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われわれ日本人にとってみれば,ひとりの研究者の所説が時流に従って短期間にこれほど目まぐるしく変化することに奇異な感じをもたされるだろう。ここに見られる苦渋にみちた論点移動は,明らかに,「文革」→「脱文革」,という過程に照合している。中国では,政治と文学(研究)の距離が近かった,というよりも,時には両者が融合してしまっていた時期があった。文革期はまさにそのような時期であった。そういうわけで,個人は政治の社会構造の枠組の中にとりこまれたまま変化した,というよりも変化させられたのである。そのことを主体性喪失の悲劇的な情況だときめつけることはもとより容易だが,単に個人の主体性喪失を責めるだけではおさまらない,大きな力が狂暴に働いた現実も凝視しておかねばならないだろう。しかし,今はそのことを論ずるのが主目的ではないから,さらに話の本筋にもどりたい。
さて,1980年になると,成柏泉「中国における『ジャン=クリストフ』」(39)があり,文革期に禁書とされていた『ジャン=クリストフ』が再び出版されたことを喜び,その翻訳の歴史的経過を述べ,また羅大岡『ロマン・ロラン論』に対する批判を行っている。そして,たとえば,
「『鋼鉄はいかに鍛えられたか』(オストロフスキー著.主人公パーウェルコルチャーギンが不屈の闘志で自分を共産主義的に鍛えていった物語)を愛読する大衆は,必ずしも『ジャン=クリストフ』を愛読するとは限らない,その逆もまたしかりである」(巻中,四章,177頁) と羅大岡が述べるのに対して,
成柏泉は,「『鋼鉄はいかに鍛えられたか』を愛読する大衆は,必ず『ジャン=クリストフ』を愛読する,その逆もまたしかりである」(『読書』47頁)
に改めるべきだと主張する。成柏泉の提案の方が羅大岡のもとの意見よりもずっと妥当な意見だと私は思う。
羅大岡がその論点を移動させてきていることはすでに見た通りであり,ジャン=クリストフは1980年9月に再び訳者の傅雷とともに中国の読者の前に帰ってきたのである。羅大岡もまたロマン・ロランと訣別することなく,ジャン=クリストフに伴われて帰ってきたのである。そうして,1980年10月には,羅大岡は『魅せられたる魂』上巻の訳(41)を人民文学出版社から出版した。従来,中国ではまだ『魅せられたる魂』の翻訳は完成されていなかった。したがって,これは中国での初訳なのである。もっとも羅大岡『ロマン・ロラン論』附録の「ロマン・ロランについての参考書」(455頁)によると,
『魅せられたる魂』(中国訳題名は『母與子』)には,『搏闘』(『格闘』という意味)という題名のダイジェスト訳本があり,英訳本から重訳されたものであった。頁数はほぼ原著の5分の1,陳実,秋雲の共訳,広州,人間書屋,1951年初版。
という本がある。しかし,完訳としては,羅大岡の訳本が中国で最初のものである。『欣慰的霊魂』という訳題名が使われることもあるが,『魅せられたる魂』に中国語題名として『母與子』としたのは羅大岡の持説によるものらしい。
1980年12月の柳前という人の「『ジャン=クリストフ』を再読しての随想」(42)は,読者として再びジャン=クリストフにめぐり会えた喜びを,文革中の苦い経験とともに語っており,遠慮深い羅大岡への批判となっている。それに対して,1981年の『文芸報』(11期)に掲載された蒋俊という人の「評価を誤った作家論の専著『ロマン・ロラン論』は,真向からの羅大岡『ロマン・ロラン論』批判である。
蒋俊はこの論文で次のように総括している。
「『ロマン・ロラン論』の著者の,ロマン・ロランの資産階級人道主義に対する批判は,絶対化され,無限に誇大化されていて,ロランの主要な,輝やかしい面を掩いかくしてしまい,主客を?倒し,評価を誤り,世界的名声をもつ文学の巨匠を,人道主義を宣揚する資産階級個人主義者だときめつけている。このことはこのような歴史的人物を評価するにはきわめて不公平なやり方だ」と歯に衣を着せずにきめつけている。
さらに蒋俊は,羅大岡が『ジャン=クリストフ』「序文」で,まだ自己批判はしていないが,ロマン・ロランに対する見方をある程度改めた点を指摘して,「われわれは著者が思想を解放し,よりいっそう事実を正視して外国文学を研究し,この領域でより大きな貢献をするよう希望する」と述べている。
中国における悲劇的な季節の終結とともに,ロマン・ロランも暗い世界を通り抜け,文革後の中国で再び公正に位置づけられ,あるべき尊敬を受けるようになった。ロマン・ロランと中国文学の関係の中で,それは息づまる暗い季節であった。この時期を越えて,ロマン・ロランはもとどおり中国に力強く輝やかしくたしかに存在することとなった。それはまったくロマン・ロランの偉大さのせいであった。
1981年7月25日
付:
羅大岡『ロマン・ロラン論』附録の「ロマン・ロランについての参考書」の中に挙げられた中国語訳本のリストをここに訳載しておきたい。中国国内での訳本を知るのに便利な資料だからである。なお,羅氏も述べているように,なお完全ではない。
1.≪約翰・克利斯朶夫≫『ジャン=クリストフ』,1948年,駱駝書店出版。1953年,平明出版社再版。その後,人民文学出版社が平明出版社の訳本を翻刻した,全4冊,傅雷訳。(注:これは羅氏の誤りであり,53年の平明出版社版は傅雷の新訳本であること,成柏泉の論文(39)に指摘されている。)
2.≪母與子≫『魅せられたる魂』,には≪搏闘≫という題名のダイジェスト訳本があり,英訳本から重訳されたもので,ページ数は原著のほぼ5分の1,陳実・秋雲の共訳,広州,人間書屋,1951年初版。
3.≪現代音楽家評伝≫『今日の音楽家たち』(?),白樺訳,上海,群益出版社,1950年版。
4.≪愛與死的搏闘≫『愛と死との戯れ』,李健吾訳,上海,文化生活,1950年出版。
5.≪狼群≫『狼』,沈起予訳,三聯書店,1950年出版。
6.≪韓徳爾伝≫『ヘンデル』,厳文蔚訳,新音楽出版社,1954年版。1963年北京第二次印刷,中国語訳名は≪亨徳爾伝≫。
7.≪七月十四日≫『七月十四日』,斉放訳,作家出版社,1954年出版。
8.≪羅曼・羅蘭革命劇選≫『フランス革命劇選』,斉放訳,人民文学出版社,1958年出版。
9.≪哥拉・布勒尼翁≫『コラ・ブルニヨン』,許淵冲訳,人民文学出版社,1958年出版。
10.≪羅曼・羅蘭文鈔≫『ロマン・ロラン文抄』,孫梁訳,上海,新文芸出版社,1957年出版。
11.≪羅曼・羅蘭文鈔続編≫『ロマン・ロラン文抄続編』,孫梁訳,上海,新文芸出版社,1958年出版。
12.≪愛与死≫『愛と死との戯れ』,夢茵訳,上海泰東書局,1928年出版。
13.≪七月十四日≫『七月十四日』,賀之才訳,商務印書館,1934年出版。
14.≪聖路易≫『聖王ルイ』,賀之才訳,世界書局,1944年出版。
15.≪理智的勝利≫『理性の勝利』,賀之才訳,世界書局,1947年出版。
16.≪李柳麗≫『リリュリ』,賀之才訳,世界書局,1947年出版。
17.≪哀爾帝≫『アエルト』,賀之才訳,世界書局,1947年版。
18.≪丹東≫『ダントン』賀之才訳,世界書局,1947年版。
19.≪群狼≫『狼』,賀之才訳,世界書局,1947年版。
20.≪愛与死之賭≫『愛と死との戯れ』,賀之才訳,世界書局,1944年出版。
21.≪托爾斯泰伝≫『トルストイの生涯』,傅雷訳,商務印書館,1947年出版。1950年第6版。
22.≪貝多芬伝≫『ベートーヴェンの生涯』,傅雷訳,商務印書館,1947年出版。
23.≪弥蓋朗h羅伝≫『ミケランジェロの生涯』,傅雷訳,商務印書館,1947年出版。1950年第3版。
24.≪甘地奮闘史≫『マハトマ・ガンジー』,謝済沢訳,上海,卿雲図書公司,1930年出版。
25.≪甘地奮闘史≫『マハトマ・ガンジー』,米星如,謝頌羔編訳,上海,国光書店,1947年出版。
26.≪甘地≫『マハトマ・ガンジー』,陳作梁訳,商務印書館。
27.≪弥菜伝≫『ミレー』,五四時期からしばらくして,北京に『駱駝草』という題名の不定期刊行物があり,『ミレー』のいくつかの部分の中国語訳を登載したが,完全ではなく,単行本にもならなかった。
28.新中国成立以来,『世界文学』等の刊行物に,少しばかりロマン・ロランの著作の訳が発表されたことがある。たとえば,1961年4期には,『過去への訣別』が載せられた。これらについては,それぞれの調査をまだしていない。
ロマン・ロランに関する資料(中国)年譜(U)
(相浦)
1980・8・20
1.1921.5.15
雁冰<羅曼羅蘭的宗教観>(≪少年中国≫第2巻11期)〔≪中国新文学大系≫(10)史料索引,≪五四時期書刊紹≫第1集,≪茅盾評論集≫第5集,孫仲田≪茅盾著譯年表≫(吉林師大学報1978・1)などによる〕
2.1924.7.17
ロマン・ロランの敬隠漁への返書(≪小説月報≫16巻1期 1925・1・10所載)〔<羅曼羅蘭給敬隠漁書>手蹟,敬隠漁譯文〕
3.1926.1.24
敬隠漁(在リヨン)の魯迅への第一信(<阿Q正伝>の翻訳の件およびロマン・ロランのことについてふれている。魯迅はこの手紙を1927年2月20日に受取った)
4.1926.3.2
全飛・栢生<羅曼羅蘭評魯迅>(≪京報副刊≫1926・3・2)〔≪洪水≫2巻5期,敬隠漁<読了「羅曼羅蘭評魯迅」以後>の編者後記による〕
5.1926.5.?
敬隠漁<読了「羅曼羅蘭評魯迅」以後>〔≪洪水≫2巻5期〕
6.1926.5.15
敬隠漁訳<阿Q正伝>前半(第1章〜5章)〔ロマン・ロラン主編≪Europe≫41期に掲載,“La
Vie de Ah Qui”,ただし,原作の序文を省いているので,原作の第2章〜6章の訳,魯迅の名を誤ってLou−Tunにつづる。訳の前に魯迅および<阿Q正伝を紹介した短い前文を付す〕
7.1926.6.15
敬隠漁訳<阿Q正伝>(“Europe”42期)〔<阿Q正伝>訳の資料は戈宝権「談≪阿Q正伝≫的法文譯本──魯迅作品外文譯本書話之三」(≪南開大学学報≫1977年6期)による〕
8.1926.7.1
魯迅≪Europe≫(たぶん5月号)を受取る
9.1927.10.
R.M.Barlette<中国革命の思想界の指導者たち>(“Current History”)〔この中でロマン・ロランの<阿Q正伝>評を紹介している。前記戈宝権論文による〕
10.1933.11.5
魯迅のY・K(姚克)への手紙〔「法文本是敬隠漁譯(四川人,不知如何?法)」,≪魯迅書信集≫および戈論文による〕
11.1933.12.19
魯迅の姚克への手紙〔「但是,羅蘭的評語,我想將永遠找不到。据譯者敬隠漁説,那是──封信,他便寄給創造社──他久在法国,不知道這社是很討厭我的──請他們發表,而從此就永無下落。這事已経太久,旡可査考,我以為索性不必捜尋了」≪魯迅書信集≫による〕(年譜T(27)に12・11とするは誤りにつき訂正)
12.1935.1.
エドガー・スノウ「魯迅──口語文の大家」〔≪魯迅──白話文的大師≫,≪アジア≫所載,前記の戈論文による〕
13.1936.4.15
黄源<羅曼羅蘭七十誕辰>〔≪作家≫第1巻1号(1936年4月15日出版)〕
14.1936.
≪譯文≫羅曼羅蘭七十誕辰紀念
<法蘭西與羅曼羅蘭的新遇合>(布洛克作)黎烈文譯
<・恩克里士多夫論>(亜蘭作)陳占元譯
<貝多芬筆談>(羅蘭作)世彌
<向高爾基致敬>(羅蘭作)陳占元譯
<論個人主義與人道主義>(羅蘭作)陳占元譯
〔第一巻第二期の≪詩文≫所載.──これは上記≪作家≫第1巻第1期(上海雑誌無限公司19 36・4・15)の広告にもとづいてとりあげた〕
15.1936.6.1
ロマン・ロラン<70年の回顧>の中国語訳〔荻譯<羅曼羅蘭七十年的回顧>(≪西北風≫半月刊,第3期,1936年6月1日出版,漢口華中図書公司発行)〕
16.1936.6.17
梁宗岱<憶羅曼羅蘭>(≪大公報≫1936年6月17日「文藝」欄164期)
17.1936.10.24
王釣初<魯迅先生逝世哀感(パリ≪救国時報≫)〔“前些年当≪阿Q正伝≫譯成了法文出版時,法国当代文豪羅曼羅蘭讀了曾為之下泪,並有好評発表在≪世界≫雑誌上”──(32)戈論文p49による〕
18.1941.1.10
羅曼羅蘭,蕭伯納,高爾基,巴比賽等作<関于列寧>(≪文芸陣地≫第6巻1期,1941年1月10日,<列寧逝世紀念特輯>)〔≪中国現代文芸資料叢刊≫第1輯所収の<文芸陣地総目による〕
19.1945.6.12
懐悼羅曼・羅蘭(特集)〔≪抗戦文藝≫10巻第2・3期合刊所載──≪中国現代文藝資料叢刊≫第1輯(上海文藝出版社,1962)の総目録による〕
羅曼・羅蘭像(木刻)余所亜
<悼念羅曼・羅蘭>(悼辞) 中華全国文藝界抗敵協会
永恒的紀念与景仰 茅盾
大勇者的精神 蕭軍
羅曼・羅蘭 法・阿拉貢作 焦菊隠譯
従人道主義到反法西斯 焦菊隠
敬悼羅曼・羅蘭 孫源
羅曼・羅蘭年譜簡編 冷火
20.1947.8.30
郭沫若<一封信的問題>〔(32)戈論文p49〕
21.1948.9.
力夫<羅曼・羅蘭的「搏闘」──從個人主義到集体主義的道路>(≪大衆文芸叢刊≫香港・生活書店)〔この資料は,あるいは≪羅曼・羅蘭文鈔≫(1957年5月,孫梁訳)の訳者序文である<関于羅曼・羅蘭──代序>の\頁注(2)“以上引句見“從個人主義到集体主的道路”邵?麟為<搏闘>所作序言,人間書屋版”とあるものと同一のものかもしれない。もしそうであれば作者の力夫はすなわち邵?麟ということになり,またこの資料は1948年9月より早く人間書屋版で出ていたことになるかもしれない〕
22.1955.1.
羅曼・羅蘭像(木刻)(封面)黄永玉作
高爾基和羅曼・羅蘭在高爾克村別墅的花園中散歩(1935年7月)
羅曼・羅蘭夫婦在高爾克村與高爾基合影(1935年7月)
羅曼・羅蘭畫像(法国 格拉尼埃作)
≪以上四項は≪譯文≫1955年1月号の挿絵)
馬克辛・高爾基<論羅曼・羅蘭>戈宝権訳
羅曼・羅蘭<我走向革命的道路>戈宝権訳
羅曼・羅蘭<我為誰写作>陳西禾訳
羅曼・羅蘭<鼠籠>陳西禾訳
瑪麗・羅曼・羅蘭<羅曼・羅蘭和一個青年戦士>陳西禾訳
(以上五項は≪譯文≫1955年1月号所載)
<紀念羅曼・羅蘭>戈宝権・陳西禾(≪譯文≫1955年1月号の<後記>としてかかれている)
23.1955.7.
ロマン・ロラン『戦時日記』についてのソ連の情況の紹介(『蘇聯「新世界」和「星火」雑誌発表羅曼・羅蘭的「戦時日記」』王復加)〔≪訳文≫1955年7月号<文芸動態>より〕
24.1955.8.
黄秋云<掲穿胡風反革命集団対羅曼羅蘭的歪曲>〔≪訳文≫55年8月号〕
25.1955.11.
羅曼・羅蘭<真正人民的革命>
@.「向自由的和帯来了自由的俄羅斯致敬」(1917年5月1日)蘇牧訳 A.「戦時日記」(1917年春・夏・秋部分の断片)盛澄華訳
〔これらは≪訳文≫1955年11月号──≪偉大的十月社会主義革命三十八周年紀年≫特集として 訳載されたものであり,≪訳文≫<後記>にもロランにふれているところがある〕
26.1957.1.
孫梁<関于羅曼・羅蘭──代序>(≪羅曼・羅蘭文鈔≫の序文としてかかれた)〔この序文で,作者は,「ロマン・ロランは徹底的に研究するにあたいする。なぜならロランは近代西欧インテリゲンチャの典型的代表のひとりであり,その歩んだ道は大多数の過渡期の正義感に富んだインテリの曲折の歴程であるからだ」と主張する。なおこの序文から「ロマン・ロラン文鈔」の訳は1953年夏に開始され,1954年に完稿,ロラン逝世10周年を記念にしたものであったことがわかる
27.1957.5.
孫梁訳≪羅曼・羅蘭文鈔≫(上海,新文芸出版社,1957年5月,全250頁)
28.1957.10.
孫梁<前言>(≪羅曼羅蘭文鈔続編≫の「まえがき」としてかかれた)〔この「まえがき」によって,孫梁には,このときやがて華東師範大学学報に発表されるはずの<論羅曼・羅蘭思想与芸術的源流>という論文があることがわかる。未見〕
29.1958.3.
孫梁訳≪羅曼・羅蘭文鈔続編≫(上海,新文芸出版社,1958年3月,全250頁)
30.1961.
葉靈鳳<敬隠漁与羅曼羅蘭的一封信>(香港,1961年出版≪新雨集≫所載)〔戈宝権の論文(南開大学学報,1977年6期)のp.49による〕
31.1976.4.20
敬隠漁とともにリヨンへ留学したことのある林如稷からの戈宝権への返書〔戈宝権論文p.50による〕
32.1977.
戈宝権<談≪阿Q正伝≫的法文訳本──魯迅作品外文訳本書話之三>(≪南開大学学報≫1977年第6期所載)〔「ユニテ」(3期8号,日本・ロマン・ロマンの友の会編,ロマン・ロラン研究所発行)に相浦杲による日本語訳あり〕
33.1978.10.15
『ジャン=クリストフ』がはじめてフランスのテレビに上映されたというニュース(『世界文学』1978年1期)
34.1978.11.
臧楽安・範信龍・井勒?訳≪高爾基,羅曼・羅蘭通信選≫(『文芸論叢』5,上海文芸出版社,1978年11月)〔ゴーリキーとロマン・ロランの書簡,1923年,1933年,1934年のものについての翻訳〕
35.1979.5.
羅新璋≪読傅雷訳品随感≫(≪文芸報≫1979年5期)
36.1979.2.
羅大岡≪論羅曼・羅蘭≫(新文芸出版社)
37.1979.9.
羅大岡≪羅曼・羅蘭与資産階級人道主義≫(≪外国文学研究集刊≫第1輯,中国社会科学院外国文学研究所編,中国社会科学出版社,1979年3月の前文,9月出版)〔この論文は「外国現当代資産階級文学評価問題の討論」の中のひとつとして書かれたもの。この討論会は1978年後半期に行われた〕
38.1980.7.6
劉靖之<羅曼・羅蘭的≪貝多芬伝≫>(『明報』15巻8期,香港,1980年8月号)
39,1980.8.10
成柏泉<≪約翰・克利斯朶夫≫在中国>(『読書』1980年8期)
40.1980.9.
傅雷訳≪約翰・克利斯朶夫≫4巻〔≪外国文学名著叢書≫の一つとして,人民文学出版社から文革後に発刊された。羅大岡の「序文」〕
41.1980.10.
羅大岡訳≪母與子≫(上),人民文学出版社刊〔『魅せられたる魂』の訳で,中国では初訳〕
42.1980.12.10
柳前<重読≪約翰・克利斯朶夫≫的随想>(『読書』1980年12期)
43.1981.3.
崔宗?訳,羅曼・羅蘭<克洛代爾談象徴派両大師>(『文芸理論研究』81年1期〔クローデルが象徴派の2大詩人,ヴィリエ・ド・リラダンとマラルメについて語ったのをロマン・ロランが記したもの〕
44.1981.4.10
艾a<奔向光明的激流(読羅曼・羅蘭的≪母與子≫)(『読書』1981年4期)〔ロマン・ロランの『魅せられたる魂』についての紹介の文章〕
45.1981.6.7
蒋俊<一部褒貶失当的作家評論専著(評≪論羅曼・羅蘭≫)(『文芸報』1981年11期)〔羅大岡著『ロマン・ロラン論』への批判〕
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