引退報告UpGrade版

リング上での野崎勇治っていう選手が見せる試合は、平凡の域を出ないものだったと思う。別に自虐じゃなく、普通に考えて、まあそうでしょう。何十年かの期間で生まれた数多くのキックボクサーのなかで、特別に印象に残るファイトをしたとは思えない。

だけど、もしそうでもないとしたら、それはこのホームページのおかげだ。ここで、ああでもないこうでもないといろいろ書いてきたからこそ、「のっぺらぼう」でしかなかったキックボクサーが、それなりに「個性」を持てた。観る側にとってはもしかして一番必要な「感情移入」しやすい選手だったろうし、マスコミほかに「ジキルとハイド」だの「イチローを倒した男」だの「理論派」だのと表現していただいたのも、全部ホームページでの活動があったからだと思う。

あまりしゃべらない男のほうが格好いい。そんな考え方には、同感だ。まして「引退」なんていう選手にとって「死亡宣言」にあたるようなことに関して、多くの言葉を費やすことは、格好いいことだと思わない。「もう飽きた」と、リカルド・ロペスみたいに辞めたほうが"フィニート"だ。だから、引退表明の文章は「あっさり醤油味」を心掛けた。

でも、みなさん納得いかないようだ。「突然でびっくり」「どうして?」「残念」との声を多くいただいた。

考えを改めた。大量に書き連ねることで市民権を得た選手だから、大量に書き連ねて辞めましょう。飽きずに読んでね。別に大したドラマなど、何もないけど。

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キックボクシングを通じて何をしたいかは、選手それぞれだと思う。「エンターテイナーになりたい」「殺しあいの緊張感を味わいたい」……まあ、いろいろでしょう。私は、、、、「階段を昇りたかった」のかな。

多くの競技は、ある一時期結果を出せば、ある肩書きをもらえる。オリンピックは、もちろん出場するのは大変だけど、オリンピック期間中だけ急に強くなれば、「金メダリスト」という輝かしい肩書きをもらえる。しかし、キックやボクシングは違う。例外はあるけど、基本的に3回戦や4回戦から実績を積んで、ランキング戦を勝ち抜いて、タイトルマッチも勝って、ようやく日本チャンピオン。キックならそっから打倒ムエタイ、ボクシングなら「世界」への道が始まる。そういう、「エレベーター」じゃなく「階段」的な世界観が、この競技に惹かれた理由の一つだと思う。

キックよりボクシングのほうが「階段」的要素ははっきりしてるけど、自分の視力ではボクシングのプロテストは受けられない。だから、キックに来たのだと思う。(視力については、また改めて書こうと思ってます)

そういう経緯で始めたキックボクシング。最初は、軽いスパーリングが怖くて仕方なかったけど、やがて普通にできるようになり、オーエンジャイで経験を積み、プロテストに合格。3回戦で、当時のNJKFの5回戦昇格基準であった「5勝」の条件を満たして、5回戦に上がることができた。そこで、まあ上が勝手に抜けたということもあるけど、「ランキング4位」にまでなれた。当時チャンピオンは空位だったから、事実上「3位」だ。

ベルトを巻きたかったわけじゃない。ただ、「ムエタイ」は事実上キックボクシングの上位カテゴリーだと思っていたので、日本チャンピオンという肩書きを得られれば、そこで新しい「階段」=「打倒ムエタイ」に進んでいけると思っていた。とても険しい階段だということはわかっていたけど、だからこそ魅力的だった。

その地位までいけるのに、残るは3人。ようやくそこまで来た時に、NKBトーナメントの開催が発表された。

はっきり言ってショックだった。

「今までの実績はチャラにして、みなさん横並びになって、ランキング決めなおしましょう!」、そう言われたような気がしたのだ。お客さんにとっては面白いだろう。スポーツ的には正しい姿かもしれない。K-1が世間に受け入れられたのも、「格」とか「実績」をまったく考慮しないシステムだったからだと思う。

だけど、個人的には嫌だった。すごい嫌だった。「これまでの試合は何だったの?」と思った。でも、拒否する権利は自分にはない。「勝ってけば自動的にタイトルに挑戦できる」、そのことをチャンスだと思うようにして、トーナメントに挑んだ。

4団体合わせてのランキング作成だったけど、事実上、ライト級はNJKF独占状態。唯一そこに食い込んでくるだろうと思っていたのが、高野選手(神武館)だった。半ばやけくそで、延藤さん(当時NJKF広報)に「一回戦、高野でいいですよ」と言った。結果、だからかどうかは知らないけど、本当に一回戦は高野選手になってしまった。

正直「あちゃちゃ」と思った。階段登って4位まで行ったのに、「もし一回戦で負けたら俺何位になるんだろう? 10位とかそれ以下になっちゃうのかな?」。もしそうなっても、そこから這い上がってくるのが本当に強い選手なんだろうけど、そんな気分にはなれそうになかった。
「負けたら終わりだな」。そう思って一回戦に臨んだ。

とにかく勝たなきゃいけなかった。高野選手のビデオは観たが、とてもじゃないが打ち合って勝てる気がしない。だから、徹底して組んだ。それならかなりの確率で勝てると思った。結果、ハナ差だったけど、なんとか勝てた。 各方面から「つまらかった」と酷評されたけど、プロ失格だけど、申し訳ないけど、そうするしかなかった。

2回戦の相手は狩野選手(上州松井)。2年ほどブランクがあったけど、ずっとランキング上位にランクされ続けていた選手。日本人場慣れした才能の持ち主で、当然強いのはわかっていた。でも、当時一つでもランキングを上げてタイトルマッチ挑戦権を得たかった自分としては、「ふざけんな、さっさとどけ!」と思っていた選手だ。

もちろん今となっては悪い感情など何一つないし、彼にもいろいろ事情があったんだとも思う。でも、当時はそんなこと思えなかった。

楠本さんにも「(2年も試合してない)狩野に負けたら引退ですね」と言われていた。まったく同感だったので、また「負けたら即引退スペシャル」(プロレスでそんなのあったな<笑>)な試合をする羽目になった。

結果は、引き分け後延長戦の末、勝者扱い。首の皮一枚つながった。ふぅ。

準決勝。相手はAVIS選手。気持ちはとっても強い選手だし、タイプ的に悪い意味で「噛み合っちゃう」選手だと思っていた。警戒していた。ただ、隣のブロックの二人(笛吹選手、高津選手)よりは、勝つ可能性は高い選手であったことは、多くの人が同意してくれるのではないかと思う。

でも、引き分け延長戦敗者扱い。気持ちの調整がうまくいかなかったのか、闘争心ゼロ。そんな自分に大失望して、リングを降りるときには「もう終わりにしよう」そう思っていた。

そこで本当にそういう決断ができたかわからないけど、次の試合が半強制的に決まってしまった。2位決定戦。トーナメントに参加した以上、拒否する権利はない。幸いなことに、相手は一度負けているソムチャーイ高津選手。やりがいのある相手だ。そして、「これに勝てば猪一番に挑戦権がもらえるだろう」(実際は違ったが)。

気を取り直して練習して、試合に挑んだ。
結果は判定負け。自分としては、前回とは違うものを見せられたとは思ったのだが、力及ばなかった。実力負け。 「99%これで終わり」そう思ってリングを降りた。 間違いなく辞める気でいたから、「敵陣」である「大和ジム」に遊びに行ったりもした。

しかし、数日が経ち、数週間が経っても、残りの1%が埋まらない。半端な気持ちでジムに行きたくなかったから、ほとんどジムには行かなかった。しかし、会長が「ミット持ちでも何でもいいから、とにかくジムには来い」と言ってくれたので、とりあえず「練習らしきこと」をしに、ジムには行くようになった。

高津戦に負けた次の興行でも、試合のオファーはあった。だけど、自分にとって「勝てば上にステップアップできる」という試合ではなかったので、断った。試合のオファーを断ったのは初めてだ。NJKFでは、興行前にまず出場エントリーをするのだが、北星ジムはいい加減なので(笑)、「エントリー用紙を観たのが全試合決まった後」なんてことはよくあった。だけど、気持ちは「全興行出場OK」だったし、幸いなことに試合も定期的に組んでもらった。自分から「次の興行は出ません」と言った記憶はない。

だけど、初めて試合のオファーを断った。これは自分にとっては反則行為だったし、プロ失格の行為だった。「やっぱ引退すべき」と思ったが、だけど「残り1%」は埋まってくれなかった。一度引退して復帰するのは嫌だったので、「100%」になるのを待ちたかった。

もし、今後未来永劫「挑戦する試合」が組まれるのであれば、気力120%でまたできるようになったと思う。でも、そんなの許されるはずがない。いつあるかわからないチャンスを待つために、上への「階段」が見えない試合をする気力は、もう残っていなかった。

「引退試合」を組んでもらうという選択肢もあった。もともと、最後はそういう試合で終わりたいと思っていた。応援してくれた人にもわかりやすい形で辞めるのは理想だった。小野瀬選手の引退試合を観て、その思いをさらに強くした。でも、いったい誰と??? こっちの一方的な都合の試合を、他の日本人選手に負わせるのは嫌だ。やるんならタイ人。だけど、タイ人呼ぶにはお金がかかる。「自分で金だそうかな」とも思ったけど、やっぱり虫のいい話しだ。第一、「引退試合」するような立派な選手じゃない。

いい加減はっきりしろ! 100%の練習してない自分が嫌だし、他の選手にも迷惑だ。

そう考えて、2月9日引退を決めた。キックボクシングは多くのものを自分に与えてくれたし、素晴らしい競技だと思う。だけど、危険であるが故、きちんとした準備と相応の覚悟がない選手は試合すべきじゃない。そして、自分はもう試合をするべき選手でない。

「これから何をしていこう?」と考えると、ワクワクする。現役であるうちは、先のことなんて考えられなかった。一つをきちんと終わらせないと、次には進めない。闘いの場は、何もリングだけじゃない。延藤さんなんか、会社作って頑張っている。イキイキしている。「俺、最近命賭けてねえな」と悩んでる姿は、現役時代とちっとも変わらない(笑)

現役にこだわり続けることで輝いている選手もいる。辞めて、さらにステップアップする選手もいる。今の自分は後者を目指したいな、そう思った。

さて、これから何しよう? 総理大臣でも目指そうかな。プロゴルファーも可能だな(笑)。紅白出場目指すか!? 柴又一のホストを目指すのも魅力的……いやこれは興味ない(爆)。ま、先が見えてくるのはこれからだ。

野崎勇治はこれからも変わりません。みなさん、変わらず御贔屓お願いします!!

2003年2月12日   東京北星ジム 野崎勇治

 

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