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ロマン・ロラン,あなたはわたし宛てに公開状を出された。そこには(ロシア,イギリス,フランスによって強いられた)この戦争についての心痛──ヨーロッパ文化がさらされている危険,古き芸術が生んだ聖なる記念物の破滅についての心痛が滲んでいる。世人のこの心痛はわたしも共にする。しかし,あなたが頭の中ですでにわたしに書かせようと考えた返事,ヨーロッパのすべての人間が期待しているとあなたが不当にも主張する返事を書くことは承諾できない。
わたしはあなたがドイツの血筋であることを知っている。あなたの見事な『ジャン・クリストフ』はわれわれドイツ人の間で『ヴィルヘルム・マイスター』および『緑のハインリヒ』1)と共にいつまでも生きつづけるだろう。フランスはあなたがのちに選んだ祖国だ。だから今あなたの心は引き裂かれざるをえない。これまであなたはこの二つの民族の和解のために熱心に働いた。それにも拘らずあなたは,血みどろの亀裂が──多くの構想と共に──あなたの美しい平和の構想をも無にしてしまった今,われわれの国と民族とをフランス人の目でながめている。この目をドイツ人の目,はっきり見える目にする努力はいずれも徒労に終わるだろう。それはまったく確実なことだ。
あなたがわれわれの政府,われわれの軍隊,われわれの民族について言うことは,むろん,すべて見当ちがいであり,すべて根底から誤っている。あまりにも誤っているため,この点では,あなたの公開状はわたしには一つの無地の真黒い面のように思える。
戦争は戦争だ。あなたが戦争について嘆くのはよい。しかしこの始 源 的な出来事とは不可分の事柄について驚くのは別だ。もとより戦闘の混乱のうちに掛け替えのないルーベンスが破壊されるのは困ったことだ。しかしわたしはといえば──ルーベンスには失礼ながら──兄弟であるひとりの人間の撃ち抜かれた胸にたいし,はるかに深い苦痛をおぼえる者である。そしてロラン,あなたの同胞であるフランス人がシュロの枝2)
をかざしてわれわれに向かって来るような口振りは許されない。じっさい彼らは大砲と散弾で,いやそればかりかダムダム弾で十分に装備されているのだ。
たしかにあなたにとって,われわれの勇猛な軍隊が恐ろしくなったのだ!このことは,その大義名分によって不敗を誇る軍隊には栄誉となる。しかしドイツ兵士は,あなたのフランスの嘘つき新聞が躍起になって拡げようとしている,あの厭わしい馬鹿げた残酷物語とはいささかの関係もない。この嘘つき新聞にこそフランス民族とベルギー民族の不幸の原因があるのだ。
ひとりの無為のイギリス人がわれわれを「フン族」と呼ぶのはよい。あなたがわれわれの素晴らしい国防軍の戦士たちを「アッティラの息子たち」と呼ぶのもよい。われわれにとっては,この国防軍が無慈悲なわれわれの敵たちの輪を粉砕してくれれば十分だ。あなたはわれわれのドイツの名前が葬られた墓の上に,ゲーテのいとしい孫たちに捧げると称して,感傷的な碑文を置くよりは,われわれをアッティラの息子と呼び,われわれの頭上に三たび十字を切り,われわれの国境のかなたに居るほうがずっとよい。「フン族」という語は,みずからフン族である連中によって造られた。つまり,健全で有能この上ない一民族の生命を狙う犯罪的な企らみに失敗した連中によって造られた。この民族は恐ろしい一撃にたいして,もっと恐ろしい受け止め方のあることを示してみせたのである。そして無力へと追いつめられた者は他人にたいする罵倒へと走るものだ。
わたしはベルギーの民族を非難することはしない。ドイツ軍の平穏な通過(それはドイツにとって死活問題だった)は.べルギーの政府がイギリスとフランスのかいらいとなったために承認されなかった。この同じ政府はその後,最前哨を支援するために類をみないゲリラ戦を組織し,それによって戦争遂行の──ロラン,あなたは音楽家だ!──恐ろしい調子を決定した。もしあなたが.ドイツを傷つけるための嘘言の巨大な壁をくぐり抜ける可能性を得たいと思うなら,9月7日付けで帝国宰相がアメリカに送った報告を,そしてさらに9月8日,皇帝みずからウィルソン大統領に打った電報を読まれるがよい。あなたはルーヴァンの不幸3)
を理解するのに知っておかなくてはならない事柄をそこで教えられるだろう。
訳 注
1)スイスの文豪ゴットフリート・ケラー(1819−90)の代表作。いわゆる「教養小説」の系譜に属する。
2)シュロの枝は平和を象徴する。
3)ベルギーの古都ルーヴァンの破壊については,ロランは「公開状」のほかにも『戦いを越
えて』の中で何回か触れている。
嘘言を駁す
われわれはすぐれて平和的な民族である。パリの浅薄な雑文家ベルグソンにはわれわれを「蛮族」と呼ばせておこう1) 偉大な詩人かつ盲目的なフランス心酔者メーテルリンク2)
がこの「蛮族」に類するような肩書をわれわれに付けるのもよいだろう──以前には彼はわれわれを「ヨーロッパの良心」と呼んだのであるが。世界はわれわれが古い文化民族であることを知っている。
「世界市民」の理念がドイツほど深く根を下ろした国はない。われわれの翻訳文化をよく見たうえで,ドイツ民族ほど異民族の精神と特質を正しく評価し,その魂を愛情こめて深く理解しようと努める民族をほかに挙げてみるがよい。メーテルリンクもわれわれの国で名声と富とを獲得したのである。もちろんベルグソンのようなサロン用のえせ哲学者にとっては,カントやショーペンハウアーの国で占めるべき場はない。
はっきり言っておこう──われわれはフランスにたいし憎しみをもたないし.またもったこともない,と。
この国の美術──彫刻と絵画,この国の文学をわれわれは礼賛してきた。ロダンにたいする世界的評価はまずドイツで培われた。われわれはアナトール・フランスを尊敬する。モーパッサン,フローベール,バルザックはわが国ではドイツの文学者と変わらぬ影響力をもっている。われわれは南フランス〔プロヴァンス〕の民族性に深い愛着をおぼえる。ミストラル3)
の熱烈な崇拝者はドイツの小都市にも,露地にも,屋根裏部屋にも見出される。ドイツとフランスが政治的には友人でありえなかったのは痛恨の極みである。両国はそうでなければならなかったのだ──ヨーロッパ大陸の精神財を管理する者であり,ヨーロッパの精髄をなす二つの偉大な文化民族であるからには。ただ運命はそれを欲しなかった。
1971年にドイツの諸侯はドイツ統一とドイツ帝国を克ちとった。この成功によりドイツ民族には40年以上の平和な時期が恵まれることになった。それは比類のない,発芽・生長・成熟・開花・結実の時代である。人口がますます増加する中でますます多くの個人が形成された。そして個人の実行力と国民全体の活力はわが国の工業,商業,交通の偉大な成果を生むにいたった。わたしは思わない──アメリカの,イギリスの,フランスの,或はイタリアの旅行者がドイツの家庭で.ドイツの都市で,ドイツのホテルで,ドイツの船で,ドイツの音楽会で,ドイツの劇場で,バイロイトで,ドイツの図書館で,ドイツの美術館で蛮族の間にいるような気がしたとは。われわれは他の国々を訪れ,他の国々のすべての客に門戸を開いておいた。
たしかに,われわれの地理的位置──東から西から脅かす強国は,われわれに国家の安全について配慮することを余儀なくさせた。こうしてわが国の軍隊が編成され,艦船が建造された。この形成作業にはドイツ民族のすぐれた労働能力と発明の才がおびただしく投入された。それが絶対に必要であったことをわれわれは今,かって知っていたより一そうよく知っている。しかし皇帝ウィルヘルムニ世,帝国大元帥はいとも誠実に平和を愛し,平和を保ってきた。われわれの統制ある軍隊は防衛のためにのみ役立つはずであった。われわれは危険なもろもろの攻撃にたいして武装を望んだのである。くり返していうが,ドイツ民族,ドイツ諸侯,その首長ウィルヘルムニ世は,陸海軍によって帝国という密房──そこでの勤勉で多様な平和のいとなみを確保すること以外に何の考えももたなかった。わたしの深い確信を次のように表現しても不遜にはならない。すなわち,祝福された治世をあくまで平和な治世として閉じることこそ,皇帝がいだきつづけた念願であった,と。事がそうならなかった責任は,彼にあるのでもなく,われわれにあるのでもない。
われわれが遂行している戦争,われわれに押しつけられた戦争は防衛のための戦争である。これを否定しようとする者は無理をせざるをえないだろう。東部の,北部の,西部の国境の敵をみるがよい。オーストリアとわれわれの同族的な友好関係は両国にとって自己保存を意味する。われわれが武器を執ることを余儀なくされた次第──それは,眩惑ではなく洞察を重んじる者なら誰しも,わが皇帝とロシア皇帝との,またイギリス国王との間に交わされた電報から読み取るがよい。──もとより,ひとたび武器を執ったからには.われわれの聖なる権利を神と人間の前に証しするまでは,われわれが武器を置くことはない。
しかしこの戦争を企らんだのは誰なのか?
その上,蒙古人──これら日本人までもけしかけて,われわれの踵を噛むような卑劣な真似をさせたのは誰なのか?4) いずれにせよそれは,コザック騎兵の群れに取りまかれていながら,ヨーロッパ文化のために戦うと称する,われわれの敵たちだ。わたしにとっては,「イギリス」という語を口にするのは苦痛というほかない。わたしはイギリスの大学オクスフォードから名誉博士の学位を授与された野蛮人のひとりである。イギリスには,わたしの友人で片足をドイツの精神的領土に据えている者がいくらもいる。イギリスのかっての陸軍大臣ホールデーン5)
は,そして彼と共に無数のイギリス人は,あの小さな野蛮な町ワイマール──野蛮人ゲーテ,シラー,ヘルダー,ヴィーラントたちが世界の人道主義のために活動したあのワイマールに定期的に詣でたのだ。その戯曲が──他のいかなるドイツ詩人の戯曲にもまして──わが国民の共有財となったドイツ詩人がいる。その名はシェイクスピア。6)
しかしこのシェイクスピアは同時にイギリスの詩人たちの頭である。われわれの皇帝の母后はイギリス人であるし,イギリス国王の妃はドイツ人である。しかし種族的に,資質的にわれわれに近しいこの国民がわれわれに宣戦布告を届けてきた。なぜか?
それは神のみぞ知ることである。ただ確かに言えるのは,世界を舞台にして開かれた目下の血なまぐさい演奏会では,イギリスの或る政治家が興業主であり,指揮者であることだ。もとより,この恐ろしい音楽のフィナーレでなおも同じ指揮者がタクトを振っているかどうかは疑わしい。「従兄弟よ,お前の手先どもが恐ろしい松明をわれわれの小屋に投げ込んだ時,お前の考えたことはお前自身にとっても,われわれにとっても禍いだった。」
わたしがこの言葉を書いているうちに日食の日がすんだ。わが軍はメッツとフォゲーゼン山脈の間で八つのフランス軍団を撃破した。彼らは潰走している。ドイツ人として国内に暮している者は感じた──こうなるべきだった.こうならざるをえなかった,と。われわれの胸は鉄の輪で締めつけられたのだ。われわれには分かっていた──この胸は脹らんでその鉄の輪を砕くか,それとも呼吸するのを止めなければならなかった。しかしドイツは呼吸するのを止めない。それで鉄の輪が砕け散った。
もし神の意志によって,われわれがこの非常な試練のるつぼから新たな存在となって現われるなら,われわれはこの新生にふさわしくあるという聖なる責務を果たさねばならないだろう。ドイツの軍事力の全面勝利によってヨーロッパの自主性は確保されるだろう。大切なのはヨーロッパ大陸の諸民族に理解させることだ──の世界大戦が彼らの間では最後のものにならねばならぬということを。いまや彼らは悟らねばならない──彼らの血なまぐさい決闘から恥ずべき利益を得るのは,みずから戦うことなく,この決闘を企らむ者だけであることを。そしてヨーロッパ大陸の諸民族は,相互の誤解をもはや不可能にするような,文化に徹した,平和の共同作業に専念しなければならない。この点では戦前にもすでに多くのことがなされた。諸国民は平和的な競技に集まった。そしていつかはベルリンでのオリンピック7)
競技に集まるのだ。わたしは今でも飛行機の,自動車の,人間の競争を思い起こす。芸術面と経済面での国際的な活動を,偉大な国際的な賞の設定を思い起こす。蛮族の国ドイツは,人も知るとおり,社会福祉の大規模な制度という点では他民族に先んじた。勝利の暁には,われわれの義務として,この道をあくまでも前進し,このような福祉の恩恵を他民族にも拡めなければならないだろう。さらにわれわれの勝利は,ゲルマン諸民族にたいし,彼らの存続が世界の祝福になることを保証するだろう。この数十年間には,かつてなく,たとえばスカンジナヴィアの精神生活がドイツのそれに,逆にドイツの精神生活がスカンジナヴィアのそれに有益な効果をもたらした。この期間にどれほど多くのスウェーデン人,ノルウェー人,デンマーク人が,いささかの血の相違も感じることなく,ストックホルム,クリスティアニア,コペンハーゲン,ミュンヘン,ウィーン,ベルリンでドイツ人の兄弟たちと握手したことだろう。いまではイプセン,ビョルンソン,ストリンドベルク〔ストリンドベリー〕といった偉大で高貴な名前に限らず,なおどれほど多くの名前がわれわれに同郷の親しみをはっきり感じさせることか。
聞くところによれば,外国ではわれわれの名誉,文化,能力を中傷するおとぎ話がおびただしく造られているという。これらおとぎ話を造る者たちは,いまの激烈な時代がおとぎ話の詩人には不向きであることを考えてみるがよい。血によってこのことを証しする者たちが三方の国境にいる。わたし自身,息子をふたり送り出した。恐れを知らぬこれらドイツの戦士は,何のために出征したかを十分に心得ている。そこには文盲の者はひとりとしていないだろう。それだけ一そう多くの者は,銃を握っているほかに,背のうの中にはゲーテの『ファウスト』を,『ツアラトゥストラ』を,ショーペンハウアーの著作を,聖書もしくはホメロスを入れている。そして背のうに書物を入れていない者もまた知っている──すべての客人に安全な場を与えるかまどのために自分たちが戦っていることを8)。今日でもドイツでは,フランス人,イギリス人,或はロシア人にはいささかの危害も加えられていない。ましてや,感傷的なメーテルリンク氏の国で無抵抗な犠牲者たち,そこに定住した素朴なドイツ市民とその妻たちに行なわれているような,いとも無残な,呪うべき,無用の,残忍な暗殺が行なわれることはない。わたしはメーテルリンク氏にとくに保証しておこう──文化国民のこのような所業をみて,これを真似る気など起こす者はドイツにはひとりとしていないことを。われわれは今後もむしろドイツの蛮族でありたいし,そうあるだろう。われわれドイツの蛮族にとっては,信頼の念をもってわれわれのもてなしを享受している敵国の婦女子は神聖なのだ。わたしは彼に保証してよい──フランス語をしゃべるベルギー人たちがいま見せている「すぐれた礼節」を十二分に顧慮するにしても,ベルギーの婦女子をドイツにおいて卑怯にも拷問にかけて殺害することには,けっしてわれわれは同意しないことを。すでに述べたとおり,国境には血をもってこのことを証しする同胞がいる──社会主義者とブルジョワ,農民と学者,公子と労働者が相ならんで。彼らはドイツの自由,ドイツの家庭生活,ドイツの芸術,ドイツの学問,ドイツの進歩のために戦っている。全き明瞭な意識をもって,国民の高貴でゆたかな財産のために──精神的な,そしてまた物質的な財貨のために戦っている。全人類の進歩と上昇に役立つ財貨のために。
訳 注
1)1914年8月8日,ベルグソンはパリのアカデミー会長として,ドイツを非難する講演 を行なった。9月15日に発表されたロランの論文「戦いを超えて」をも参照。
2)Maurice Maeterlink(1862−1949)。わが国では『青い鳥』で知られている,ベルギー出身 の作家。3)Frederic
Mistral(1830−1914)。プロヴァンスに生まれ,プロヴァンスで活動した詩人。
中世この地方で栄えた言語と詩の復興に尽くし,この地方の民族意識の高揚に努めた。
4)日本はイギリスの同盟国として8月23日に参戦した。
5)Richard Burdon Haldane(1856−1928)。イギリスの自由主義的な政治家。1905年から 12年まで陸軍大臣。ドイツ文化のよき理解者として知られ,ドイツとイギリスの建艦競争 の調停にあたったが失敗。
6)17世紀いらいドイツにおけるシェイクスピア受容の歴史は長く,ことにロマン派のシュ レーゲル兄弟による訳業によって,シェイクスピアは一般にドイツの詩人として意識されて いる。
7)ベルリンでのオリンピック競技が実現したのは,1936年,ヒットラー政権の下である。
8)ローマ人にとっては,祭壇(ara)とかまど(focus)は,それぞれ寺院と家庭の神聖性を象 徴するものであった。ここから「祭壇とかまどのために(proaris et focis)戦う」という 表現が生まれた。ロラン自身,同年10月に"Pro
aris"と題する一文を草している。(論文 集『戦いを超えて』に所収)。
訳者あとがき
1914年8月はじめに始まった大戦は,たちまちヨーロッパ大陸からアジアにまで拡がった。当時スイスにいたロランは,同月29日,ゲルハルト・ハウプトマンに宛てた書簡をジュネーヴの新聞紙上に発表する(論文集『戦いを超えて』に所収)。劇作家ハウプトマン(1862−1946)は当時ドイツを代表する知識人であるばかりでなく,ロランと時代を同じくする,ヨーロッパ文化の「もっとも優秀なチャンピオンのひとり」であった。このロランの公開状にたいするハウプトマンの回答──それが9月10日,ベルリンのフォス紙(Vossische
Zeitung)に掲載された「ロマン・ロラン氏に答える」(Antwort an Herrn Romain
Rolland)である。なおハウプトマンはこの公開状を受ける直前,8月26日付けのベルリン日報(Berliner
Tageblatt)にやや長い「嘘言を駁す」(Gegen die Unwahrheit)と題する一文を発表しているので.ふたりの立場の比較のために併せてここに訳出した。テキストはいずれもプロピュレーン版の「全集」第]T巻(1974)に収録されたものによる。
南大路 振 一
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