2002年1月3日 浜松帰還「15年という一瞬」
小学5年から中学3年の1学期まで過ごした浜松。いろいろなところに住んだが、一番好きな土地だ。中でも中3のときのクラスは、一番いいクラスだった。奇跡みたいなクラスだった。そのクラスの同窓会があるという。行くっきゃない。
浜松行きの当日。だが、何も準備していない。一昨年飛行機に乗ってタイまで行ったわし。そんな命がけの大冒険に比べれば、浜松など大したことがない。飛行機に乗らなくていいのだ。気楽だ。適当に東京駅へ行き、適当に新幹線に乗り、さりげなく浜松へ。
まず、行ったのが鰻屋だ。東京でも鰻は食べるが、浜松のそれとは何かが違う。決定的に違う。
おもむろに駅前の鰻屋へ飛び込んでみた。たぶん、評判の名店とかではないと思う。でも、東京の鰻よりは全然うまかった。いや、うまいまずいの問題ではなく、なんか違うのだ。何かが。
胃袋は満たん。そこで浜松の街をうろつくことにした。市街地を歩いていると、何やら物騒な張り紙が。「破産したから、ここには許可無く入るな!」ってなことが書いてある。「へえ〜」と思ってその建物をみると、なんと「松菱」。とは言っても、地元の人しかわかるまい。松菱とは、その名のとおり、地元では「松坂屋」と「三越」を足して2で割ったような有名百貨店なのだ(たぶん)。そんな百貨店が破産だとさ。いやあ、世の中不況だねえ。
そんなこんなでぶらついていたが、ひととおりぶらついてもまだ午後4時。同窓会の開始は6時だ。時間は有り余っている。そこで、「昔の家まで行ってみよう!」ふとそんな名案が浮かんだ。
早速バスターミナルに行くが、どのバスに乗っていいのかわからない。引っ越ししてから、早や15年。自分の周辺の町名すら忘れている。何がなんだかわからない。とりあえず「芳川小学校東」というバス停を目指すことにした。「芳川小学校」ってのは、わしが5年6年と通った小学校。そこに行けばなんとかなると思ったのだ。
バスに揺られている間。ず〜っと車窓を見ていた。だが、まったく町並みは記憶にない。そのうちバスは「安松」という町に入った。わしが住んでいたところだ。だが、それでもまったくわからない。「安松第二公園」というバス停に来た。それでもわからない。そして、お目当ての「芳川小学校東」というバス停へ。降りたが、それでもわからない。不安だ。
しかし、ここは「芳川小学校東」というバス停だ。だったら、西に歩けば芳川小学校があるはずだ。わしはすかさず太陽の方向を見て、西を確認。西へ歩き出した。なんかサバイバル体験みたいでどきどきだ。そのうち小学校が見えてきた。おおおおおおおおお、思いだした〜〜!! ついに見慣れた風景が。一気に記憶がよみがえってくる。焼却炉を見れば用務員のおっちゃんが変な奴だったことを思いだし、グランドを見るとケンカしたことを思い出した。懐かしいったら無い。
芳川小学校がわかれば、南陽中学はわかる。すぐそばにあるのだ。おお、ここだここだ。記憶は曖昧だが、確かにここだ。あまり変わってない(たぶん)。
とりあえず、もう場所は把握できた。そうなると、次は我が家を目指す。
川沿いに家を目指す。わしが住んでた頃は草ぼうぼうだったはずだが、今はこんな綺麗な土手になっている。姿形は違っているが、たしかに、この土手沿いを何度も通ったものだ(小学校時代)。たいてい、わしは本を読みながら歩いていた。学校の図書館で借りた、「少年探偵団シリーズ」「シャーロックホームズ」「ずっこけ三人組」‥‥推理ものが好きだった。
さて、そうこうするうちに元・我が家だ。うちの母上は、このHPを見るのが怖いという。最近息子の愚行ばかりが載っているからだ。でも、この写真を見ると懐かしいだろう。家族サービスででかく2枚。
窓についてる簾ってうちら住んでた時からなかった?写真を撮っていてふと気がついた。我が家の目の前にバス停がある。住んでいたときは、そんなもん無かった。で、ということは、さっき乗ってきたバスは、うちの目の前を通ったはずだ。でも、全然気がつかなかった。そんくらい記憶喪失。
そうならば「もしやさっきの公園は‥‥」ということで、よく野球の練習をした(させられていた)公園へ行ってみた。そうだ、これがさっきバスで通った安松第二公園。思い出した。
ここで、軽くダッシュ100万本くらいしただろう。軽く1万球くらいキャッチボールしてるだろう。そんな公園を忘れていたとは。思い出は、何もしなければ消えゆくのみ。だが、もう思い出した。写真撮ってるうちに、ちょっと泣けてきた。マジで。ここは親父へのサービスで、写真大きめに。
懐かしさで、腹一杯‥じゃなかった胸一杯のまま、同窓会へ。このクラスは、5年おきに同窓会を開いている。今年は5年ぶり3回目の同窓会となるのだ。今回は25名が参加だという。30歳の同窓会で25名が参加というのは、立派なもんだろう。
この南陽中学3年1組という集団は、やたらまとまりがあった。学校のクラス対抗2大行事「合唱コンクール」「むかでリレー選手権」の両方で全校1になっているのだ。いるだろう? やたら行事に強いクラス。あれだ。
そのまとまりの強さを作りだしたのが、担任・内山達郎氏。まあ、タイプは違うが、金八先生みたいなのが浜松にいたと思えばよい。存在感と信頼感は、そんくらいあった。
よく考えたら、わしはこのクラスに3か月しかいなかった。なのに、卒業アルバムも卒業文集も送られてきた。同窓会にもお呼びがかかる。先生からは毎年年賀状が来る。いや、有り難いことです。
ということで、まあ1次会。同窓会って言ったって、まあただの飲み会だ。串焼き屋で呑んだ後、一行は2次会へ。女性陣はほとんどが既婚者だが、ほぼ全員2次会へ参加。盛況でごわした。
内山先生にとっても、このクラスは特別だという。1年2年3年と持ち上がった学年は、この学年だけらしい。入学時に迎え、卒業時に送る。普通のようで、なかなかそういうわけにはいかないのだろう。感慨深げに宴を見守っていた姿が印象的だった。
完。
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