障害児教育

 

誰がほめようと 誰がけなそうと

どうでもよいのです

畑から帰って来た母が

でき上がった私の絵を見て

「へぇっ」とひと声驚いてくれたら

それでもう 十分なのです

星野富弘「鈴の鳴る道」秋の野の花 より

 

どんな種類の「障害」であろうと、「障害」のために出来ないことというのは、どうしてもあります。それで、人の助けを借りなければならないからといって、おとなしく引っ込んでいることはないのです。

でも、外見上見分けのつかない"知的"な「障害」を持った者が、「誰かの助けを必要としている」のを見分けられる人がどれほどいるでしょうか。

行動や発言からは、変わっている・変だ・愚かだ・屈折している・おかしい・分別がない・しつけがなっていない・甘やかされている・わがまま、と見られてしまうかもしれない。

私は、厄介でも・育てにくいとも・悪いとも思っていない。お母さんは、「どうしてそんなことをしてしまうのか、どういう気持ちでいるのか」わかっている。そのこと自体を責めるつもりもない。

「だけど、知らない人はそんな風には思ってくれない。」から、叱りもするし、慰めもする。でも、一番大事なのは、一人になった時にどう生きていけるかということ。そして、一人でも分かってくれる人がいれば生きていけるということ。細かいことはいらない。それだけ。

 

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