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第271回 ロマン・ロラン読書会 例会
2008.9.27(土)
発表者 中 西 明 朗
テーマ 『コラ・ブルニョン』 (第4回)
4月の読書会で『コラ・ブルニョン』がテーマとなって、先ず黒柳さんからはロランの作品中における本作品の意義および位置づけ、作品の背景、他作品との比較など、同時期のロランの日記なども併せて分析しフリップボードの形にまとめられたものを各種の資料とともに発表して頂きました。
また前回(7/26)には清原さんからカバレフスキーがオペラおよび組曲として作曲した『コラ・ブルニョン』の珍しいCDを聴かせて頂き、本作品と音楽作品との対比など、認識を新たにしたところであります。
さて、今回は作品の5〜7話を直に読んで、その中に込められた風刺と笑いおよび心に残る言葉に触れてみたいと思います。
X.ブレット
〈あらすじ〉アスノアの館のための戸棚と食器台の注文を受けた家具職人コラ・ブルニョンは、それが据え付けられる場所を見なければ仕事にかかれないと言う彼一流の論理からその場所を見に行った。
その帰り道、牧場の中に逸れていく一本の分かれ道がどこに通じているか知っているのに知らないふりをしてコラ・ブルニョンは歩いていく。それはほかでもない初恋の人ブレットの住まいにつながっていた。ここから話は30年前の昔にタイムスリップする。
*
コラ・ブルニョンは、彫刻を教えてくれた師匠(親方)の家の塀越しに、隣の広い菜園で、作物に水をやっている美しい娘の魅力にとりつかれる。彼女の名はブロットだが、それをブレット(いたちの意味)と捩ってニックネームにした。仕事時間の半分は塀にもたれて、彼女の姿、振舞いに見とれていたものだから、ついに親方に尻をぐわんと蹴飛ばされる。
わしは若かった。血は燃えていた。一万一千の乙女に参っていた。わしが惚れていたのは (本当に)彼女だったのだろうか? 山羊に帽子をきせたような女でも恋しかねない時期が一生の中にはあるものだ(全集5、80頁)と彼は回想する。
ともかく互いに悪口を言ったり、罵りあったりしながらも次第に熱くなりはじめていたある日、それは暑さで熔けそうなある午後だった。「鉋は汗だらけ、曲がり柄錐も手にへばりつきそうだった」と、さっきまで歌っていたブロットの声が聞こえなくなった。彼は目で彼女をさがした、すると彼女が小屋の蔭の石段に反り返るようにして手をだらりと垂らして眠っているではないか。(今の私たちの感覚で言えば、これは熱中症で倒れている危険な状態のように思われるのだが…)
彼は塀を乗り越え、キャベツを踏みつぶして駆けつけ、彼女を抱きかかえ接吻した。しかしこんな状況に乗じて彼女を手に入れたと思われるのは辛かったので、彼は逃げ出してしまう。
この日から彼女は手に負えない女になった。気まぐれで、ひどい侮辱を浴びせたり、悪戯、悪ふざけはしたい放題。ついに彼女はわしを傷つけるために、わしの一番の仲良し─どこに行くのも何をするときも一緒だったピノン─
に秋波を四度も送ったので、彼は簡単に彼女に夢中になってしまった。その結果、ついにピノンとわしは喧嘩になり、つかみ合い、殴り合いをはじめることになった、5分もするとどちらも血みどろになった。集まってきた近所の人々や、親方が鞭でひっぱたいたりして、ようやく止められた。
そこへ現れたのが3人目の盗人、肥っちょの粉屋のジッフラールだった。「あいつはお前たちを馬鹿にしているのさ。お前たちは仲直りして遠くへ行っちまいな、そしたらあいつは悔やんで、二人のうちどっちを好いているか決めなきゃなるまい。彼女の腹が決まったらわしが勝った方に知らせてやろう。もう一人は首を絞ればいい」とぬけぬけいう奴の言葉に、まんまと乗せられて、樽のように酒を飲んだあげくに荷物をまとめて村を出た。
翌朝になってつくづく考えて見れば、敵の牙城を乗取るために逃げ出して姿をくらますという驚くべき計略は全く理解できないことに気がついた。それで、まる1日かかって家に帰ってきた。夜がくるのを待って彼女のようすを見に行くと、あろうことか!粉屋の奴が彼女といい仲になっているではないか。さあたちまち起こる叫び声、金切り声、罵詈……、ガラスが割れる、皿が飛ぶ、家具がひっくり返る、界隈の野次馬がたかったのなんの!
わしは片目で笑い、片目で泣き、来た道を引き返した。
*
こうして30年前の恋心、騒動、恨みごとを思い起こしながら、ブレットの家近くに来た。そして再会するや否や、照れ隠し、憎まれ口、軽口の応酬は昔と少しも変わらなかったが、愚痴まじりに互いの来し方の話に花がさき、かつての愛情がよみがえるのだった。
ブレットは「今さら言っても何の役にもたたないけれど、わたしが想っていたのはあんただったのさ」と打ち明ける。ブルニョンは「ちゃんと知ってたよ」「じゃなぜ…」「わしがそう言ったらお前はいやだと答えたにきまってらあね」……(どうやら彼女に後悔させるために逢いに来たことになったのでわしは困った。)
「なあに!ブレット多分この方がよかったろうぜ、お前は何も損はしなかったのさ、1日くらいならそれもいいが、しかし一生となると、わしはお前がどんな女か、自分がどんな男か知ってるが、お前はじきに飽きただろうよ。わしがどんなに始末のわるい人間だかお前は知らないんだ……(94〜95頁)」
そうしてわしは彼女に接吻し、立ち去った。だが家には帰らずに森の茂みに入り、ぶどう畑の丘に登り、そこを下り、大きな樹のそばでごろりと横になり野宿をした。
・わしは自分の一生を反芻してみた。ああもなっていただろうと思うこと、実際あったこと、崩れた自分の夢のかずかずなど。なんと多くの悲しみを、自分の過去の奥に見出すことだろう。
・家内はちっとも美しくはないし、そう優しくもない。倅どもは遠方にいて、考えもまるでわしとは違うし、わしに似ているのは上皮だけだ。
・わしの精神の夢、芸術作品は掠奪された。わしの生涯は一握りの灰だ。……静かに泣きながら、わしは自分の悲しみを木の幹に唇をあてて打ち明けた。父の腕に抱かれたように、わしは木が聞いてくれたことを知っている。もちろんその後で木は喋ってわしを慰めてくれた。なぜなら数時間のちに目が覚めたときに、わしの憂愁は跡形もなく消えていたからさ。(96〜97頁)
というわけで、上機嫌で楽天家コラ・ブルニョンは1日遅れでクラムシーに戻った。
「辛抱するのがつらいことは あとで、話すのは楽しいものだ」
☆あちこちに散らばる美しい情景描写や表現の愉快さおかしさ、軽妙な会話と軽口、早口の 類似音の連用(87頁、94〜95頁)、時に品の良くないスラングも交えて、いかにもブルゴーニュ気質、土着の匂い芬々たる文章ではある。冒頭の凡例にも書かれているようにフランス語の駄洒落や類似音の連続を日本語に訳すのは、さぞ苦労されたことと思います。
☆上に掲げた文で「自分の悲しみを木の幹に唇をあてて打ち明けた。」とあります。また別の所では「胡桃の大木」(95頁、118頁)が出てきます。これらはロランにとって特別の意味をもっています。というのは後年彼の『内面の旅路』の扉に“私の夢の話し相手であったヴィルヌーヴの親しい胡桃の老樹に”と献辞が記されています。『内面…』を書き始めたのが1924 年、その十年以上前(1913年)にこのブレットが書かれているので、ロランはかなり以前か ら、悲しみや夢を打ち明けるための心の拠り所の少なくとも一つが‘胡桃の大木と語り合う こと’だったと考えられるからです。
*(ちなみにこの献辞の裏の頁には「私がヴィルヌーヴからヴェズレーへ引越しをしたその年に、この樹は枯死した。その次の冬に、この樹が切りたおされるのを私は見た。」と注記がある)
Y.渡 り 鳥 またはアスノワの小夜曲
マイユボワ伯爵とテルム嬢の二人の貴賓がクラムシーを通ってアスノワ城に行き、3,4週間滞在することになった。(この貴族たちを鳥になぞらえて皮肉っていることからタイトルを「渡り鳥」としたのだろう)。そこで町会委員会は代表者を派遣して彼らに祝意を表して、町の自慢の名物‘砂糖かけビスケット’を贈ることに決めた。わしの婿で委員の一人でもある菓子屋のフロリモンは、気前よくそれを3ダース入れさせた(と言っても代金は町が払うのだが)。そしてまた委員会は4人のへぼ音楽家にドラムを1人を加え、お城の賓客たちに菓子と共に、夜曲を奏上するよう命じた。わしも頼まれもしないのに自分の銀笛をもってバンドに加わった。 わしはちょうどアスノワの殿様から注文された二枚の大きな彫刻板が出来上がっていたので、それを(他人の財布で)馬車で運ばせるのに恰好だと思ったのだ。さらに馬車を利用して一文もかけずに、わしの孫グロディつまりフロリモンの娘を連れて行った。もう一人の委員は自分の男の子を連れて行った。二台の馬車に町長、彫刻板、贈り物、二人の子供、四人の音楽家と四人の委員が乗って出発した、わしは徒歩で行くことにした。
サン・マルタンの塔が見えているあいだは固苦しい様子をしていた紳士がたは、町の人目をはなれるや否や上衣を脱ぎ、一人、また一人と歌いだした。楽士たちは楽器を、わしは自分の銀笛を吹いた。城に近づくとまたぞろ足を停め、明るい晴れ着に着替えて楽器を鳴らしながら城門を入った。公証人のピエールさんは立派なラテン語の挨拶をしたが、わしには聞こえなかった、それを聞いたのはピエールさんだけだったと思う。わしの可愛いグロディは、贈り物のビスケットを盛り上げた籠を小さい両手で抱えて、石段をちょこちょこと上って行ったが一つも落としはしなかった。その可愛いさと言ったら、いやまったく、わしは彼女を食べてしまいたいくらいだった。
さて、わしらが運んだデザートのビスケットを、テルム嬢はわしのグロディを膝に抱き上げて、小さな口に半分に割って食べさせてくれた。わしは嬉しくなって笛で1曲吹いたのがきっかけで、マイユボワ伯爵はわしにいろいろ質問をされた。
・わしの「商売の収入はどうかな」と(わしを田舎廻りのヴァイオリン弾きと思いなさったのだ) ・(お伴れの女にこっそり、しかしまる聞こえに、はっきりと言った)「少しばかみたいですが、この素寒貧を利用して、地方民がどう考えているか訊いてみましょう」と「どうだね、爺さん、土地の人気はどうかね?」…?…
・「私が訊ねるのは、人々がどういう考えと信仰をもっているかということだ。立派なカトリックかね? 王様には忠実かね」「神さまも王様もお偉い、どちらも好きですわい」
・「諸侯のことはどう思っているかね?」「そりゃお偉い方々ですわい」「じゃ諸侯の味方 というわけだね」と、(そこまでは良かったのだが……)
・「コンチニには反対かね?」と訊かれ「あの方にも味方ですわい」と答えたからさあ大変。 *注-(コンチニ1616年当時の圧政君主、その翌年に暗殺された(12頁注3参照)
「なんだと!だってあれは敵同士じゃないか」…(わしが「両方の味方です」と言うと)、 「どっちか定めなくちゃ、はっきりと!」…「そのうちに、よく考えてみましょう」
「ええ!なんでぐずぐずすることがあるのかね?」…「王様の味方と諸侯がたの味方と、 どっちを選ぶかという段になると、本当に私には見当がつきませんわい」…
(そこでわしは日頃思っていることを言ってやった)「もし自分たちのように畑を耕し、種をまき、穀物を作り、パンを焼き、ぶどうの木を育て葡萄酒を作るものがフランスにいなかったら、王さまはいったい何を口に入れなさるかということですわい!手前どもは駄馬です、撲たれるようにできています!公共の問題とか、殿様がたの喧嘩だとか、政治のかけひきだとか手前どもには難しすぎますわい!」…
相手は笑っていいか、怒っていいかわからない風だった。するとお伴の槍持ちが「殿様、私はこの変人を知っています。いい腕をもった家具職人で彫刻家で……」と、続いてアスノワ公も、何某という公爵がわしの作品を珍重していると言って下さってからは、マイユボワはわしが彫った中庭の泉水やお城の家具や羽目板をみて有頂天になった。アスノワ公爵さまは得意満面だった。──この金持ちの野郎ども!代金を支払ったからって、この作品をまるで、自分が銭で創ったような顔をしてやがる!……
マイユボワはわしがこんな田舎にくすぶっているのが不思議だと言って、わしに花をもたせようと考えた。わしは謙遜して自分の価値がどんなに低いものかよく心得ているし、めいめいが自分の分際を守るべきだと答えた。
マイユボワがわしのことに満足して去った後、アスノワ公爵さまはわしに「ふざけた野郎だ!からかうのもいい加減にしな!あのパリの苺の木(マイユボワのこと)なら好きなだけ摘むがいいさ、しかしもしもこのわしをやっつけようなんて考えたら承知しないぞ!」
「滅相もない、殿様!わたくしの恩人、保護者である殿さまを攻撃しようなんて!ブルニョンをそんな腹黒い人間と考えることができましょうか?… (そして殿さまを持ち上げる言葉をいろいろ並べた)」「よろしい、それはさておきお前が来るからにゃ、ただは来ないだろう」「そうれ、ごらんなさい、ちゃんと見抜いてござらっしゃる!」などと言いながら自作の羽目板2枚と‘イタリアの作品’をうっかり自作だと言って出してしまった。それは控え目に褒められた。それから‘自作の少女のメダル’をイタリアものだといって見せると人々は感嘆の声を上げて絶賛したので、有卦に入ったアスノワ公爵さまはそれに36デュカ、一方の‘イタリアの作品’には3デュカだけくれた。
家に帰ってこのメダルの一件を知ったフロリモンは、イタリアの作品を自作と言って、そんなに安値で手放したことをひどく責めた。わしは人をからかってみるつもりではあったが、ひとを剥ぎ取ることはしないと答えた。それでも憤懣のおさまらない彼に対して、わしの娘マルティーヌは道理至極なことを言ってくれた。(以下108頁下段の文を参照)
☆この最後の、落語で言えばオチにあたる言葉、これがブルゴーニュ風の皮肉と言うか、ウイットと言おうか、笑えて面白い。
☆この物語では、貴族に対する皮肉や批判がかなり顕著に表われている。うわべでは敬仰のふりをしつつ、裏で笑いものにしたり、領主や政治家、貴族に対して(27頁U包囲の表現を引 用するならば)「獣ども、略奪者ども、血搾り」とまで痛烈な言葉を浴びせているなど。
☆この作品に描かれた時代は、ロランから三百年ほど昔(現在から四百年前)の設定ではあるが、例えば政治家、農民、職人などの役割分担、イタリア製とか広い意味でのブランド志向など現代にもそっくり当てはまることもあり、共感したり、学べることも多い。
Z.ペ ス ト
「不幸は徒歩で去るが、来しなには馬でくる」現代ではさしずめ馬が新幹線となり、ジェット旅客機でくるということになるだろうが、去る方は昔も今も変わりがないか、若しくはHIVのように居着いてしまうかも知れない。先週サン・ファルゴーに発生したペストが昨日は近くのクーランジュ・ラ・ヴィヌーズに発生したので、みんなわれ先に遠くへと逃げ出した。町の入り口には警備をおいて外部の貧民賤民の侵入を防いだ。町の三人の医者の内、長い防毒マスクをつけた医者と、それを外した医者の二人が死んでしまった。わしらはペストが皮鞣し工場の臭いが嫌いで寄りつかないものとかたく信じていた。そして、かねてより懇意なグラットパン爺さんと飲みに出かけた。彼はなかなか陽気な男でまるまる肥えて健康そのものだった。わしらは一時間あまり息を吹きかけながら喋った。彼は喋りながら相手の手を叩いたり、腿や腕をいじりまわす癖があった。その時にはそれを気にしなかったが、翌日わしの弟子の「師匠、グラットパン爺さん死にましたな…」という一言に背中がぞっとした。
わしは気を紛らすために仕事台でこつこつやってみたが、てんで集中できなかった。はしゃいでみたがだめだった。胃が動くのをおぼえ、自分でさわってみた、ここかしこ、あいた!てっきりあれだ……夕餉の時がきて大好物の料理にも顎を開ける勇気がなかった。
わしがここで死んだら、他の者にペストが感染しないようにと、ま新しいこの家が焼き払われるだろう。そんなことになるくらいなら、(外の所で)自分の寝藁の上でくたばった方がましだ。そこでわしは起きて本を数冊、蝋燭とパンをもって、弟子に暇をとらせ、家を閉め、丘の中腹にあるブドウ園へ行った。町はずれの一軒家で焼き捨てられても大して惜しくないあばら屋だ。着くが早いか、口はかちかち慄え、熱で焼けるよう……、
そこでわしがどんなに勇ましく、ローマの大英雄の如く、豪快に不運に立ち向かったかお分かりかな、みなさん!尤もだれも見ちゃいなかったが…。わしは驢馬のように啼き声をたて、そして神さまにさんざん愚痴を言った(112〜113頁)、だが疼きは変わらなかった。わしの悲壮な感情は精根尽きてしまった。今度は自分にいっぱい言い聞かせた。「お前は時間を浪費するだけだ。……さあブルニョンお前の皮がくっついてるうちに皮の下で起こることを観察して書き記そう……」こんな風にわしは自分を熟視、観察する。夜はなかなか過ぎない。蝋燭を点けて読書しようと努めたが、ローマ人の箴言集もてんで駄目だった。
だがブーシェ先生の『諧謔集』なる本を開けてみたわしは笑いこけてしまった。笑ってはわめき、わめいては笑った、これにはペストの奴だって笑ってしまったよ。可哀そうな(ペストの)ちび助くん、わしはお前を喚きすくめ、笑いすくめてしまったぞ!
夜明けがきた時、わしは立つこともできず、一つしかない明かり窓にいざり寄って最初に通った男に呼びかけたが、彼はわしを見るなり十字を切って逃げだした。十五分もたたないうちに警衛が二人やってきた。わしは遺言書を作るために公証人のパイヤール先生を呼んできてほしいと頼んだが、ペストを怖れるあまりわし言葉まで恐れて聞こえない風だ。とうとう感心な男の子が「ブルニョンさん、ぼくが行ってあげるよ」と言ってくれた。
それから幾時間もわしは熱にうなされた後に、鞭と鈴の音がしてパイヤールとシャマイユ司祭がやって来たが、わしを見ると三歩後退りして「気分はどうだね」、「なに!病気の時にゃ、気分は良くないものさね」とわしは答えた。「さぁ、ブルニョン、神さまがお召しだ、支度をしよう」「もうちょっと後にしよう。司祭」…終いに「お前を残して神さまのところに行く勇気はないよ」とか、「めいめいに順番がある」だとか、ああだこうだと言い合う。…ともかく神さまを後回しにして公証人パイヤールに遺言書を作ってもらった。
万事片が付いても説教を続けるシャマイユにブルニョンは「まあ一服しな、いよいよ出発というわしにお前の念仏は、すぐりの実一つの値打ちもないんだ。せめて別れの盃が一杯ほしいな」
ああ!二人ともあっぱれなブルゴーニュ人だ。わしの最後の願いをよく理解して一本の壜どころか三本持ってきてくれた。
わしはまたぐったりとなり、他の人たちは帰っていった。しかしその後の時間がさっぱりわからない、八時間か十時間どうしても勘定が合わないのだ。そしてわしはコラ・ブルニョンを見失った。いったいどこへ行きやがったんだ?……
夜半ごろに、わしは庭の中に坐っている彼を見つけた。苺畑の上に臀をついて空を眺めていた。それからわしは韮を摘むつもりだったらしい、韮はペストに無類の薬だと言うし酒が無いなら韮で満足する他ないからだ。
わしの果樹園の果実が星のように見えた。地上と、天上の果樹園のすべての枝から、ささやき、うたう、合唱がくりかえされた。── 根を下ろせ、根を下ろせ!
そこで、わしは両腕を畑のよく肥えた柔らかな土深く肱まで突っ込んだ。そして両手と膝で掻き混ぜ、抱きしめ、そこに身を横たえて、大空と星(果実)を眺めた。
☆この辺(117〜119頁)の文(詩を含む)の内容は実に美しい。『ジャン・クリストフ』の中でも何度か見てきたように、こうした幻覚のような情景描写や、精神または肉体の奇跡的な大転換の場面(ここでは死の病ペストからの回復)で、ロランが屡々用いた得意の表現手段と言っても良いと思いますが、単に文学的な手段としてでなく、ゆっくりと味わって読みすすめたいところです。
その翌日わしが眼をさましたのは、正午だった。自分が生きているのを見つけてどんなに嬉しかったことか!様子を見に来たパイヤールとシャマイユが「ブルニョン!死んだのかい?」わしはいきなり明かり窓から顔を出して「ほいほい、ここだよ!」とどなった、彼らは驚いて飛び跳ねた。そして嬉しさに泣き笑いしていた。わしは彼らにあかんべをしてやった。そしてあの奴どもは、わしがほんとに治ったことが確かになるまで十五日間も、わしを塔の中に幽閉しやがったんだ!もっとも食料と水は不自由させなかったが。
外に出られるようになると、シャマイユ司祭が「サン・ロックさまがお前を救って下さったのだ。せめてお礼参りに行くことだね」「わしはむしろ聖なるワインのイランシィかシャブリか、それともブイイにお礼参りしたいね」「それじゃコラ、わしらのもそこに入れて折れ合うことにしよう。両方にお礼参りだ」そして伴れだって二つの巡礼に出かけた。「ああ!生きるのはなんていいことだろうね、お前!」と、わしらは三人とも、互いに笑いながら抱き合った。そして言った。
「勇ましい人間て大したものじゃないさ。ありのままの人間をみるんだね。
神さまがお造りなさったものだもの、いいにきまってらあね。」
☆ ペストに関連のある文学作品と言えば、ボッカチオの『デカメロン』ですが、ロマン・ロランがこの作品を書くとき『デカメロン』が頭に無かったかどうか興味のあるところです。 尤も『デカメロン』の方はペストに罹った人間を描いているわけではないので、別に関係無 いと言えばそれまでですが…。例えば(114頁)ローマ人たちの勇壮な箴言集もてんで駄目だ った。こんなほら吹きどもくそくらえだ!「みんながローマへ行くために生まれたのじゃな いんだ」というくだりに、『デカメロン』の初日第2話を絡めると納得がいく気がするのですが…。
☆ そのほか、今日お集まりの皆さんは、どんなご感想をお持ちでしょうか?
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