ロマン・ロランの肉筆が語りかけるもの 植 松 晃 一


 インターネットを通じて物を買う、いわゆる「インターネットショッピング」を利用していると、貴重な品との思いがけない出合いを経験することがある。
ある日、海外のサイトでロランの文献を探していると、「Cahiers de la Quinzaine」という文字に目がとまった。商品説明を見ると「裏表紙にロマン・ロランのメモ」とある。早速、商品の画像を電子メールで送ってもらうと、「カイエ」第二巻第五号(一九〇一年一月二十八日刊)であることがわかった。ペギーの「私のために」が収録されており、ロランも「重要な『カイエ』」と指摘しているものだ。その裏表紙にロラン独特の筆致で四行のメモが書かれ、「一九四二年四月 R.R.」と署名されている。価格はわずか数千円。掘出物だ。私はすぐに購入を決めた。
 別の日には、個人が物を売買できるインターネットオークションで一ページのタイプ原稿を手に入れた。「ロラン直筆の校正と署名が入った書簡」と売り手は説明していたが、宛名も挨拶文もない。おかしいと思い調べてみると、『闘争の十五年』に収録されている「ドイツにおけるユダヤ人排斥主義に反対して」であることがわかった。校正刷りの可能性もあるが、数千円で手に入れることができた破格の掘出物である。
 私はこのほかにも一九〇八年と一九二〇年に書かれたロランの直筆書簡二通、ロランが献辞を入れた『ピエールとリュース』(ガブリエル・ブロ挿画)、そしてマリー・ロラン夫人の署名入り書簡一通を所有している。いずれもインターネットの世界で出合った掘出物だ。
世界の十人に一人がインターネットを利用している現在、可能になったのはショッピングだけではない。海外の人々と手軽にコミュニケートできるインターネットを活用すれば、新時代の「ユニテ」を世界規模で形成することもできると思う。その可能性を実感したのは私が大学四年生のとき、アメリカで同時多発テロが起きたときのことだ。
 二〇〇一年九月十一日。二十一世紀前半の分水嶺ともいえるあの日。世界貿易センタービルに飛行機が突入し、機体は一瞬にして炎の中に消えた。燃え盛るビルからは人間がばらばらと降り、ツインタワーは轟音と土煙に包まれて沈んだ――自分自身、そのとき何を考えていたのか記憶にないが、ただ「何かしなければ」と強く感じたことを今でも鮮明に覚えている。
 翌日、私は世界各国の有識者に電子メールを送った。単にテロを非難するだけではたりない。ムスリムへの警戒感が強まり、報復攻撃への熱狂が高まっていく中で、青年は何をすればいいのか。どう考えればいいのか。その疑問を率直に識者へぶつけた。机上の議論や無責任な論調が私たちの目と耳を曇らせる前に指針となるものを得、それを多くの学生と共有したいと思ったからだ。
 ありがたいことに、メールは続々と返ってきた。マハトマ・ガンジーの令孫であるアルン・ガンジー博士やノーベル平和賞受賞者のジョセフ・ロートブラット博士、ローマクラブ会長のハッサン、ヨルダン皇太子など世界的に著名な方々からもお返事をいただいた。私はそれらのメッセージを冊子にまとめ、配布した。アフガニスタンへの報復攻撃がはじまるまでの約一ヶ月間に全五冊。一週間に一冊のペースで発行する強行軍である。文字通り不眠不休で翻訳・編集・印刷・製本に取り組んだ。そのとき支えとなったのが、戦時におけるロランの生き方だった。
 第一次、第二次大戦という過酷な状況の中、ロランは生命を損なうものに容赦なく攻撃を加え、有名・無名の善意の人々を結びつけた。傷ついた人々を励まし、弱い立場ゆえに過ちを犯してしまった人々を擁護した。世界が破壊の流れを進む中で善きものを守ること。「悪」に対して何かしら「善」の価値を打ち立てること。祖国を追われ、友人を失っても、ロランは耐え抜き、彼の信じる善への努力を惜しまなかった。そんなロランの壮絶な生き方に勇気づけられたからこそ、私は最後まで仕事を続けることができたのである。
 冊子にはキリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒からのメッセージが集まった。冊子をつくった私は仏教徒である。「宗教戦争」という安易な構図がまじめに議論されていた当時にあって、平和への意志はすべての宗教に共通であることを、平和のために協力することが可能なことを、一つの「ユニテ」を、ささやかながら示すことができたのではないかと思っている。
テロとの戦いは続いている。それは、私たち一人一人に「憎しみを超える」戦いを課しているように思えてならない。不断の内省と積極的な善への意志、そして具体的な行動が要求される時代。そういう時であればこそ、ロランはダンテにとってのウェルギリウスのように、私たちの生の「道づれ」であってくれると思う。
 私は今日もロランの肉筆に額づく。「一人の人をどこまでも大切に。そして、勇気をもって信じる道を歩みたまえ!」と、ロランは優しく、時に厳しく語りかけてくれる。

                           
(賛助会員・一九八〇年生まれ)



ロマン・ロラン直筆書簡 1920年7月24日付け


「ドイツにおけるユダヤ人排斥主義に反対して」
タイプ原稿(校正刷り?)
1933年4月5日付け 『闘争の15年』所収


ロマン・ロラン直筆書簡 1908年6月3日付け  写真上が表側、下が裏側


「カイエ・ド・ラ・キャンゼーヌ」第2巻 第5号 (1902年1月28日刊)
左上:表紙
右上:裏表紙
下:裏表紙上部に書かれたロマン・ロラン直筆のメモ