年、つまり、マーガレット・ワイス&トレイシー・ヒックマンも15周年ということで、記念のモジュールが発売された。

2000年春ワイス&ヒックマンはドラゴンランス第5紀「人の時代」の核になるエピソードThe War of Souls(『魂の戦争』)3部作を刊行し、2002年6月に無事完結した。
「この作品がワイス&ヒックマンとしての最後のドラゴンランス」とトレイシーは、読者向けのニュースレターにコメントしている。

また、ドラゴンランスのゲーム自体は、AD&D(r)の第3版「D&D3rdEdition」のラインナップから外れてしまったものの、
ソブリンストーンプレスより、D&D3Eの根幹のルールであるd20systemを採用する形でドラゴンランスを出版する権利を購入したとの朗報が最近もたらされた。2002秋にフィフスエイジ以前はソブリンストーンプレス製作/ウィザーズオブザコースト販売、以後はソブリンストーンプレス製作販売と発表された

現在D&D3.5Eルールに基づいて、ドラゴンランスのTRPGは進行している。

トレイシー・ヒックマンも妻のローラ・カーティスと共に、The Bronze Canticles3部作というファンタジー作品のを執筆中。

マーガレット・ワイスは夫のドン・ペリンと、クリンのもう一つの大陸「タラダス」を舞台とした3部作を書く予定だったが、
2003年初頭に離婚により中止になった。

また、ワイスは魂の戦争の主要キャラのミナのその後を描く3部作Dark Discipleを2004年より刊行開始、Dragonvarld3部作は2003年より刊行開始。


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