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1.あらすじ
ゴットフリートによって危機を脱したクリストフは、一年来彼を束縛していた恋の情熱から脱却して自由になり、幸福を感じていた。
彼は再び作曲の仕事をはじめた。楽想は汲み尽くせないほどあふれてきた。彼は自分の力を自覚したと同時に、それまで、尊敬していたあらゆるものを、初めて直視した。
彼は市立音楽堂の音楽会へ行った。プログラムはベートーヴェン『エグモント序曲』ヴァルトトイフェルのワルツ、ワグナー『タンホイザー』の中から『ローマへの巡礼』、ニコライ『陽気な女房たち』『アタリー』のなかからの『宗教的なマーチ』『北極星』による一幻想曲、シューマンとブラームスの歌曲だった。これらの曲の演奏を聴いているうちに、クリストフはだんだんあきれてきた。そして突然、万事が嘘だと思われだした。彼がもっとも愛していた『エグモント序曲』までがである。それは、演奏家や聴衆のせいでなく、作品そのものの中に、ドイツ思想が水のそこでまどろんでいるのを見た。
彼は家に帰り、「神聖視されている」音楽家たちの作品をあらためて読み直した。そして彼がいちばん愛していた巨匠たちの中のある人々が嘘をついているのに気づき驚いた。ドイツ国民の芸術的至宝とされるものの中に、おびただしい凡庸さと虚偽が見出され彼は唖然とした。吟味に耐えたものは、ほんのわずかだった。最愛の作品の中にこれらの欠点を見た時、最愛の友を失ったかのような気持ちになり、彼は泣いた。
例えば、メンデルスゾーンには、ゆたかで空虚な憂鬱、お上品な幻想、分別たっぷりの虚無があった。ヴェーバーは、彼の心情の乾燥と、たんに頭脳だけの感動があった。リストはサーカスの馬術師であり市場の大道商人だった。シューベルトは、自分の敏感さにおぼれているかのようだった。偉大なバッハでさえ、虚偽と、流行かぶれのつまらない点があり、ベートーヴェンあるいはヘンデルのような人々の作品のなかに吹きわたっている強壮な外気が彼の音楽にはなかった。そして、クリストフは古典の作曲家たちの作品において、自由が欠けていることが不満であった。
だからといって、彼が浪漫派の人々にはいっそう寛大だというわけではぜんぜんなかった。奇妙なことに、彼をもっともいらだたせたのは、例えばシューマンのように、もっとも自由でありもっとも自発的であり、たんなる組み立て師であることがもっとも少ないと自称した人々であった。シューマンの実例からクリストフが理解したドイツ音楽の最悪の虚偽は、ドイツの音楽家たちが少しも実感していない感情を表現しようとするときにではなく、彼らが実際に感じた諸感情を表現しようと望んだ時に、むしろはるかに多くあらわれるのだ。ドイツの音楽家が素朴で信頼心に充ちていればいるほど、ますますドイツ魂の弱点、その不確かな基礎、そのふわふわした感じかた、独立的率直さの欠如、やや陰険な理想精神、自分自身を直視することの無能力を示すことになる。
さらに、クリストフはワグナーの作品を読みなおしてみて、歯ぎしりをした。『ニーベルンゲンの指輪』の「四部作」には、あらゆる種類の嘘―嘘の理想主義、嘘のキリスト精神、嘘のゴチック精神、嘘の伝説、嘘の神性、嘘の人間性がつまっていた。あらゆる因習をくつがえそうと気負っていたこの作品ぐらい大きな因習が誇示されているものはなかった。
だが、誰がクリストフ以上に、彼らを愛しただろうか。シューベルトの善意を、ハイドンの無垢を、モーツァルトの愛情深さ、ベートーヴェンの英雄的な偉大な心を感じた者があったであろうか。ヴェーバーの森のそよぎの中に、またバッハの音楽のかずかずの大伽藍、その大きな影の中に、彼以上に敬虔な気持ちで魂を潜めた人間があったろうか。
しかし、クリストフは彼らの嘘に苦しみ悩んだ。かつて夢中になって彼らを信じたことについて、自分自身を、また彼らを恨んでいた。そしてそれはいいことだった。子供は教育や周囲で見聞きすることによって人生の本質的な真実にまじっている実に多くの嘘と愚かしさとを吸い込むので、健全な人間になろうと望む青年がまず第一にしなければならぬことは、すべてを吐出すことである。
それ以降、クリストフは自分の感情を隠すようなことはしなかった。会う人ごとや、演奏会の真最中に作品や人物に対して途方もないことを言っては人々を怒らせた。彼を恨む人々は、彼の父方がフランドル地方の出である、純粋なドイツ人でないことを思い出し、この他国からの移住者が、国家的栄光に難癖をつけることは、別に意外なことではないと思った。
クリストフは、自分の作品を音楽会で発表することにした。練習の際、オーケストラの団員は自分たちが演奏している作品についてまるきり理解していなかった。また、彼らはこの新音楽の奇抜さに狼狽させられていたが、自分の意見を作りあげる暇と能力がなかった。クリストフの自信は、団員たちを威圧していたし、彼らは従順でよく訓練されていたので練習は問題なかった。
しかし、歌曲を歌う女性の独唱者だけは、自分のやり方をとおした。クリストフは、彼女の劇的な力をもう少し抑制して歌うようにたのんだが、したがわなかった。ついにクリストフは、歌曲はプログラムから引っ込めてしまうと言ったため、最後の練習の際、彼女はおとなしく彼の言うとおりに歌った。
演奏会の当日になった。大公が来られなかった。また聴衆も、クリストフが子供のころの音楽会は満員だったのに、会場の三分の一は空だった。クリストフはまだ十七才だったが、聴衆は半ズボンの子供のほうが興味があったからだ。
序曲がはじまった。クリストフは指揮をしながら、聴衆の完全な無関心を感じとっていた。次に交響曲が演奏された。この曲に対しても聴衆は無感覚で、プログラムに読み耽けっていた。彼は終わりまでつづけるのが苦しく、いくたびとなく、指揮棒を投げ捨てて逃げ出したくなった。曲が終わり丁重な拍手が起こった。拍手がやんだときに、三つか四つの、ばらばらの拍手が起こった。だが、いかなる反響も呼び起こさなかった。そのため、空虚がいっそう空虚に感じられた。この出来事のおかげで、聴衆は、自分たちがいかに退屈していたかをかすかに理解した。
歌曲がはじまった。聴衆は独唱者を待っていた。彼女は前日クリストフが与えた注意を無視して自己流に歌いはじめた。伴奏していたクリストフは怒り、ついに途中でピアノをやめた。彼は氷のように冷たい調子で言った。「やり直そう!」彼女は彼の威厳ある態度に圧倒され、初めから歌い直した。彼女が歌い終わると、聴衆は熱狂して呼び戻した。彼らが拍手しているのは『歌曲』ではなく、この有名な歌手に対してであった。聴衆はアンコールを求めたが、クリストフはきっぱりとピアノのふたをしめてしまった。
最後の曲はクリストフのオーケストラの同僚であるオックスの『祝典序曲』だった。この平凡な音楽で気持ちのくつろいだ聴衆は、クリストフを非難する意味で、盛んにオックスに拍手喝采を送った。彼は二、三度舞台に呼び戻された。そしてこれが音楽会の最後だった。
新聞の批評では、歌手の技量をほめ、『歌曲』のことは、ただ参考までに述べるにとどめた。クリストフの他の作品については、どの新聞もやっと数行それも似たり寄ったりのことを書いていた。「…対位法には通じている。表現は複雑である。霊感が欠けている。メロディーがない。頭脳で作られていて、心で作られていない。誠実さがない。独創的になろうとしている…」―そして、そのあとに、モーツァルトや、ベートーヴェンや、レーヴェや、シューベルトや、ブラームスなどの《独創的になろうと考えないでしかも独創的である人々》の独創性、つまり真の独創性についての一項が書き添えられてあった。
要するに、クリストフの作品は、もっとも好意ある批評家からは完全に理解されず、彼を愛していない批評家からは陰険な敵意を受けた。最後に、味方の批評家にも敵の批評家にも導かれない大衆のあいだにおいては黙殺された。大衆は、自分自身の考えにまかされると、なにも考えないものである。
2.ロランとクリストフ
クリストフのモデルはベートーヴェンだと言われているが、ロランは、この作品の中の、クリストフとベートーヴェンとの伝記的な類似は、第一巻「曙」における、クリストフの家庭のいくつかの特徴だけに限られていると言っている。また、「広場の市」にでてくるクリストフは、若い日のロランそのままである。そして、後に登場するオリヴィエの性格や経験は、ロランのそれと非常によく似ている。このように、ロランは自分自身をこの小説の中の登場人物に投影している。
そこでこの「ぐらつく砂地」での、クリストフのドイツやドイツ音楽についての過激な発言もまた、ロラン自身の考えなのか知りたいと思った。そこで「ぐらつく砂地」を含む『ジャン・クリストフ』の第四巻「反抗」が発表されたのが一九〇六年なので、そのころ発表された他のロランの著作を調べてみると、一九〇八年に音楽評論集『今日の音楽家たち』が刊行されていた。その中に、以下のように、クリストフの発言とほぼ同じ内容の記述があったので、ここでのクリストフのドイツやドイツ音楽についての批評は、執筆当時のロラン自身の考えであることがわかった。
「今日のドイツ人は昔のドイツ人と共通なものはもはやほとんど何ももっていない。
私は単に大衆のことをいっているのではない。今日の大衆は全体として《ブラアムス派》であり、ウァグナア派である。大衆に意見はない。かれには何でもよいものなのだ。ウァグナアに喝采もするし、ブラアムスにもアンコオルを要求する。大衆は、本質においては、軽薄で、センティメンタルであると同時に粗野である。ウァグナア以来、大衆のもっともいちじるしい特色は、力の崇拝である。『マイスタアジンガア』の終末を聴いて、この傲慢な音楽、この帝国的行進がどれほどこの健康と名誉をはらんだ、軍隊的でブルジョア的な国民を反映しているかを感じた
しかしもっとも注目すべきことは、ドイツの芸術家がどれほど、日に日に、かれらの偉大な古典派、とくにベエトオヴェンへの理解力を失いつつあるかという点である。」(『今日の音楽家たち』「フランス音楽とドイツ音楽」一九〇五年
野田良之訳)
「ひじょうに教養の豊かなこの芸術家(サン=サアンス)が、いかに自分の学識に煩わされるところが少なく、いかにペダンティスムから自由であるかは注目すべきことである、―このペダンティスムこそドイツ芸術の傷手であり、もっとも偉大な連中もこれから免れられなかった―病膏肓にいたっているブラアムスは言わずもがな、シュウマンのようなもっとも心を魅する天才たちや、バッハのようにもっとも力強い人々においてもまたそうなのだ。」(『今日の音楽家たち』「カミィユ・サン=サアンス」一九〇一年
野田良之訳)
「この世にはブラアムスのように、ほとんど全生涯を通じて、過去の亡霊でしかなかったような人間もいる。」(『今日の音楽家たち』「ベルリオオズ」一九〇四年
野田良之訳)
3.ソフィーアへの手紙
ロランは、『ジャン・クリストフ』のグラチアのモデルとなった、イタリア人、ソフィーア・グェリエーリ=ゴンザーガと一九〇一年から一九三二年の三十一年間文通していた。この膨大な量の手紙の中で、ロランは、心情告白ともいえる人生観や芸術観を語っている。その手紙の中から『ジャン・クリストフ』の第四巻「反抗」に関して書れているものを掲載する。
「『ジャン=クリストフ』の第四巻はまだ出ていません。<カイエ・ド・ラ・キャンゼーヌ>から三冊になって出かかっていますが、それは追ってオランドルフから一巻にまとめて出ることになっています。初めの分冊数巻をあなたにお送りしなかったのは、まず全体をみないうちに作品が批判されることを私はあまり好まないからです。それに、少しあなたのお気にさわるかも知れない心配のあるページを、あまり急いであなたにお目にかけたくないわけです。なぜかというとそれらのページは、あなたが愛するドイツにたいして極度にきびしいからです。私もドイツを愛します、そしてもっと後でドイツの美点をみとめるつもりです。しかし私はまずそのことを言わざるをえなかったのです。それに、クリストフがこうと思いこんだときには、それに反対することは容易ではありません!…それに劣らず激烈な問題を扱ったページがあります。それはユダヤ人について語るところです。現代の社会を描写しようとするときには、今日の芸術と思想において、とりわけドイツとフランスで、じつに重要な役割を演じているユダヤ人を除外することは私には不可能です。私は彼らについて語らなければなりません。そして私はまったく公平に、しかしできるかぎりまったく率直にそれをこころみるでしょう。それはきっと憤慨させるにきまっています。しかし私は平気です。―それに、イスラエル人たちさえも、私が尊敬している多数の人々は、私の言うことは正しいし、私の人物たちは真実だといっています。」(『したしいソフィーア』一九〇六年
宮本正清・山上千枝子訳)
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