ロマン・ロランとフランス革命劇 河 野 健 二



   ロマン・ロランはフランス革命について、八つの戯曲を書いています。まず、それらを製作年代順、タイトル、戯曲が扱っている年次の順でリスト・アップしておきます。

   ロマン・ロランの革命劇
      制作年                                      対象年
   (1)1898『狼』 Les Loups                               1793
   (2)1899『理性の勝利』 Le Triomphe de la Raison           1793
   (3)1901『ダントン』 Danton                              1794
   (4)1902『七月十四日』 Le 14 juillet               1789
   (5)1925『愛と死の戯れ』 Le Jeu d'Amour et de la Mort   1794
   (6)1926『花の復活祭』 Pâques Fleuries                   1774
   (7)1928『獅子座の流星群』 Les Léonides                1797
   (8)1939『ロベスピエール』 Robespierre                  1794

  ロマン・ロランはあるところで「芸術の目的は夢ではなくて生命である。行動は行動のスペクタクル(見せ物)から出現するはずだ」と言っています。つまり、演劇を通して人間の行動の意味を読み取ってもらい、それが行動への呼びかけであることを求めるのです。まさに、ロランのフランス革命劇は、革命の様々な局面を劇にしていますが、劇を通じて、戦った人、敗北した人、利益を得た人、そのような人びとの姿を示し、そのことによって人間はいかなる存在なのか、何をなすべきか、何を汲みとるべきかを示そうとしています。
   第一番目の『狼』は最初に書かれた革命戯曲です。このr狼』(一八九八年)は、ドレフュス事件の時期に書かれたものです。ドレフュスという軍人がフランスの陸軍参謀本部にいて、彼がユダヤ人ということでドイツのスパイだとされ、フランスの軍事機密をドイツに渡しているという疑いをかけられ、終身刑に処せられたことに端を発する事件ですが、フランス社会を二分する政治的事件となり約十年間続くのです。
   このドレフュス事件に刺激を受けて書かれた深刻な話です。『狼』の対象年は一七九三年。フランス革命は八九年に始まりますが、九二年、九三年頃というのは過激さが一段と進んだ年であり、そのとき、フランス軍隊は市民の義勇兵等が中心となって、従来のフランス軍隊と一緒になってドイツに攻め込み、ライン河畔のマインツという町を占領します。ここにフランスの司令部が置かれる。ドイツではフランス軍が来たということで、フランス革命を支持する運動が起こる。これがドイツのジャコバン派の運動です。が、やがてつぶされてしまいます。
   舞台はその司令部で、三、四人の司令官が一緒に住んでいる。ひとりはフランスの貴族出身、もうひとりはジャコバン、さらにもうひとりは科学者で革命に参加し、出征して司令官となっている人です。
   この現地で三人の間に争いが生じる。貴族に対してジャコバンが「あいつはドイツと通じている」と言い出す。そこで科学者は「ドイツと通じているというスパイ説は間違いだ。そうでないことを私は現に見た」と証言する。ところがその証言をした科学者が逆に疑われて、結局フランス国内のジャコバン派が支配する中央委員会に問題が移されることになります。そうなると科学者の運命はきまったも同様です。彼はスパイと疑われた人間を救おうとして逆にスパイにされてしまうという結末です。
   この劇に示されていることはドレフュス事件のスパイ問題、祖国愛と人間の真実、ドイツとフランスの関係、これらの葛藤が描かれている。革命期の激動を舞台にしてドレフュス事件を背景として書かれていて大変迫力があります。 『レ・ルウ』というのは複数の狼という意味です。人は相手に対して互いに攻撃する狼として生きる。そういうペシミスムが表現されています。
   一八九九年という世紀末に作られた『理性の勝利」は、理性の勝利という表題にもかかわらず、その内容として描かれているのは、むしろ理性の敗北です。
   フランス革命では九二年から九三年にかけてジロンド派とジャコバン派の対立がある。ジロンド派は合理派で、理性を尊重し社会の進歩を進めるべきだとするエリートの集りです。他方ジャコバン派は最初は緩やかな組織であったが、だんだん急進的になり暴力肯定的となり、最後は少数独裁、力ずくの政治を実行します。
   結局、ジロンド派はジャコバン派に負け、理性は勝利するどころか、敗北の運命を迎えます。つまり、ジロンド派は、一斉逮捕となって、議会から追放され、逮捕令によって追われます。その状況が描かれています。
   つぎは『ダントン』です。ジロンド派と一番近いジャコバン派にダントンがいます。ダントンはフランス革命の英雄の一人。フランス人の間ではダントン贔屓の人が多い。彼は教養ある人物というより大胆不敵で、アジ演説がうまく、時と場合によっては妥協も辞さない政治家です。
   ロマン・ロランは『ダントン』を肯定的に描いている。ジロンド派が追放されてのち、ダントンは孤立し、ロベスピエールとはげしく対立することになります。そして、ロベスピエールの潔癖(けっペき)さと猜疑心の結果、彼はダントン処刑にふみ切ることになります。ポーランドのワイダ監督の映画『ダントン』を思い出します。
   そのつぎの『七月十四日』(一九〇二年)は革命の始まりのバスティーユの牢獄内の話です。
   七月十四日はどのようにして始まったかを扱ったものですが、そのなかで牢獄を守った側の人間の口を借りて民衆というのは時としてひどく野蛮になるものだ。民衆のエネルギーは歴史の遠い昔から続くもので、人間にとって避けがたいものだが、無条件に肯定できるものではないという一種、覚めた目で民衆の動きを見ている点が印象的です。 つぎは『愛と死の戯れ』(一九二五年)日本語訳の戯れというのは、遊び戯れるという意味がありますが、ジュウという原語は賭けという意味と、せめぎあい、愛が勝つか、死が勝つかというぎりぎりの意味が込められています。フランス革命を扱った戯曲のなかでロランが一番力を入れたものと思われ、今読んでも面白いものです。
   主人公はジュローム・ド・クールヴォワジェ。フランス革命のなかのコンドルセという人物。彼は貴族で学者、経済学者であって数学者で、しかも政治に関わった人ですが、そのコンドルセを大体モデルにしているが、もうひとりはラボワジエという有名な化学者で、物の燃焼や、動物の呼吸においてはたす酸素の役割を発見し、液体、気体、固体の区別を確立し、また熱量の測定を初めてした人で、近代化学の基礎を樹立した人ですが、その人物をも念頭においています。
   フランス革命のとき、ラボワジエの職業は徴税請負人というものでした。父から受け継いだものです。それはどういう仕事かというと、税金は政府が直接とるというのでなく、税金を請負わす、つまり間接税の徴集を引き受ける職業の人間がいたのです。政府から安く引受け、国民から高く消費税を取るから評判は大変悪く、革命が急進化した時点で、容赦なく殺されてしまいます。ラボワジエを有罪とした検察官が「共和国に学者はいらない」と述べたことは有名です。
   ロマン・ロランはこの二人を念頭に置いて作品に登場させています。
   コンドルセは一七九一年に革命議会に出て公教育の体系を提出する。ジロンド派が追放されたとき、彼はジロンド派と見られ、逮捕令が出され、逃げた先のかくれ家で自殺したと言われています。彼は単なる数学者ではなく、科学アカデミーの書記という仕事もしていて、社会の合理化を革命前から考えていた人物です。「黒人や女性の権利」を主張し、国家による統制に反対して自由化を推進しました。しかし、国王の存在には反対ではなかったのです。
   ところが革命では、いろいろな事件が起こり、国王がひそかに逃亡するというようなことがあり、外国との通謀も明らかになり、彼は君主政に疑問を持つようになります。一七九二年末から九三年にかけて“国王裁判”つまり逃亡をはかり、外国と通じていた国王をどう処置するかということで、国会議員の一人一人が壇上に上がり「国王は有罪」あるいは「有罪であるが執行猶予付き」「議会が国王の裁判をするわけにはいかない」とか様々な立場が表明されました。結論的には、ジャコバン派の主張した「国王を直ちに処刑せよ」ということになります。ジロンド派は国王の有罪は認めますが、執行猶予にすることを主張して敗北することになります。このときコンドルセは、死刑制度そのものへの反対を唱えます。国王だけでなく、人間を死刑にするような残酷なことは認められない。議会は先ず、死刑を廃止するということを決めて、その後国王をどうするかを裁判すべきだと主張して完全に孤立してしまう。彼の男女同権論もまったく受け入れられませんでした。
   コンドルセはジロンド派ではなかった。彼は党派に組しないことを方針としていました。しかしジロンド派とみなされることを拒否しなかった。私をジロンド派とみて追放するなら止むをえない。それには相手方にも理由があるとする態度をとります。そして逮捕令を受けることになります。
   以上のことを考えますと、ロマン・ロランがコンドルセに親近感を持ったことは理解されます。ドラマはジェロームという知識人=科学者の遭遇した苦悩、妻のソフィーとその若い恋人を助けようとして逃亡をすすめるジェローム、夫への愛に生きようとするソフィーなどのせっぱ詰まった葛藤が描かれています。知識人は政治闘争の中では勝利しない。敗北が避けられない。そういうスペクタクルです。
   『花の復活祭』(一九二六年)は対象年は一七七四年で、一番古い時期、革命十五年前の情況を扱っています。 劇では貴族が舞台に登場、貴族の兄弟が互いに財産の相続を争う。そこにジャン・ジャック・ルソーが登場します。彼はまだ生きているわけで、最晩年です。「人間はエゴイストでエゴの塊だ」とぶつぶつ呟きながらどことなく帰ってゆきます。「花の復活祭」はフランス革命劇の本論に対する序論という意味があります。
   つぎは一九二八年の『獅子座の流星群』で対象年は一八九七年です。革命は一七九九年に終わりますので最後のときです。舞台はジュラ山脈の山裾の山荘で、かっての貴族とジャコバン派で活躍していた者が、両者とも失意の気持ちで出会うという設定です。ジュラ山脈の向こうにナポレオンの軍隊がオーストリアを目指して進んでいる。フランス革命が事実上終って、貴族も、ジャコバンも何も得られなかった。残ったのは何か。ナポレオンの軍隊である。しかし、それを肯定的に書いているのではなく、貴族はナポレオンが嫌い、ジャコバンもナポレオンのクーデターに反対でした。この戯曲はその軍隊を情況的に描いているだけです。
   フランス革命の残したものは何か。貴族制度はフランス国内では打倒されたが、ヨーロッパの全域、オーストリアでもドイツでもそれは厳然と生き延びました。
   結局、フランス革命はヨーロッパでは存在する、将来も存在するであろう制度がフランスという国の中で激しく対立しただけのことでした。フランスでこの先何かがあるとすれば、それはヨーロッパでの軍事的栄光ということだということが暗示されています。この作品は、フランス革命が終ったエピローグのなかで、何が残ったかを考えた物淋しい感じを誘うものです。
   最後に『ロベスピエール』がありますが、作品として成功しているとは思いません。なぜか。この作品が書かれた一九三〇年代はフランスでは人民戦線、あるいはファシズム反対という声が強くなってきた時代です。フランス革命を研究している人の中でも、フランス革命はこれまではジロンド派、ダントンぐらいまでを評価してきました。しかし、やはりロベスピエールがいなければ、あそこまで徹底しなかった。ジャコバンの力がデモクラシーを守ったのではないか。そういう考えが出てきました。例えばダントンびいきのオーラルという代表的な学者がいましたが、その学説に反対したマティエという人はロベスピエール派で、ロベスピエールこそは現代のロシアのレーニンなどの革命派に相当するのだと説いて大きな影響をあたえました。
   これらの風潮とデモクラシーを守り人民戦線をつくるという運動が結びついて、ロランもまた『ロベスピエール』という戯曲を書いたのだと思います。
   しかし、これは冒険でした。ロランがこれまで考えてきたジロンド派とかコンドルセ、そういうところの合理主義とか科学主義、歴史の進歩観、あるいはリバラリズムを打ち倒したのがジャコバン派であり、その中心人物がロベスピエールでした。
   このロベスピエールを主人公に戯曲を書くということは非常に難しいことです。ロランは必ずしもロベスピエール賛美ではない。この作品はロベスピエールがどうして失脚することになるのか。反対派がどのように策謀をめぐらせたかに力点をおいているように見えます。ロランはロベスピエールを「革命の最大の人物」としながらも、その虚栄心や同僚への猜疑心などを没落の原因として指摘しています。結局『ロベスピエール』は明確な印象をあたえずに終っています。
   ロランのフランス革命劇のなかで多い対象年は一七九三年〜九四年で、国王が処刑されたり、ジロンド派が追放され、フランス革命をめぐる列強のイギリス、オランダ、ドイツの力関係が緊迫した時代です。『ロベスピエール』を描くことでロランは自分の生きた時代に革命劇をつなごうとする気持ちがあったのかもしれません。しかし私の印象では『愛と死の戯れ』『狼』『ダントン』などのほうが含蓄が深い、そういう感じです。                    


(京都市生涯学習総合センター所長・京都大学名誉教授)