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(9) 宗教的、祈りの部分[595-654]。
☆ ロランは‥‥
R.R.:すべては不意に変化した。・・この交響曲にまだ出現しなかった宗教的な主題の上に主唱するのは男性合唱のみである。・・ついで女性合唱が賛歌をとりあげる。(92L11
→ 92LB3)
★ この部分は歓喜の源泉、根拠となる、信仰についての部分です。
@”さあ、抱きあおう。千万の人々よ/この接吻を全世界に。=@[596-610]
★ これは人類の連帯の呼びかけです。
A兄弟たちよ − あの星空の上に必ず一人の父は住んでいる。=@[611-626]
★ 「偉大なるもの」の実在への確信を、私たちに村し呼びかける。
B脆くのだね君たちは? 千万の人よ/世界よ/きみは造物主を予感するのだね。“[627-638]
★ 「偉大なるもの」への求道を示す。
C”星空の上に彼を求めよ、星々の上に彼は住む。“[639-654]
★ 「偉大なるもの」の住所について示唆する。
D(合唱) [655-729]
★ いままで出て来た全ての概念がフーガで再現される。
E”脆くのだね君たちは? 千万の人々よ/[730-745]世界よ/きみは造物主を予感するのだね/星空の上に彼を求めよ。
★ 再び、「偉大なるもの」への求道を訴える。
F兄弟たちよ! 星空の1に彼は住む。″[745-762]
★ 再び、「偉大なるもの」の住所を示す。この部分が、この曲の一つのクライマックスであること、ベートーヴェンの信仰の哲学がうかがえるので、やや詳しく、以下、コメントします。
@「偉大なるもの」の実在への確信について。
楽譜上で、muß(必ず)“の出てくる所が六ヶ所(615,622,645,653,735,867)あり、その中で、622小節の”muß(必ず)″にべートーヴュンは、「forte(フォルテ、強く)」の指示をしています。これは、”Vater/Er(父、偉大なるもの)“が必ず実在することの深い確信をここで強調するためであったと思われます。なお、”muß(必ず)“への合唱者へのforte指示は指揮者により様々ですが、メンゲルベルク(注3)は615,645,653,753の各小節のmuß(必ず)≠forteで強く歌わせています。
A「偉大なるもの」の住所について。
・ベートーヴェンは、「歓喜」の根源としての「Vater/Er(父、偉大なるもの)」がどこに住んでいるかについては、シラーのÜber
Sternen(星々の上)/Über sternenzelt(星空の上)″を文の上ではそのまま使っています。
・ベートーヴェンの住んでいた世界はキリスト教文化のなかであり、神の住所を、天空にあるSternen(星々)/Stelnenzelt(星空)″の上と、シラーの詩を借りて表現したのは一応、当然と思われます。
・しかし、興味深いことに、ベートーヴェンは、楽譜上ではこのSternen(星々)/Stelnenzelt(星空))≠フ箇所には、muß(必ず)“の箇所にあったような、強調を示す「forte」は指示していません。
・これは、ベートーヴェンはカントの『実践理性批判』等に触れることを通して、内面の宇宙と外面の宇宙の共通性を理解しており(注4)、その「偉大なるもの」の住所を天空と限定するのでなく、私たちの生命の奥底にも必ず「偉大なるもの」が存在するとの覚知をしていたと思われます。
・このことについての真相は、ベートーヴェン自身に聞いてみるしかありませんが、それも叶いませんので、さらに研究を重ね、思索してみたいと考えます。
(10) 各主要歌詞の再現[767-920]
☆ ロランは‥‥
R.R.:しかし「祝祭の日」は終わっていない。‥‥いまやあたらしい光りにまったくひたされた歓喜の賛歌を再び取り上げる。…・(95U7
→ 95L1)
(11) 閉幕[921−940]。
★ 開幕がPrestoで劇的に始まったように、閉幕もPrstissimoで締めくくられます。これは第九全体の中で、第三楽章までは序論で、第四楽章が独立した一纏まりのものであり、結論であることを示していると考えられます。
3.むすび。
この原稿を書いている一九九八年二月七日、テレビで一九九八年長野オリンピック開会式のセレモニーの一つとして、小沢征爾指揮で五大陸の各都市(ベルリン、ニューヨーク、北京、シドニー、ケープポイント[南ア])と長野を結ぶ 「歓喜の歌」の初の世界同時合唱を中継放送しておりました。ベートーヴェンが第九を完成(一八二四年二月)して一七四年後、最新の衛星通信技術ツールで初めて実現したものであり、ベートーヴェンもさぞビックリしていることでしょう。私は、ベートーヴェンが第九で私たちに与えてくれたメッセージのコンテンツを、より深く読みとり、それをもとにグローバルな対話をすることをライフワークの一つとしたいと考えています。 以 上
(一九四一年生れ、シャープKK、C・A・Eセンター社員)
(注)
(1) 口マン・ロラン全集(みすず書房)第二五巻『ベートーヴェン研究V』の『第九交響曲』の章より 文 中のR・R≠ヘ同書からの引用、下記記号例はページ、場所を示します。
(例)・3U12:同書三ページ目、上[Upper]欄、前から一二行目
・9LB11:同書九ページ目、下[Lower]欄、後[Back]肖から一一行目
(2) 第一八七回読書会(一九九七年一一月二二日午後二時−四時、ロマン・ロラン研究所にて実施)資料:「ベートーヴェン交響曲第九番(合唱付き)フィナーレについて一口マン・ロランに学ぶー」
(第一五三回、第一五四回、第一五五回読書会での発表をもとに纏めたものです。)
(3) メンゲルベルグ。オランダのアムステルダム・コンセルト・ヘボウ管弦楽団の指揮者。一九四〇年五月 録音のライブ演奏は、個性的、開放的で、しかも管弦楽、合唱の歯切れの良さは格別でありながら、強い確信の信仰の感じられる名演である。(CD:PHILIPS・四一六 二〇五−二)
(4) 筆談帳から:カントの『実践理性批判』より。「われわれのうちなる道徳律、われわれの頭上なる星空! カントM!!!」
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