第3話 海底散歩

もうはなはだ記憶の彼方になってしまったのであるが、そんなこんなで関門海峡観光に出かけた私と飼育係。宿舎を出て歩いていると、いつの間にか危険地帯に突入していた。そこは「老人ゾーン」だったのだ。老人ゾーン? いったいどんなゾーンなのだろう? 若者は歩いちゃいけないのだろうか? 車も通る道なのであるが、老人最優先の優しい道路なのだろうか? 結局、どんなゾーンかはわからず、歩を進めた。
 

いよいよ、海峡地帯にやってきた。とにかくやたらに近い。イチローが遠投したら届きそうだ(実際は650mあるそうなので無理なのであるが)。ここを通る外国船を、長州軍は砲撃していたわけだ。そりゃ当たるわ。ちなみに源氏と平家の壇ノ浦の戦いの舞台もここ。源義経が八艘飛びをし、平家が滅亡した舞台だ。日本史がまったくダメな私であるが、さすがに目の前の狭い海峡で起きたことを想像すると、歴史ロマンをかきたてられる。

さて、山口に来たのは20年ぶりということは書いたと思うのだが、記憶の片隅に「歩いて関門海峡の下を渡った」というのがある。周囲を見渡すと、あった! 地下へのエレベーターがあったのだ。をを!これだ!と二十数年前の記憶がよみがえる。

 
エレベーターに乗り、地下に降りると、なんとそこには松田優作が!(謎) 右のような絵があちらこちらに貼ってあるのだ。たしかアインシュタインもいた(笑)。いちおうこの辺りに来たことがある人を集めているようだが、かなり強引では?
 
こんな感じで地下道が九州へ向けて続いているのだ。観光用というよりも、ふつうの通路として機能していて、買いもの袋ぶらさげたおばさんが歩いている。なによりびっくらこいたのが、ジョギングしている人がいっぱいいたこと。「ちょいと九州まで走ってくるわ」とか言って家を出てきているのだろうか?
 
というわけで、記念に県境(海底数百メートル)で寝てみました。
 

海底散歩を楽しんだあとは、宿舎に戻りふぐ尽くしディナー。さぞかし、素敵な時間をすごしたと思うかもしれないが、いやいや地獄。。。ふだん「あまり飲み過ぎちゃダメ」とうるさいばあちゃんが、飲めや食えやうるさいうるさい。「もう、腹いっぱい」って言ってもゆるしてくれない。倉敷で痛飲していたせいもあって「もう飲めない」って言っても、「何を言ってるの? 飲みなさい」と一種ごうもん。。。

こうして、下関最後の夜は更けて行ったのでした。明日はいよいよ萩侵攻。

第4話につづく