ロランとヴィクトル・ユゴー
― フランス人の目から見る ―


ディディエ・シッシュ
シッシュ 由紀子 訳

序文

  ロマン・ロランの作品は奇妙な運命を辿ったと言える。1915年にノーベル賞を受賞し、世界的な絶賛を浴び、各国語に翻訳されロシアなどでは何百万部も売り上げる。フランスでも大衆の絶大な支持を得る(『ジャン・クリストフ』はもちろん『コラブルニョン』や『魅せられたる魂』は当時のベストセラーとなる)ところが、その後だんだんとロラン離れが進み、今日に至っては書店に並ぶ作品は稀である。ロランの言葉は彼が関心を寄せた作品や歴史的事件に関する書物の中で引用されるのみで、それ自体が読まれることは少ない。
  ロラン離れは1940年から50年にかけておきる。まずインテリと呼ばれる人々が彼の文章がうまくないと、批判し始めるが、これだけではロラン離れの十分な説明とは言えぬ。私が講演のタイトルを「ロマン・ロラ ンとヴィクトル・ユゴー」にしたのも、この二人を比べることで、(ロランもこの比較を否定はしないであろう)なんらかの答えを見出せると、思うからである。
  ロランが人間ユゴーと、その作品も高く評価していたことはよく知られる。スイスで若きロランの目に写った老作家は預言者のようであり、「ユゴー万歳!」と叫ぶ群集に沈黙を課した後で「共和国万歳!」と叫ぶのであった。また生計を立てるためにロランが教えていた、退屈で偽善的な教会の説く公けの道徳の授業で、ユゴーの『ああ無情』を読むときだけ生徒達が生き生きしていたと、語っている。
  若きロランだけでなく、19世紀の終わりに作家であろうとする者にとってユゴーは父であり、多様な着想と豊かな作品で19世紀を総括する人であった。更に、ユゴーは共和国の価値を象徴していた。1885年の彼の葬儀はそういった意味で市民の宗教的儀式でありフランスという共和国の詩人への崇拝の儀式の様を呈していた。
  作家であろうとするならば、必然的にユゴーを軸に自分を位置付け、彼の作品をとおして19世紀の遺産を受け継ぐことであった。



ロマン・ロランと19世紀

   ロランがユゴー的であるのは、彼が19世紀に生まれたからだけでなく、彼のイデオロギーが19世紀を継承しているからである。19世紀の革新派のインテリには特有の考え方、信条があり、ロランもこれに追随している。ユゴーの作品はそれらを雄弁に物語っているが、簡単に挙げると以下のようになる。
    ・革新派のインテリという立場をとる
    ・民衆を信頼し、輝く未来を作り上げると信じる
    ・普遍的共和国の到来を信じる
    ・反聖職主義であると同時に唯物論の席巻を嘆く
    ・ドイツを敵国ではなく共にヨーロッパの礎石となるべき隣国だとし、憧憬する



二人の革新派作家

  ロランもユゴーも共にインテリであり革新派に属する。この二つの言葉は重要である。
  まず、インテリとは、少なくともフランス語においては、自分に関係ないことに関心を寄せ、係わって行く人達である。芸術家であろうと作家であろうと自分の世界に閉じこもらず、自分の考えを主張することを恐れず、何らかの大義を擁護し、不正暴く。たとえそれが自分の所属する世界に反する場合でも。ユゴーは貴族院議員でありながら7月王政の重圧と偽善を批判した。ロランも若くして生まれ育ったカトリック教と袂を分かつ。
  インテリとはヴァレリーがゲーテのファウストを引用して言うように「常に否定する精神」である。否定する精神は育った環境を批判するだけでなく同士の行き過ぎをも弾劾する。ユゴーは革新派共和派の唯物論をはっきり否定し、1848年の革命時には黎明期にあった社会主義が神のいない恐ろしい宗教になる危険性を孕んでいることに警鐘をならしている。若きロランもドレヒュス事件の際には当然ドレヒュス擁護派に身を置くが、この高貴な大義を出世に利用しようとする人々を強く批難する。ロランの旧友であり、同士であったシャ  ルル・ぺギーによればは彼等は「伝説を政治にかえてしまうのだ。」後にソ連共産党革命に希望を見い出したロランであるが、1927年にE.レニエに当てて「共産主義に対する考えは変わっていないが、この高邁な思想が偏狭なセクト主義と愚な硬直性と暴力の信仰により台無しにされ、共産主義を反転させたファシズムを生んだ」と、嘆いている。主義主張にコミットしても、超越した倫理を希求し、常に別の場所にいル。ユゴーに「私は他のことを考えている人間だ」と、言う名句がある。コミットすれどもそれに利用されることを拒否し、戦いながらも自分自身の精神の独立は保つのがインテリだった。
  ロランもユゴーもそのコミットした中味は似ている。二人とも明日は今日より美しいと考え、社会的政治的進歩、正義の国の到来を信じ、それを速めるためにあらゆる努力をするべきだと考えている。正義の国では階層は消滅し真実と正義が普遍的に崇拝される(プロレタリア独裁というマルクス主義のドグマとは正反対のものである)「真実と人間を尊重する限りプロレタリアを支持し、これらを侵害するならば反対する。人間的価値を前に特権階級など上にも下にも有り得ない。」(『ユマニテ』1922年3月12日)
   彼は主意主義を信じるが、批判精神を持つ。『クレランボー』の中で「結果は手段を正当化しない。進歩のためには結果よりもむしろ手段の方が重要である。」と書かれている。
  この批判精神に基づくコミットメントからユゴーとロランのフランス革命の見方が似ていることが分かる。
  ユゴーの革命を題材とした『93年』という小説があるが、これはロランの小説『フランス革命劇』だけでなくロシア革命に対する態度にも影響を与えている。
  『93年』の中でフランス革命は部分的に評価したり批判したりするものではなく、まとめて受け入れるか否定するものとして描かれている。マラー、ダントン、ロベスピエール3人の激しいやり取りの中で、革命の遂行を危うくしかねない危機をめぐる意見の対立を超えて三者の補完性が浮き上がる。マラは言う「我々三人が革命そのものだ。我々はケルペロスの三つの頭なのだ。一つは話す。それが貴方だ、ロベスピエール。もう一つは吠えるそれが貴方だ、ダントン。」ダントンはそれに続けて「もう一つは噛み付く。それが貴方だ、マラーよ。」ロベスピエールがこれを受けて、「三つとも噛み付くのだ。」革命は一つの塊であり受け入れるか拒否するかどちらかだ。この考え方は第三共和制の下で行き渡り今日にも至っている。
  ロランもこれを踏襲し、戯曲形式をとることで革命の多様性と統一性を描くことに成功している。恐怖政治を終わりにしたいダントンを「信じられないやつばかりだ。仮面を剥ぎとってやる。」と、周りの人間を皆疑っているロベスピエールに対峙させる。ダントンもロベスピエールも革命遂行のためには対立し合い、同時に補完し合って描かれていく。1919年1月にセぺルに宛てた手紙には「友よ、私がロシア革命をを否定することはありません。その前に貴方がフランス革命を否定してごらんなさい。9月殺りく、ランバル夫人殺害、マリ−アントワネットの卑劣な判事達。貴方はそれらが国民公会の産物ではなくその理想とも無縁のものだと言うでしょうが。」とある。つまり、革命とは、フランスであろうとロシアであろうとその犯罪に目を瞑らずに一貫して支持するのは困難なのだ。ユゴーも「ロベスピエールの独裁は憎むが能力は認めざるを得ない。彼の功績で旧い世界が倒されたことは確かなのだ。」と語る。戯曲形式は対話で進み結論がいらないことから、ロランにとっても全体を評価はすれど盲目的ではないという姿勢をとるのに都合が良かった。このことはユゴーから継承したもので上に挙げた一節の様に小説でありながら劇中の対話の様に進んで行く。
  革命は作家にとってインスピレーションの宝庫である。歴史上のこの時代を華やかに描くのはユゴーと同様で、1892年に、『革命劇』の序文でロランは「特に革命伝説を利用せねば。これこそ国家の魂の根本でありそれ以前の史実など幾つかの例外を除いては重要ではない。」と、言い、ユゴー同様にロランも小説ばかりではなく詩においても革命の叙事的な威力とこの時代の神話的魅力に敏感であった。この点において、ロランは、ダントンなどの革命の立て役者達を美化し国造り神話をつくろうとした第三共和制精神に準じている。ただ、叙事詩を書くことを課しながらも判断の自由は確保している。

 

唯物論への嘆き

  革新派のインテリであっても唯物論者ではない。19世紀のインテリ達の戦いはまず聖職者達、つまり教義で民衆の精神を支配し社会を支配しようとするカトリック教会に向けられていた。教育、国家からの宗教分離のための戦いの中でロランの同士はドレフュス擁護者達だった。ロランは若くして信仰を失い親しんだカトリック教と縁を切る。1925年頃『内面の旅路』の中で「私がカトリック信者でなくなったことで母の心は血が滴るほどなげいた。」とある。
  だが、ロランは決して無神論の唯物主義者ではなかった。彼は常に精神性、超越性、漠然とした宗教的感情を希求していた。「私の生涯最初の力を注いだのが信仰を捨てることでした。それこそ最も宗教的な行いでした。神よ私は貴方に率直でいよう。もうミサには行かない。もう貴方を信じない。」神の答え「信じぬこともまた信仰であろう。我らが対立していなければ、そなたも我を否定はせぬだろう。」つまり、カトリック教という社会的に認知された宗教を捨てても、精神の営みを放棄した訳ではなく、同文の中でスピノザの汎神論に出会った際の驚きと歓喜を描写している。唯一の無限な存在、存在総ての存在、他には何もない存在という言葉に深く感動する。「全てに神がいるならば私にも神がいるのだ」
  ロランが唯物論者でないことは明らかである。1909年三月にルイーズ クリュピに宛てた手紙で現実的な常識の域を出ずに、精神性を認めない宗教分離主義の弱点を突いている。クローデルはロランの生涯の末期に親交を深めるが、この老人に宗教的魂を見て取る。1898年にはカトリックの友人がロランに「貴方とお話していると自分がクリスチャンであることが恥ずかしく思えます。貴方の方が私より余程クリスチャンの名にも使命にも値するからです。」と、書いている。
  革新派の思想家であるが信じることを強く求めた点でロランはユゴーに似ている。ユゴーは生涯カトリック信者であったことはなく、洗礼さえ受けていない。「宗教は認めるが、あらゆる宗派は拒否する。」宗派とは信仰で社会秩序を司る勢力であり、ちょうど19世紀に社会学的カトリック教という言葉が使われていたのはよい例である。(ユゴーは政治の場では、カトリック党の天敵であったことはよく知られている)宗教は認めるとは、彼にとっては信じるという行為は人間の営みの本質に値することだったからだ。ユゴーは常に信仰を持ち、この世はある意味を持ち、我々はその魂の一部であって、「全てが無限の中で誰かに何かを言っている」(『瞑想』)と、確信していた。
  「立ってはいるが神秘の方に傾いている」同文でユゴーが自らを描写した言葉はそのままロランにもあてはまるのではないか。
  だからこそ両者とも近代文明の下で唯物主義が席巻するのを嘆いたのだ。1840年に書かれ、後に選集に取り上げられた『地平線の両側』という題の詩で、ユゴーは一つの文明がもう一つの文明に道を譲る様子を苦々しくうたっている。

      アメリカが台頭し、ローマは滅びる!
      神よ、貴方のローマが!
      おお神よ!我々の道を消し去り、人の本質を歪めてしまうことにならぬか
      人間の天分を移してしまえば

      かくして物質が思想に取って替わる!
      イタリアは芸術、信仰、心、火
      アメリカに魂はなく 労働者は冷たく
      人間ばかりの世界
      イタリアには神がいた

      熱き星は沈み、冷めた星が昇る
      神よ!フィラデルフィアの商人の街がいかにしてなれようか
      ミケランジェロが夢を追い、イエスが十字架を置き、ホラシウスが歌った街に!

      我は知る由もない 神よ、深き理性よ
      人の魂が眠りに陥ることなく、この世の光に影がさすことなく
      この月をこの太陽の代わりに与えようというのか?

 長いがとても重要な詩である。これは反アメリカ主義を掲げたものではなく、アメリカは象徴にすぎない。ユゴーが文明の危機をいかに不安に感じていたかがよく分かるが、この文明の危機こそロランが認識していたことで、1903年には『ベートーベンの生涯』の序文で「何の威信もない唯物主義」が「旧きヨーロッパ」を潰すと、書いている。ここからヨーロッパの再興という夢が現れ、ユゴーと同様に作品の中に根付いてゆく。



二人のヨーロッパ人作家

   ロランがユゴーの様に統一ヨーロッパ支持者だったと述べるのは陳腐であるが、彼が切願したヨローッパ再興とは精神のことである。唯物主義に沈む世界にあって、ヨーロッパこそ文化的精神力としての存在意義があり、物質主義に対抗して、アジアとも実り多き対話を進めて行くべきだというのだ。この意味で、ロランにとっても、ユゴーにとっても、統一ヨーロッパとは政治的大義ではなく文化的なもので、超国家ではなく知の空間を築こうとしていた。「知と精神の祖国を築かなくてはならぬ。そこからヨーロッパの魂が生まれるだろう」(1901年『親しいソフィア』)ヨローパにおける戦争はどこが相手であっても内戦であり、「どこが勝とうが最初の必然的敗者は西洋なのだ」(1911年9月6日)精神の共通の祖国としてのヨーロッパは認知されていなくても既に現実であり、この偉大な思想が『戦いを超えて』に脈々と流れている。
   文化の祖国としてのヨーロッパ、ヨーロッパという国籍こそユゴーの思想の最たるものである。「いまやヨーロッパという国籍がある。その昔アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスが(アテネという都市国家を超えて)ギリシャ文明圏に属していたように。詩人にとっては文明を共有する全ての地域が祖国である。アイスキュロスにとってはそれはギリシャ文明圏であり、ウェルギリスにとってはローマ文明圏であった。我々の祖国それはヨーロッパである」(『ブルクグラーブ』序文)ユゴーはこの統一ヨーロッパは世界合衆国の前身だと言い、ロランは1928年インドをテーマにした『ヴィヴカナンダ』の中で「人類の合衆国」という言葉を使っている。1916年アンドレ・ジッドは『日記』の中でロランがいとも容易くジャン・クリストフをドイツ人にしたことに驚いている。ロランの嗜好、傾向、反応そして意志がいかにドイツを意識していたかが明確だったのである。1916年といえば、フランス人がドイツへの憧れを声高に言おうものなら裏切り者の汚名を着せられかねない時代である。実際は、ロランはドイツ志向と言うよりはユゴーの様に深くロマン主義に傾倒し、それがドイツ賛美となったのであろう。「我が友ドイツ国民よ、私がいかにあなた方の旧きドイツを敬愛しているか。私も皆さん同様にベートーベン、ライプニッツ、ゲーテの息子なのです。」(『戦いを超えて』)時代の潮流がどうあれドイツを賛美したのはユゴーも同じである。1842年に『ライン川』の中で、フランス人でなかったなら、ドイツ人になりたかったと語り、「ドイツとフランスは文明の本質であり、ドイツは感じ、フランスは考える。感情と思考こそ文明人の全てである。フランスとドイツ 高ヘ過去においても、現在においても、未来においても兄弟である」そして1864年の『ウィリアム・シェイクスピア』で人類の歴史を彩った偉大な人物について触れているが、「ドイツには全てがあり、全てがいる」合理的な分析抜きの深みでドイツの天分を表現するのに最適なのが音楽だと続けている。「音楽はドイツの言葉である。」「偉大なドイツ人はベートーベンである。」このベートーベンをテーマにロランが作品を残し、音楽を最良の媒体にしてドイツは世界と繋がる。
   こうして視ると、ユゴーがジャン・クリストフの登場を予告していたと言っても過言ではあるまい。戦争の危機を前にした旧きヨーロッパの主人公がドイツ人であったのも偶然ではあるまい。おまけに彼は音楽家であり、音楽という普遍的な言葉で政治的諍いを超えて民衆の団結を切願する。彼が熟知するフランス人とドイツ人が共に人類の進歩のために貢献する。それを繋ぐのがユゴーの作品にもあるライン川だった。「ジャン・クリストフの運命は生命の力を河の両側で敵対する民に運ぶ動脈になることだ。河の両側には傷つけあう代わりに団結して働ける生命の力があるのだ。」



結論 時代遅れの作家?

   革新派の作家。霊感に富んだ理想家。ヨーロッパ人作家。ユゴーもロランもこう定義できるかも知れない。ロランが扱ったテーマは19世紀の共和国の理想そのものである。ユゴ−が冴えた言葉と豊かな着想に支えられ、実に見事に表現したこの理想がロランにも影響を与えぬはずはなかった。
   こうして、ロランの作品の辿った運命の謎、特に、なぜあれだけ賞賛されながら読まれなくなってしまったのかが理解できる。ユゴーもその死後浮かばれない時代が何十年も続いた。革新派であれば同時に唯物論者であり、無神論者であった時代に、ユゴーの寛大な理想主義や神への信仰、魂への信仰、良心は批難を浴びた。生前にもこの批難はあり、ゾラなどは年中祈りを捧げているユゴーの姿を理解できなかった様だ。そのユゴーが再び認められたのは、この理想主義者が思想家ではなく類い稀な文才を持った詩人だったからだ。言葉に全く新しい息吹を吹き込んだこの詩人が近代詩の原点といわれる所以である。
   ロランも浮かばれぬ時代を迎えたことはユゴーにならうが、寛大で現実にはそぐわない時代遅れのロマン主義と批判され、今に至っている。ロランは、偉大な作家(ユゴーが最たる例だが、他にミシュレやジョルジュ・サンドなど)を得て華やかなりし頃のロマン主義をそのまま引き継いでしまったようだ。
   後に、ロランがソ連共産主義などの大義や政治行動を支持したことが批判されるが、間違いを犯したフランス人インテリはロラン一人ではない。エリュアール、アラゴンも盲目的であった。
   問題はロランは思想家ではあったが、作家として認められなかったことである。彼の表現はナイーブで、不器用で文体が平坦であると言われる。『ジャン・クリストフ』でも紋切り型の言い回しや無駄な描写が多い。ただ、確かに文章はうまくないが、ロラン自身が大衆文学者であるために、まず理解されることを優先したのだ。「真直ぐに語れ。理解してもらえるように語れ!一部の感性の優れた人々にではなく、無数の凡人に理解してもらえるように!理解され過ぎることを恐れてはいけない!曖昧さは避け、明確に、断固として語れ。たとえ、重苦しくなったとしても!」(『ジャン・クリストフ』の序文)プルーストやジッドの時代にあって、この文学的概念は些か単純である。偉大な言葉の操り人であったユゴーの後継者となることを放棄することである。ロラン・バルト曰く「ロマン・ロランは作家ではなくもの書きだと認識される。」更に、『魅せられたる魂』や『ジャン・クリストフ』などの歴史的大河小説も生前から文学ジャンルとしては旧いと考えられるようになった。語りというキャンバスに作為的にテーマが塗り付けられ、ストーリーが延々と平坦に続き、多くの登場人物に本当の存在感がない、という印象を受ける。
   ユゴーに多大な影響を受けたと思われるこの少しナイーブな理想主義者は文学的才能においてその野心に達しなかったと、言えるだろう。彼の不遇な時代が終わるとすれば、彼がクリエーター、広い意味での詩人として再認識された時であろう。『コラブルニョン』が最も読まれている作品であるのも偶然ではない。ユーモア−に富むだけでなく、書く喜びに溢れ、文学的にも他の作品からは卓越して充実しているのだ。他の作品は、歴史の証人ではあるが、文学としては少々ナイーブで時代遅れな大河小説の域をでないのか?「大衆小説」「読み易さ」といった評価もロラン自身の選択である。私は今後のロラン研究で、この偉大なアンガージュマンのインテリ、偉大な時代の証人が本物の作家だったことが証明されることを期待している。
   我々の時代は皮肉的であることが評価されているため、ロランの誠実さ、距離をおけない純粋さは受け入れられ難いのが現実である。それにしても、ロランの作品は読むに値するもので、ロランはユゴーの世紀とサルトルの世紀を繋ぐ重要な鎖であり、十分に知的関心をそそる作家である。


(2001年12月21日 ロマン・ロランセミナー講演会から)
(東京都立大学助教授・仏文学)