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第307回 <読書会>例会資料
『魅せられたる魂』第四ー予告するものー
第2部「草原のアンネット」のなかの音楽 セザール・フランクの「至福」を聴く。
2013年1月26日(土)午後2時―4時 報告者 清原章夫
1.セザール・フランク[ベルギー→仏](1822~1890)
1822年、ネーデルラント連合王国(現ベルギー)のリエージュで生まれる。1835年、家族とともにパリに移り、以後パリを中心に活躍したので、音楽史ではフランス音楽に位置づけられる。リエージュ音楽院に学んだのち、フランスに帰化してパリ音楽院で学び、1858年より終生パリのサンクト・クロティルド教会のオルガニストを務めた。1872年よりパリ音楽院のオルガン教授として、ダンディ、ショーソンらを育成、彼の音楽に傾倒する、いわゆるフランク党が形成された。1971年の国民音楽協会の結成に参画、大バッハをはじめとするドイツ音楽の影響を受けて、深い精神性のあるフランス音楽を創造したが、その作品の真価が認められたのは1880年代になってからである。
主要作品 交響曲 ニ短調、交響詩『のろわれた狩人』、ピアノ五重奏曲ヘ短調、ヴァイオリン・ソナタ イ長調、オラトリオ『至福』等。(オラトリオ 聖譚曲。宗教的な性格を持った長い歌詞による楽曲。独唱、合唱、管弦楽を用い、劇場や教会で演奏される。ヘンデル『メサイア』等。)
『クラシック音楽作品名辞典』三省堂
2.ロランとフランク
ロランは、エコール・ノルマルの学生だった1887年1月30日に、フランクの指揮で『至福』のプロローグ、第三曲、第八曲を聴き、夢中になった。 また、1888年3月28日にフランクを訪ね、短い会話をした。
3.『至福』
おそらくフランク最大の宗教作品は、9部からなるオラトリオ『至福』(別名『八つの幸い』)であろう。彼の学生にして友でもあったヴァンサン・ダンディは、こう語ってくれる。「生涯すべてを通し、フランクは福音書のあの美しい『山上の説教』(マタイ5・3-10)による音楽作品を書きたいと願っていた。」彼は1869年から1879年までの十年間をこの作品の総譜に携わって過ごした(初演1893三年パリ)。その美しさは、一度聴いただけでも明らかである。フランクがキリストの言葉を伝える劇的な方法は、ある伝記作家にこう言わせたほどだ。「『至福』の中でフランクは、世の中が選びとって欲しいと願う福音を説いた。」
しかし世の中は全般的に彼の教義を選ばず、その音楽を直ちに受け入れもしなかったが、フランクはほぼ死の当日まで作曲を続けた。間違いなく、彼は作曲を主の前での義務と考え、それは聖クロティルド教会でオルガン奏者として果たす毎週の務めと同じであった。オルガン樂楼(ロフト)の中で、即興演奏の途中で手を休めひざまずいて静かに祈る彼の姿を、ほとんど誰もが目撃できたのである。
『大作曲家の信仰と音楽』P・カヴァーノ著 吉田幸弘訳 教文館
4.『至福』の構成
テキストは、新約聖書『マタイ福音書』をもとに、フランクの友人の妻、J・コロン夫人が書いた。演奏時間、約2時間。
全体は、プロローグと8部からなり、各曲のタイトルは以下に示すように、「山上の説教」のイエスの言葉である。『新共同訳』
1部 「心の貧しい人は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」
2部 「柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。」
3部 「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる
4部 「義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。
5部 「憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。」
6部 「心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。」
7部 「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」
8部 「義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
マルクが泣きだしたのは、第三部のコーラスを聴いていた時である。
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