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一、「大洋感情」とは─
ロマン・ロランが大洋感情″と言うべきものに着眼した。それがすべての宗教の本質的な部分である。あるいは、そこにきわめて近いところにある、と言った。この着眼、言い換えればロマン・ロランと海との出会いは、きわめて注目すべきことであった。今後、この出会い、この着眼をとおして数多くの宗教の世界のありよう、その根っこにあるものが解明されていくように思われる。
では、大洋感情という言葉の背後に、いったい、どういう経験、どういう思想がひろがっているのだろうか。先ず、その点を述べておきたい。
大洋とは、ロマン・ロランによればすべての川の流れ入るところだ。ロランは川の多い国に生れたという。
「わたしは川の多い国の生まれである。わたしは川を生きたもののように愛する。先祖の人々が川にぶどう酒や乳を注いでやった意味がわたしにはわかる。ところで、すべての川の中でもっとも神聖な川は、魂の奥から、玄武岩の岩間から、砂地から、氷河から湧き出る川である。そこにこそ、わたしが宗教的と呼ぶ始源的な力がある、それは芸術にも、行動にも、科学にも、宗教にも、はかり知れぬ千尋の闇を黒々と湛えるところから、やむにやまれぬ傾斜に沿うて、意識され、実現され、支配された『存在』の大洋に流れて行くこの河に共通なものである。そして、水がふたたび水蒸気となって、海から立ち昇り、天上の雲にいたり、河川の源を養うように、創造の輪は間断なくつながりつヾくのである。源から海へ、海から源へ、すべては同じ『力であり』、『存在』である。始めもなく終りもない。」
ロランのなかの大洋、あるいは海、それが何を意味しているか、これで明らかである。「源から海へ、海から源へ」とめぐりめぐるものの底に「海」を見ていたのである。そういう存在のあり方が、「大洋」だったのである。
かれは、また、「大洋」のなかに東洋と西洋との融合、あるいは協力を、いわば予感していた。「つねに平素の立場における東洋と西洋の協力であり、理性の力と直観の力の協力」、それがかれをしてインド研究へ向わせることになったのだ。見えない糸がかれを導いたのであろう。
大洋がすべての川を受け入れるということは、そこに同時に「東」と「西」の思想、「東」と「西」の宗教を融合させる何物かが、その可能性が見えたということである。ロマン・ロランは実際に、そういう試みに一歩踏み出している。キリストも、仏陀も、ラーマクリシュナも、ヴィヴューカーナンダも、同じ大洋に浮んでいる。それぞれの間に溝はない。そういう卓越した人びとの間にだけ溝がないのではなくて、それらの宗教の信者たち、一般の、普通の人びとの間にも溝がない。溝はなかったのだ。だから、手を取りあって行くのに何の不都合があろうか。
ロランはこう付け加えている。「河とともに、支流を、小さいものも、大きいものも、また大洋も─生きた神の生動する全体を抱擁するであろう」と。
その通りであろう。
「しかし、」とロランは言うのだ。「わたしはけっして立ちどまって、渚に俯いてはいない。波とともに、海まで歩みをつヾける」と。
渚に立止らないで海に歩み入る、観賞から行為がみちびかれる。さすがだと思う。
砂浜を歩いてきて、渚にたどり着いて、そこで立ちどまって渚の光景に見とれてばかりいないで、そのまゝ大洋のなかへ歩み入る。そういうのであるが、ここでは、大洋感情のひろがりとその構造をくわしく考えてみたいので、一応、そこに立ちどまることにする。渚という境界線に立って、彼の打ち寄せる海を眺め、また、陸を振り返ってみようというのである。
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